日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1K62夜 一月心中

◎夢の話 第1K62夜 一月心中

 三十日の午前三時に観た夢です。

 夢の中の「俺」は三十台の初めで、覚醒時とは全くの別人格だ。設計技師のような仕事をしている。

 

 絵画館のカフェテリアに行き、ラテを注文した。

 番号札を貰い、席で待っていると、程なくその番号を呼ばれた。

 カウンターでラテと交換しようとしたが、別の女性も番号札を差し出している。

 俺と同じ番号だった。

 店員は「同じラテでしたので、手違いがあったようです。すぐにおつくりします」と頭を下げた。

 俺は女性に「お先にどうぞ」と順番を譲った。

 ここで女性を見ると、年格好が俺と同じくらいだった。

 年の割にはシックな装いをしている。

 「何だか俺の服と似てるな」

 俺は一瞬そう思ったが、特に気にせず、自分の席に戻った。

 

 休憩をした後、また絵の鑑賞を続けることにした。

 ひと通り見た後で、最後にある絵のところに戻って、もう一度眺めることにした。

 館内を半周して、その絵のところに着くと、あの女性がそこにいた。

 「あ。こりゃどうも」

 「こちらこそ」

 会釈をしたが、特に会話を交わさず、前の絵を眺めた。

 この時、二人並んで見ていたから、他の人の通行を遮っていたらしい。

 背後から、中年の女性が、「ちょっとダンナさん。少し前に出てくれませんか」と声を掛けて来た。隣の女性が動こうとすると、中年女性は「あ。奥さんは良いです」と断った。

 他人の眼から見ても、この二人は「何だか似ている」ように見えたようだ。

 ここで俺は女性と初めて会話らしい会話をした。

 「服の着方が似ているからなのか、夫婦に見えるようですね」

 「ええ、分かります」

 二人とも、年齢より落ち着いた茶系色の上下を着ていた。

 「今日は絵を見に来たので『どこかで会ったことがありませんか』みたいなことは言いませんから」

 ま、古臭い誘い文句だ。

 すると女性は「でも、かなり前から存じ上げているような気がします」と答えた。

 その表情を見た瞬間、俺は「本当だ」と思った。実際にそう思う。

 だが、やはりまるで誘い文句だ。もうナンパに精を出す年でも境遇でもない。心身ともに疲れていたから、それを癒すために絵画を見に来たのだ。

 「そうですね。記憶は朧気でも、何かの縁があったかもしれませんね」

 女性は黙っていた。

 

 俺はそのままその場を離れ、受付のところで絵葉書を買った。誰かに出すためではなく、自分の机の上に立てて置くためだ。俺はその十九世紀の無名の画家の絵が何となく気に入っていた。

 玄関を出て、駐車場に向かおうとすると、背後から声を掛けられた。

 「あのう。変な質問ですが、昔、湖に落ちたことはありませんか?」

 振り返ると、先ほどの女性だった。

 「湖に落ちた」

 「そうです」

 俺は足を止めて考えた。

 そう言えば・・・。

 昔、湖の岸から出ている橋桁の上に、子ども五六人で立ったことがある。

 そんな場面が頭に浮かんだ。

 たまたま近くをモーターボートが通り掛かったのだが、その煽りで橋桁が揺れ、子どもたちは皆水に落ちた。

 「確かに、そんなことがあったような気がします。何時だったかは思い出せないですが」

 「やはりそうですか」

 断片的な記憶だが、俺にははっきりと憶えていることもあった。

 「でも、その時いた子供は、全部男の子でしたよ」

 だから、目の前の女性がその場にいたとは考えにくい。

 すると、その女性が控え目にほほ笑んだ。

 「その記憶は、生まれる前のものですから、男女はあまり関係ないと思います」

 ドキッとして体が硬直した。

 (確かにそうだ。俺は山家育ちで海も湖も近くには無かった。そんな記憶があるわけがないのだ。)

