日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1K51夜 葬式の支度

◎夢の話 第1K51夜 葬式の支度

 二十八日の午前一時に観た夢です。

 

 「ミンミン」とセミが鳴いており、その声で我に返った。

 暑い盛りだが、俺は黒い上下を着て、座敷に座っていた。

 「ここはどこだろ?」

 どうやら郷里の親戚の家らしい。

 午後三時頃だから、如何に北国とはいえ、まだ暑い。

 

 正面に押し入れが見えていたが、中からごとごとと音がした。

 襖が開き、男が姿を現す。

 この場面は昔も時々出くわした。

 「ああ。こんにちは」

 すると男が寝ぼけ眼を擦りつつ会釈をした。

 押し入れの中で寝ていたのだ。

 「この季節にそこで寝ていたら、さすがに暑いだろ」

 すると男が答える。

 「いえ、大丈夫です。上が開いていて、風が入って来ますから、この中は却って涼しいのです」

 「そっか。なるほどね。逆に風通しが良かったのか」

 男はまた会釈をして、部屋を出て行った。

 

 程なく親戚の小母さんがやって来た。

 やつれた表情だ。急な法事で疲れているのだな。

 正座に座り直し、「この度は大変残念でした」と挨拶をした。

 ここで気が付く。

 「でも、亡くなったのは誰だろ?」

 頭がぼんやりして、あまりよくものを考えられない。

 そもそもこの家を訪れるのも何十年ぶりかだ。

小母さんが挨拶を返す。

 「わざわざ遠くから来てくれてありがとうね」

 それから俺の病気のことについての話になった。

 「この数年、あまり顔が見えぬから、皆で心配していたのですよ」

 「それはどうも恐縮です」

 ま、長らく旅行が出来る状況にはなかったから、もはや幾年も墓参りに行っていなかった。

 移動できるのはせいぜい百㌔圏内に限られる。それでもキツい。

 

 ひとしきり話をすると、小母さんが姿勢を直した。

 「では、明日は弔辞の方、よろしくお願いします」

 思わず眉間に皺が寄る。

 俺がこの家に呼ばれたのは、そういう件だったか。

 俺が「前に一度死んだことがある」のは、割と親戚遠縁中に知れ渡っている。

 その時に見聞きしたことを語っていたのだが、それも知られている。

 (こういうのは、口外すべきではないようだ。)

 このため、僧侶の語るご法話の感覚で、「故人が死後に進むべき道」を語って欲しい。それが俺に弔辞を頼む理由だ。

 叔父が亡くなった時には、葬式の当日の早朝に郷里に着いたのだが、式の途中で、突然、弔辞を読むように求められた。何も準備していないし、長距離運転で頭がぼおっとしていたから、本当に往生した。

 頭の中で「困ったな」と思う。

 ただ、祝い事の挨拶は断ってもよいが、弔辞を断るのは禁忌事項ではなかったか。

 従前は常にネタ帳を携帯していたから、それさえ見れば、すぐに話の組み立てが出来た。

 だが、事業を止めたのは、既にかなり前のことだし、ネタ帳自体、どこに行ったのか分からない。

 その上、俺はこの体だ。この暑さの中、満足に立っていられるかどうか。

 

 頭の中で「正直、今の私にはなかなかしんどい状況です」という言葉が浮かんだが、それを口にする前に遠縁の小母さんが先に口を開く。

 「▲▼ちゃんに送って貰えば、うちの※※も安心してくれると思います」

 えええ。「※※ちゃん」だと?死んだのは※※ちゃんなのか?