 それなら状況はだいぶ変わる。

 「では、適宜都合の良いところまで来るまでお送りします。その間、今のことについて教えてください」

 俺は女性を車で送ることにした。

 

 車の中で女性が話し出す。

 「変なやつだと思わないでくださいね。私は生まれる前のことを憶えています。幾度か生まれ、幾度か死にました。たぶん、百五十年くらい前までは前世の記憶を辿れるようです」

 「そう言われて見れば、俺も子どもの頃からリアルな夢を観ます。とても夢とは思えぬような夢です」

 「例えばどんな?」

 「俺は五歳の女の子で、自分の家の鞍の前に座って景色を眺めていた。秋の盛りで、赤とんぼが盛んに飛び交っているのを見ていたのです。我を忘れ、とんぼが草の上に泊ったり離れたりしているのを見ていたのですが、母屋の方では」

 「お祖母さんが心不全になり、苦しんでいた」

 「え。どうしてそれを」

 「私も同じ夢を観ます」

 こりゃどういうことだ。何故育ちも違えば、環境も違う男女が同じ夢を観るのか。

 

 「では私の部屋に行きましょう。そこで前世の記憶について確かめることがあります」

 女性は北国から昨日上京し、絵画館の近くに宿を取っていた。

 俺はそのホテルに向かうことにした。

 部屋に入ると、女性(「ユキ」と言う名だった)は、すぐに俺に言った。

 「どうやら私の方の記憶が確かなようです。では私がリードして二人の記憶を辿ることにしましょう。まずは私たちの距離を縮めましょう」

 そう言うと、ユキはするすると自分の服を脱いだ。

 「じゃあ、貴方も」

 

 それから俺とユキはその部屋に四日間泊り続け、繰り返しセックスをした。

 夜昼構わずセックスをして、その合間に前世の話をした。

 途中から俺はセックスのし過ぎで股間に痛みを覚えるほどだったが、構わず続けた。

 幾度かの人生を重ねたほどの「思いのたけ」をぶつけるから、やはり必然的にそうなる。

 俺たちは別の人生の記憶について細々と話したが、驚いたことに、ユキと俺の前世の記憶はほとんど同じ内容だった。

 

 五日目にようやく服を着て、俺たちはテーブルに向かい合った。

 「何となく意味が分かりましたね」

 「ああ俺も分かった」

 「では、そろそろ行きましょうか」

 「うん。いいよ」

 ここで俺たちはホテルを出て、再び車に乗った。

 

 長いドライブの後、二人は海岸に着いた。一月の海だから冷たい風が吹きすさんでいる。

 波も高く、海はかなりの荒れ模様だった。

 「波に洗われると服が脱げてしまう。スーツを着た方がいいよ」

 ユキは俺の言葉に従って。ビジネススーツに着替えた。

 

 それから俺たちは手を繋いで海に入った。

 ユキは冬の海の冷たさに思わず声を上げた。

 「冷たい」

 「でもそのおかげで、数分で心臓が止まる。溺れるなら死ぬまで五分十分はかかるから、苦しくて暴れてしまうかもしれん」

 「そうだね。ならその方がいい」

 「ところで、ユキには家族がいたか。ダンナとか子どもとか」

 「夫と子ども二人」

 「俺の方は離婚して妻はいないが、子どもが一人いる」

 ま、生き残る者のことは生きている者が考えることだ。

 俺は繰り返し寄せ来る波を見ている。

 ここで覚醒。

 

 元は一人の人格だったのに、双子のように魂が分裂して二人になった。

 再びひとつの魂に戻るためには、死ぬ以外に選択肢はない。

 ユキの顔を見た瞬間に、夢の中の「俺」はある程度それを悟っていたようだ。

 おそらく、次に生まれ替わる時には、この記憶も憶えている筈だ。

 

 注記)一人の魂が、丸ごとそのまま一人分の別人格として生まれ替わるわけではないので、これはただの夢だ。人が生まれるにあたっては、複数の「かつての人間」の断片的な記憶を寄せ集めて、新しい人格が形成される。誰でも前世の断片的な記憶を持っているが、ただ思い出せぬだけ。