 信じ難い事態に、俺は小母さんに尋ねた。

 「亡くなられたのは※※ちゃんなのですか?」

 小母さんは黙って頷いた。

 

 げげげ。参ったな。俺はついさっき、その「※※ちゃん」が押し入れから出て来るのを見たぞ。

 それも二言三言言葉も交わした。

 一体、どうなっているんだよ。

 ここで俺は部屋の四方を見回した。

 「いったい、ここはどこだ。俺はどんな世界にいるんだよ」

 ここで覚醒。

 

 目覚めると、一週間ぶりに喘息症状が出ていた。息苦しい。

 夢の内容と照らし合わせると、ひとつ分かったことがある。

 私は「生死を分かつ渡り綱の上に立つところまで行ったが、内側すなわちこの世の側に落ちた」と思っていた。

 だが、その認識は誤りで、依然として私は「綱の上」にいるということだ。

 

追記)「葬儀の前後に、僧侶がご法話を語ってくれる」という慣行は、既に廃れつつあるらしい。

 葬儀代金にもよるのかもしれぬが、大体の葬儀で、僧侶は読経をすると解説も何も無く、さっさと帰る。弔いの会席に座っている時間さえ僅かになった。

 最後にご法話を聴いたのは、もはや何十年も前だ。

 どういうわけか、「相撲取りが懸賞金を貰う時の所作」の同じ話を複数の葬儀の席で聞いた。

 いずれも「あれは『心』という文字を描いているのだ」と語っていたが、当の相撲取りが語るところでは、「心という文字」ではないそうだ。

 諸説あるようだが、「報奨金を包むふくさ(または懐紙)を開く所為の名残」がもっとも確からしいように思う。

 実際のところ、褒美を与えるのに「むき出しの金」を渡すことはない。祝儀袋に入ってはいるが、さらにふくさで包むのが礼儀正しい。

◎後ろに座る人

後ろに座る人

 常識的な人から見ると、「変人の語る世迷いごと」なので、怪談やホラー話が嫌いな人はここから先は読まぬように。

 

 つい数週間前までは「まったく息が吐けぬ」状態で、まさに「死に間際」だったのだが、どうやら長い綱渡りの末に、「たまたま」この世の側に落ちた。

 毎年、「俺はもうダメかも」と思うくらい具合が悪くなる時があるが、今回は心底より死を確信した。

 死に間際になると、幽霊が大挙して「半死人(私)」を見に来るのだが、ぼーっと立っている者が林立していることがあった。

 こういうのも「お迎え」の一種だし、加えて数が多いから、諦めも付く。起きられる時には、文字通りの「死に支度」をしていた。

 ちなみに「林立する人影」は、生きている者と全く同じ質感がある。手を伸ばせば触れそうだ。

 あの世関連の出来事では、「自分の五感を疑う」のは必須なのだが、心神耗弱で見える幻覚とは違うようだ。

 幸い、今回もこの世の側に落ちたが、「死に間際」の状態でいるのは、もはや今後も変わらぬのではないかと思う。

 簡単に言えば、今後は日常的に目にするようになるということかもしれん。

 

 昨夜、圏央道を走行中に、何気なくミラーで後ろを見ると、後部座席に「誰か」が乗っていた。

 「うへへ。こいつらは」

 ちなみに、「コイツ」ではなく「こいつら」、すなわち二人分だ。

 しかも前に見たことがある。

 左後ろのは、昨日、ふと思い出した三年前の「看護師」だ。

 神社の境内に「看護師」がいるのは少し奇異な状況だった。

 「病院に縁がある者と言えば、俺がその筆頭だ。コイツはもしかして俺が連れて歩いているヤツでは」

 そんな風に思ったのだが、まさか後ろに乗っているとは。

 不意に思い出すのも当然だ。思い出したのではなく、思い出されたということだ。

 右後ろのはこれまで見たことが無い。

 

 平坦に書くが、やっぱり気が動転しており、ハンドル操作を誤りそうになる。ブレーキを踏んだり、車を路肩に寄せたくなる。

 そういうのが最もダメな対応だ。

 理由なく急ブレーキを踏んだら、後ろの車に追突されるかもしれぬ。ちょっとしたハンドル操作の手違いで、隣の車に接触して大事故に至る。

 仕方なく、叱り飛ばすことにした。

 「お前ら。これは俺の車だ。何で勝手に乗っている。驚かすんじゃねー」と、説教を始めた。

 世間には、道を歩きながらブツブツと「誰か」に話しかける者がいるが、あれとそっくりな振る舞いだ。

(頭のどこかで「あれはこういうことだったか」と納得した。他の者には見えぬ誰かに、実際に話し掛けていたわけだ。)

 あちら側からすると、人が幽霊を見て「恐怖心を覚える」のは、ごく普通の反応だが、「叱られる」のは少し勝手が違うらしい。程なく姿が消えた。

 ま、誰でもそうだ。私だって、家人がグチグチと小言を始めれば、すぐにその場を立って自分の部屋に行く。

 

 慣れて来たようでも、その場に立つとやはりかなり退く。

 どんよりと空気が重いのと、何か音のようなものが出ているせいだと思う。可聴域の限界スレスレ、または少し外の「ジジジジ」みたいな音だ。

 いつも「亡者の群れ」が後をついて来る気がしているので、背後に気配があるのも仕方がないとは思う。

 私自身が「死に間際」に達しているのなら尚更だ。

 「お迎え」と最初に会ってから、複数年生きた者は極めてレアだから、この先は未知の領域だ。

 ちなみに、自慢げに吹聴しているわけではないので念の為。

 棺桶に足を突っ込んでいる者は、他人の眼(考え)などどうでもよい。勝手に受け止めればいい。

 あの看護師は自死した者で、念で凝り固まっているから、もの凄く気色が悪い。

 今、色んな場所に体験談を記すのは、専ら子どもたちのためだ。

 子どもらにはいずれ同じ経験をする者が出るだろうから、対処法のヒントになればよい。

 

 一方、「誰でも死後に幽霊になるステップを必ず通る」ことと、「死に間際には、向こう側の者がこぞって見に来る」ことには、例外はない。多くの者はその時になり、真実と現実を知る筈だが、もはやそれを語る相手はいない。

後で思い出したが、看護師でない方は、この時の「髪を真ん中で分けた女」ではないかと思う。

 

◎「あの世」が存在するのは客観的事実

令和元年十一月二十九日撮影

◎「あの世」が存在するのは客観的事実

 何年か前に、たまたまある神社を訪れて、神殿前で記念写真を撮影した。

 正面はガラス窓で、室内の様子が見える。また、日中だからガラス面に外の光が反射して、自分の姿が映っていた。

 その時は周囲に誰もおらず、私一人だけだったのだが、しかし、画像には別の人影が写っていた。

 状況を確かめると、室内にいる人物ではないし、何故人の姿が映るのか、その理由が思い当たらない。

その神社を訪れるのは、専ら「境内にいる猫に会いたい」という理由からだったのだが、同時にこの方面からも調べることにした。 

 以来、五六年も撮影を続けたのだが、「幽霊が実在するもの」で、かつ物質的な存在だという確信と、証拠らしきものが得られた。

 死んで肉体が活動を停止した後も、自我(自意識)はある程度の間、存続し続ける。

 自身を再確認する術は、専ら五感によるから、死によってそれを失うと、自我(自意識)は時の経過と思に崩壊し、断片的な感情と記憶に分断されて行く。しかし、死に間際に強い感情を抱いたり、念を持っていたりした場合、自我は割合、死後長きに渡り残るようだ。

 また、自我の痕跡は、精神世界にだけあるのではなく、物的な存在としてのものだ。これには、おそらく未知のガス状の物質が関与している。

二枚ガラスの継ぎ目の左右に、幽霊(残存自我)が二重映りすることがあるが、これは物体として存在していることを示すものだ。

 

 このことを単に「信じる」「信じない」の次元ではなく、「客観的に存在している」という結論に至ったのは、令和元年頃になる。

 この年と翌年には、それこそ次から次へと画像に人影が残った。

 そして、その中には「幽霊(死後の残存自我)の存在は動かしがたい事実」と見なされるような画像が混じり始めた。

 ここに至るのに既に数年掛かったわけだが、これはTPOを探り当てるのに手間がかかったためだ。

 幽霊が画像に写りやすいのは、下記の条件が整っていた時になる。

1)時間帯は、午前午後とも二時から四時の間が最も多い。

2)日光などかなり強い光。もしくは複数の角度からの光照射がある。

3)人間の可視域を超える撮影環境(カメラの性能)。

 今現在はこの時と同じ神社に行き、そこで撮影しても、あまり写らなくなっている。これはすぐ隣の山の木々の背丈が伸び、日光を遮るようになったからと考えられる。

 