◎外人でも分かる  ー「国葬儀」の後でー

外人でも分かる  ー「国葬儀」の後でー

 「菅さんの弔辞は泣ける。ここ数十年で最高のスピーチだった」

 家人にそう言うと、早速「ようつべ」で検索していた。ま、外人にも伝わると思う。

 

 あれをテレ朝「みんなの玉川」は「政治的意図による」「電通の差し金」だと言う。(これで今は玉川バッシングの嵐。)

 その場で羽鳥さんに「ちょっと違うのでは」と言われる始末だったらしい。

 

 「国葬儀」当日のテレビ生中継のおかげで、反対派の正体がばれ(ジジイとパヨ)、早速、「実は少数派」だってことが周知されて来た。全共闘時代の遺物と、ヘルメットをかぶる過激派が反対派の中心では、さすがに退く。

 いろんな意見はあってよいが、「黙とうの時に鐘を鳴らして妨害する」のは誰の目にも異常に見える。

 この感想は「反対意見を唱える人」でも、「おかしい」とする意見が多かった。

 要は国葬に反対でも、大半は「妨害行為をする程ではない」と思っていたということだ。

 

 メディアは数百人のデモ隊ばかり報道して、万人の桁の弔問客の方を無視する。

献花台には「夕方六時までに二万五千人」と報道されているが、後ろにはそれ以上いた。行列の距離×平均人数で簡単に割り出せる。ダービーの時の府中競馬場よりも多いから、並んだのは十万人に届くかもしれん。

 こういう「自分の見せたいものだけ見せる」という報道姿勢が「政治的意図」でなくて何なの?

 そもそも、「反対70%」がイカサマなら、「51%」は捏造だ。これは社会調査の実査経験のあるものならすぐに分かる。ま、当日の様子をみれば、「けして多数派ではない」というのが丸わかりだ。

 この後メディアのイカサマがバレ、逐一ネットで検証されることになると思う。

 

 メディアの中には、早速寝返っているところが出ているが、テレ朝、TBSは最後までディスってくれないとね。

 朝日新聞がすぐにも書くだろう「国葬儀は失敗だった」という記事も楽しみにしている。もちろん、記事に金は払わず、他媒体から調べる。

 メディアの作る嘘など「もはや通用しない」ことを知るべきだ。

 

 ところで「みんなの玉川」発言で面白いのは、「電通が悪」だと認識しているところだ。同じ釜の飯を食ってるのにね。

 ここで狂句。

    「反対」の正体見たり ジジとパヨ 

 国民の大多数は「どちらでもない」が近く、「何となく賛成」、「何となく反対」が多かったのではないかと思う。デモったり、妨害したりするほどではない。

 これは、きちんと調査手法の原則を守る者がフラットに調べれば、容易に分かった筈だ。メディアの進めるネガティブキャンペーンには、もううんざりだが、やってることが素人レベルではさすがにすぐに露見する。

 

◎古貨幣迷宮事件簿 「旭日龍二十錢銀貨の文字型研究」追加訂正

◎古貨幣迷宮事件簿 「旭日龍二十錢銀貨の文字型研究」追加訂正

 ケースを開く度に品物が出るので、各々追加した。

 ま、継続して調べるつもりもないので、明日にも売却手続きをするつもりだ。

 雑銭の会の流れでは、近代貨コレクターは少ないので、最初からネットオークションに出すつもりだったが、ひとまず五日間くらいはウェブ版の「古貨幣迷宮事件簿」に「雑銭の会扱い」として掲示する。コロナ以後は大赤字なので、損失補填ということ。利益は発生しない。

 まずは「記述」から始め、サンプルを増やすとともに、収斂を測って行くのが筋道だろうと思う。

 

「旭日龍二十錢銀貨 明治三年銘」

 

「旭日龍二十錢銀貨 明治四年銘」

 