 画像は令和元年の十一月二十九日のものだ。

 平日の午後四時過ぎなので、参拝客が少なく、私の前に一人いただけだった。

 その客が去り、そこで私自身を撮影したが、ぼんやりと人影がガラス面に残っている。

 背後ではなく、私の前にいるから、「気付かなかった」ということは起こり得ない。

 ③④が一枚目、⑤以降が二枚目だ。

 もっとも判別しやすいのは⑥以降の拡大画像に見える「老女」になる。

 半透明なので見にくいのだが、この「老女」とすぐ奥隣にいる「看護師?」については、人影だと認識しやすい。

 

 今回、なるべく元の画像に近いかたちで拡大してみた。

 どうしてもわかりにくい箇所だけに丸印を付けている。

 この当時は分からなかったが、今になり付記すべきことは、「他にも沢山いる」ことと、「老女」が別の幽霊を背負っていることだ。

 幽霊は別の幽霊に寄り付くが、これは相手を吸収し、自我を強固にするためのようだ。

 簡単に言えば、自我の存続(生き残り)のために、他者に取り憑く。これは相手が幽霊だけに限ったことではない。

 

 多くの人は「死ねば終わり」だと見なす一方で、死後の自身について不安や惧れを感じている筈だ。

 だが、死んだ後にも自我(自意識)が存在し続けることを受け入れれば、死後を見据えた生き方を考えるようになる。「穏やかな死後」を迎えるためには、それなりの準備が必要になる。

 

追記)看護師風の制服を着た女性のすぐ右上に「ガラスの引っかき傷」「稲妻」のような線が見えるのだが、実際にはここに傷はない。環境が変化し、光や磁場に異変が生じるので。こういう筋が出るようだ。

◎あの位置からも引き返せる

あの位置からも引き返せる

 「人間はなかなか死なない」

 「死ぬ時はあっさり死ぬ」

 この二つはいずれも真だ。

 一時、私の血中酸素飽和度は86%くらいまで下がった。当然、息など全くできず、専ら酸素を吸っていた。もちろん、人工呼吸器が必要な域だ。

 普通は入院してマスクをつけるのだが、そもそも半入院生活なので大して変わらない。「苦しい」と泣き喚けば入れてくれるだろうが、尿道カテーテルをつけられて寝たきりになるのも嫌だ。

 腎臓病棟の患者は、普通に治療を受けているようでも、徐々に弱って行くらしく、ある時が来るとがたっと体調を崩す。

 「どこが悪い」というわけでもなく、ただ起きられなくなるのだ。

 車椅子に乗るようになり、ひと月くらいで入院病棟に移るが、そこから帰って来た患者はいない。概ね三四か月後にはあの世に旅立っている。

 そのことを患者も医師・看護師も知っているから、患者がガタっと来ると「ああ。もうじきなんだな」と思う。

 つい数週間前には、私を見る看護師の目がそれだった。

 その視線を見て、「ついに俺の順番が来たか」と思った。

 

 それでもまだ死なない。

 その間、治療らしい治療を受けていない。

 これは非常勤医が「明後日の話」ばかりしていたためで、全部断ったのだ。

 ちなみに、「胃カメラ」「大腸の内視鏡検査」「心臓カテーテル」を勧められた(笑)。医師にも原因がよく分からなかったらしい。「病因の解明」を考えるのはそれが医師だからで、患者はそんなことはどうでもよい。苦痛が取れればそれでよい。

 「息が出来ない」と言ってるのに、胃カメラなんか飲んだら、それだけで命に係わる。心臓カテーテルに耐えられる体力もない。言われた通りにしていたら、たぶん余計に命が詰まった。

 

 ま、それもこの病棟にいるにしては、まだ若くて体力があったから、ということ。他の患者は概ね七十台半ばから八十歳くらいだ。六十歳くらいなら若い方で、後から来た患者にどんどん追い越される。

 初期の患者たちも、どうやら「次はこの人」と噂していたらしい。(つい数日前に聞いた。)

 まだ体力が戻っておらず、血中酸素飽和度も93~95%程度だ。ちなみに、普通の人は98%くらい。

 血圧に加え、これも日常的に計測するひとつになった。

 93%を下回ると、自覚症状が出て、息苦しくなる。

 で、その肺症状には、必ず原因がある。

 若い頃に煙草を吸っていた人は、その期間の長短に限らず、いずれは肺症状が出るようになるそうだ。これも因果応報。

 ちなみに、上の画像では、不整脈が見えている。波が乱れているところが「ドッコン」のタイミングだ。

 

 結果的にあの位置からもまだ引き返せた。

 これも「患者のベテラン」だったことによると思う。

 でも、きっと「次」はないと思う。

 九十の爺さん患者みたいに、「苦しい」と三日間泣き叫んで死んで行くのは嫌だが(よくいる)、私はその前に心不全があるから、ある意味気が楽だ。

 

 最近、特に気を遣うようになったのは便通だ。

 腹の中に便を極力溜めぬようにするから、体重がほとんど増えない。でも、死ぬと体内の排せつ物を吐き出すらしいから、食事を控えめにして便通を良くして置く。自分の死体がウンチ塗れでは情けない。

 

◎夢の話 第1K50夜 何かを手渡される

夢の話 第1K50夜 何かを手渡される

 二十四日の午前二時半に観た短い夢です。

 

 私は二十台後半。

 街を歩いていると、十階建てのビルの前を通り掛かった。

 何気なくそこで足が止まる。

 「何だろ。何だか気になる」

 そのまま立ち止まって考えるが、何が気になるのかが分からない。

 そのビルは一階と二階が店舗で、その上からがマンションになっている。

 店舗だけに、容易に中に入れるのだが、実際に入って見ても理由が分からない。

 すぐにエレベーターの前に出る。

 「上だな」

 扉が開き、私はエレベーターの中に入った。

 ここで頭の中に女性の顔が思い浮かんだ。

 数年前に付き合っていたが、何となく別れ、その後は疎遠になった女性だ。

 「何で別れたんだっけな」

 考えるが、よく思い出せない。

 自然に付き合い始めたが、さりげなく別れた。

 「ま、性格が合わぬか、時機が悪かったのだろう」

 エレベーターが七階で停止し、乗り合わせた高齢の女性がそこで降りた。

 何となく私もその階で降りる。

 「ここで降りたところで、ここからどうすればよいかが分からない」

 自分の直感には従うことにしているのだが、意味が分からぬのでは困ってしまう。

 エレベーターの向かいに椅子があったので、とりあえずそこに座る。

 ここは通路からT字型に出たエントランス部分だ。

 目の前がエレベーターの入り口で、横五メートル先にはこの階の長廊下がある。

 すると、その廊下を人が通り過ぎた。

 若い女と幾らか年配の男の二人だった。

 「わ。あれは」

 先ほど私の頭に浮かんだ女性本人だった。

 「ここで暮らしていたのか」

 別れてから数年が経ち、その後の消息を知らなかったが、ここで彼氏かダンナと暮らしていたわけだ。

 「チン」と鈴が鳴り、エレベーターの扉が開く。

 私はすぐにそれに乗り、階下に降りた。

 「なるほど。縁があるのだな」

 いずれまた私はあの女性と付き合い、一緒に暮らすようになるかもしれぬ。

 だが、それは今ではない。暫く先の話だ。

 これは予行演習で、「あの娘がここにいる」と知らせただけ。

 「時機が来れば、この前の道で再会するかもしれん。言葉を交わすのはその時だ」

 私はビルを出て、自分の生活に戻った。

 ここで覚醒。

 

 すかさず次の夢に移る。本題はこれからだ。

 私はどこか知らぬ場所に立ち、暗闇を見詰めていた。

 周囲はまさに「全きの闇」で、何ひとつ見えぬ。

 「ザアアア」とも「ジジジジ」ともつかぬ「沈黙の音」が聞こえている。

 すると、目の前の暗闇が一本の白い腕が現れた。

 腕の主の姿は見えない。

 その「誰か」は私に向かって、「受け取れ」と言った。

 「え」。一体何のこと?