 いわゆる貨幣カタログ記載の「手替わり」の類もひと通り揃えてあったはずだが、今回は見付けることが出来なかった。どこかに紛れているのだろう。

 何万枚も見て、仕分けに労力を費やされた経験により、気持ち的には「見るのも嫌」になっている。扱いがぞんざいになりがちだ。

 古貨幣関連のブログ読者が減って来たので、そろそろ売却掲示を出そうと思う。

 残っているのは雑銭の会関係者だろうから、私自身の目が相手に届く。

 ま、コレクターの数からいえば、ネット向きではある。

◎しばしの休息(645)

 

しばしの休息(645

 人込みの中に入ったので、帰路には神社に参拝した。

 多くの場合、「お持ち帰り」するためだ。そういう場合は帰路途中で、再び人のいる場所に入ってから家路につく。

 だが、特に問題はなかった。

 光の帯が少し入ったが、神社では当たり前だ。

 

 ガラス映像は目視とは別の景色が見えるが、ガラスは透過する光と反射する光を分ける性質をもつことによる。

 赤外線でも「この世ならぬもの」が写ることがあるが、よく考えると、ガラスが多く跳ね返すのは紫外線の方だ。

 赤外線に加え、紫外線撮影を行うべきだが、紫外線カメラの画像や映像は画質が粗く映るのが難点だ。

 

 神無月が来れば、あの世の者が暗躍する。

 「神さまが出雲大社に集まる」とはよく言ったものだ。

 神が不在だと、コントロールするものが居ないので、やりたい放題になる。

 昨年の十月には油断して悪縁を拾い、その後長期間に渡り苦しんだ。一年経っても、完全に障りが終わったわけではない。その間、ずっと体調が悪かったから、十キロ以上体重が落ちた。

 こういうことに配慮の必要が無ければ、エネルギーの無駄な消費が少なくなる。

◎曼殊沙華祭 (埼玉日高・巾着田)

日高市 巾着田の曼殊沙華祭

曼殊沙華祭 (埼玉日高・巾着田

 こういうのは「説明要らず」です。

 平日だったせいか、道が渋滞していませんでした。

 休日は飯能のムーミン谷に行く客足と被るので、日高周り、飯能回りの両方で動きが取れなくなると思います。

 混雑を見越し最初から臨時駐車場に入れましたが、園内駐車場も空いていました。駐車料金は内外とも五百円。

 数年ぶりだからというわけではなく、花の出来が良かったです。

 ま、見物するなら、今週中でしょう。

 ちょうど盛りのピークをほんの少し過ぎたばかりでしたが、奥の方は見頃でした。

 感染対策なのか、出店は出ていません。

 通常は何万人の人出なので、賢明な考え方です。

◎夢の話 第1K61夜 山津波

夢の話 第1K61夜 山津波

 二十八日の午前三時に観た夢です。

 

 豪雨が三週間に渡って降り注ぎ、多くの国土を押し流した。

 ようやく晴れ間が出ると、今度はカンカン照りに。

 乾燥してみると、山や田畑が崩れ、地中にあったものが地表に出ていた。

 ここで人々の注目を集めたのが金剛山だ。(実在のそれではない。)

 金剛山は山の三分の一くらいが崩れていたが、そこには石英の大鉱脈が露出していた。

 そのニュースが広まると、すぐに多くの人が金剛山を目指した。

 石英の鉱脈には、金が含まれていることがあるためだ。

 実際に幾人かが「金を掘り出した」ニュースがメディアに出ると、麓の数キロ手前から車が道路に数珠繋ぎに停められた。

 麓には数千人の「欲に眼がくらんだ人たち」が取りついた。

 俺は何の気なしに見物に行ったのだが、渋滞の列に嵌ってしまったので、見物を止めて戻ることも出来ず、崩れた山斜面の一角に車を停めた。

 山肌には、千人を超える人が取りついて、土を掘っている。

 土は乾燥し切っているから、硬く固まっている。かなりの重労働だ。

 そのせいか、些細なことで騒動が起き、あちこちで怒号が渦巻いていた。

 殴り合いのケンカを見て、「あさましいな」と思ったが、この地を見物に来た俺だって、頭のどこかには欲があったから、大して違いはない。

 