 すかさず目の前に何かが付き出され、私はそれを手に取った。

 「イケネ。ついうっかり受け取ってしまったぞ」

 私が受け取ったのは、ノート(日記帳のよう)ともタブレットともつかぬ黒い四角の物体だ。

 「一体これは何だよ」

 何となく、この中から沢山のひとの声が聞こえるような気がする。

 「何だか、重いものを受け取った気がするぞ」

 これをこの私にどうしろと言うのだろう。

 首を捻りつつ、ゆっくりと覚醒。

 

 闇の中から腕が出て、タブレットを押し付けられる。

 これが一体何を示唆しているのかが、さっぱり分からない。

 だが、とにかく「重いもの」だ。

 

追記)なるほど。私はもう死ぬ筈だったのに、ぎりぎりになり、この世滞在期限の再延長が認められた。そのツケを払う必要があるということだ。

 この世にもあの世にも、ただで得られるものはない。何かを得たら代償を払う必要がある。

 トイレ掃除だけでなく、他に何か決まったものを返す必要があるようだ。

◎火頭金剛(烏枢沙摩明王)

火頭金剛(烏枢沙摩明王

 正式名の読みは「うすさまみょうおう」で便所の神さまだ。

 掃除をすると御利益があると言われる。

 

 今朝、病院のロビーで受付を待っていると、急にトイレに行きたくなった。そこで奥にあるトイレに入ったのだが、便器が汚れていた。

 コロナ以後、ウイルスを留めぬよう掃除道具をトイレの中には置かなくなっているが、それは逆に「清掃員の回る朝と夕方しか掃除をしない」ということでもある。(私はこっちの方が不衛生だと思う。)

 仕方なく隣に入ったのだが、そこで思い出したことがあった。

 つい数週間前には「今度こそ今生の終わり」と覚悟していたのに、何とか生き残った。

 これまで同じ病棟で、「去り行く患者」を見て来たが、いずれも私のような経過を辿り、「ある日突然動けなくなる」。すぐに入院病棟に移るが、いざそっちに行き、戻って来た患者はいない。

 私も同じで、ほとんど息が出来なくなっていた時期もある。

 七八キロくらい痩せたが、何とか回復の途上にある。

 

 「こういうのも福音(か功徳)のひとつなのだから、生きているうちに恩を返そう」

 何を返すか考えたが、「この後、入ったトイレが汚れていたら、すぐに掃除をするのはどうか」に行き当たった。

 病院にせよ、公園のそれにせよ、スーパーにせよ、もし汚れを目にしたら、私が掃除をしよう。

 「そんなことを考えたんだったな」

 だが、既に別のトイレに入っている。道具も無いことだし、掃除はこの次からにしようか。

 だが、ここで思い直した。

 「俺にはもう『次』も『今度から』も『明日』もない。始めるのは今からだ」

 そこで、その個室を出た後、もう一度隣の個室に入った。

 トイレットペーパーで拭いたが、先ほど二度流してあったので、汚れは落ちやすかった。

 「ああさっぱりした。具合が悪くて病院に来ているのに、トイレが汚れていたら、病人は余計に気が滅入るだろう」

 いざ始めてしまうと、次からは抵抗が無くなる。線を越えれば、ほとんど平気になる。

 

 開運を願うためにトイレ掃除をするひともいるが、私には関係ない。運が開けるのを待つ時間はもはやないからだ。次に再び発症すれば、そこで終わりだ。

 それなら、多少なりともこの世に恩返しをすれば、思い残すことが無くなる。

 と、ここで終われば、幾らかクサい程のちょっと良い話だが、生憎私は善人ではない。今のところ、死後はたぶん、悪縁(霊)の仲間に入る。

 

 便所の神さまは「火頭金剛(烏枢沙摩明王)」と言って、頭に火炎を掲げている。

 仏像の外見をチラ見すると、不動明王に似ている。

 かつて、夢の中で、数十万の亡者の群れに追われたことがあったが、その時に私を救ってくれたのは、背に火炎を背負った仏さまだった。

 私はその仏を不動明王だと思い込んでいたが、もしかすると烏枢沙摩明王の方だったかもしれぬ。

 「烏枢沙摩(うすさま)」とは古代インドの言葉で「穢れを焼き尽くす」という意味になるそうだ。

 お不動さまの「強い意志で衆生を救う」というものとは、性質がまるで異なる。

 死後このまま、悪縁に変じたら、きっとこの世に戻り、嘘や欺瞞を焼き尽くそうとすると思う。

 それなら、死んだ後、この世に罰を与え始める前に、今は他の者のために少しだけ善行を積もうと思う。

 

 追記)この後眠りについたが、かつての「火炎を背にした仏」は、やはり不動明王だった。数十万の亡者を救おうと考えていたらしい。私はその駒となり、知らぬ間に手伝いをしていたようだ。

 

◎耳に届かぬ音

に届かぬ音

 月曜に駅前でこの世の者ならぬ「女」に会ったのだが、最初は目視出来なかったのに「疑いなくそこにいる」という実感があった。

 後になり、何故そう確信したかを思い出すと、「音」が聞こえていたことがその理由だ。

 「音」と言っても耳には聞こえぬ音、すなわち人間の耳では聞き分けられぬ周波数の音だ。

 閉店後の床屋の前では、「ごおおおお」とも「ブーーン」ともつかぬ重い音が響いていたと思う。

 どうやら可視域と同様に、可聴域も幾らか通常より広いようだ。

 

 あそこまで強力な者だと、さすがに迫力が半端ない。

 ホラー映画や、あるいはネットに溢れる怪談の類を見聞きして、肝の縮み上がる思いをしたことがあるだろうが、現実に眼にするそれは映画や怪談の重さの比ではない。

 ただ同時進行的に「今何が起きているのか」がよく分からなかったりする。

 五分十分後になり、「さっきのはこういうことだ」と思い当たる。

 後で直接目視したが、他の人の中に「普通に立っている」ので、こっちはあまり衝撃が無い。「あれ。おかしいな」と思う程度。 

 

 今後も私は死線の傍に立っているから、直接見たり聞いたりする機会が増えると思う。

 何が怖ろしいと言って、何か得体の知れぬ者の「意思」を感じることこそ怖ろしいことはない。

 何年か前に、F県の某地で、カーナビに導かれ山中に迷い込んだことがあったが、車一台がぎりぎりの細道に入り込んだ瞬間、カーナビから案内経路がパッと消えたことがある。

 ナビ上の当方の車の周囲五キロ四方は真っ暗だ。

 誰か分からぬ者の意思を感じた時のそら怖ろしさは筆舌に尽くし難い。

 

 それでも、場数を踏んでいるうちに、人は何事にも慣れて行く。気色悪くは思うが、さほど動揺しなくなった。

 

追記)駅前ロータリ-に立っていたのは、二年前に現れたこの「女」によく似ている。ただ、背丈は常人のサイズだった。

 この時の「女」は、いつものように「窓ガラスに映っている」のではなく、参拝客女性の傍に実際に立っていた。顔が鮮明に出ている。

 これくらい強力な者になると、直接目視も出来る。

 見えにくい方では、最初の画像の左側にも「女」がいると思う。これはごく薄らとした影だけだ。

 光は原則として真っ直ぐに進む筈だが、微妙に進行方向が変わるので、そこにいる「何か」が影響していると分かる。

 

令和二年二月十一日撮影。人の耳元で囁く「女」の幽霊。