 ここで、ふと横を向くと、先ほどの山斜面に車数百台がきちきちに停められていた。俺の車のその中だ。

 「方向転換すら出来ぬから、どうやって車を出そう」

 少しく思案させられた。

 

 この時、俺の後ろに何時の間にか男が近づいていた。

 男は俺の背後から呟くように言った。

 「いずれにせよ、この場所は早く離れた方がいいと思うね。ほら」

 男が指差した先は上空で、空には雲が渦巻いていた。

 深く暗い雨雲だった。

 「ありゃ、雨が降るのか。それじゃあ、ここはヤバイよな」

 山崩れの跡だし、地盤がもろい。雨が来れば、また崩れる。

 俺の頭の中で、濁流に車や人が流されるイメージが膨らんだ。

 

 「不味いな。とっととここを離れた方が良さそうだ」

 だが、車を出すには、前後の車を押しやるしか手は無さそうだ。

 頭上で「ごろごろ」と雷が鳴る。

 「車どころか、すぐに走って逃げた方がいいかもしれんな」

 今なら1キロ先くらいまでは行ける。

 

 雨がぽつりぽつりと体に当たる。

 気が付くと、さっきの男は姿を消していた。

 ここで覚醒。

 

 「あの世友だち」が「祟りの雨を降らす」と言っていたのは、この十月からだ。何が起きるのかは知らない。

 天変地異なのか、あるいは戦争など人事のことなのかさえも分からない。

 だが、それが「一部のひとを選んで拳を振り下ろす」という理不尽なやり方だということは分かる。

 あの世での最大の罪は「嘘や欺瞞」だから、この先はとにかく正直に暮らすのが良さそうだ。自分を正当化するために小理屈をこねるのもダメだ。

 

 夢の「男」(たぶんアモン)は常々、「ソドムとゴモラ」を口にしていた。「ソドム」は「ソウル」だというのは容易に想像がつく。この世の嘘つきの巣窟だから、雷を落とす対象にはなりそうだ。

 一方、「ゴモラ」が何を指すのかが分からぬのだが、まさかこっちじゃないだろうな。ゴモラと言えばウルトラ怪獣だ。おいおい。

 こんなのはまるで「気の触れた者の語る世迷いごと」だが、悪魔アモンは現実に存在している。

 幽霊も同じで、実際にはっきりと見るまでは信じられぬ話なのだが、繰り返し実際に見てしまえば、そこから先は「現実の一端」になる。

 この世の理屈など何ひとつ通用しないし、宗教の語る世界観など「単なる想像」に過ぎぬ。助けてはくれない。

 私はこの一年で散々思い知らされた。

◎誰の声なのか

ガラス窓に映る私自身を撮影した画像。周囲に人が一人もいない状況で撮影した。

誰の声なのか

 六十歳を越えたところで、「突然自死する」というケースを調べている。

 タレント・俳優なら、ダチョウUさんとか、俳優のWさんが記憶に新しい。

 ところが、一般の勤め人でも、定年後にぽっくりと自死してしまうケースは割とあり、自死率カーブのちょっとした波になっている。

 仕事の一線を離れ、役割が幾らか軽くなるのだが、ちょうど体のバランスも変わる頃だから、心身が変調することが背景にある。

 家族や知人が口を揃え、「そんなに深く悩んでいたとは」と驚くケースだ。

 ダチョウUさんの場合は、アル中気味だったようだが、これには喜怒哀楽の波が激しくなるという症状がある。Wさんの方は、同じ年齢層からみると健康そのもののように見えるし、仕事も順調だった。何に苦しんでいたのかが分からない。

 

 生活苦のような直接的負担が無い方が「ふわっと自死する」ケースが多いのだが、目の前に課題があれば、悩んでいる場合ではないからだろう。

 今月のやりくりを考えている状況では、内省する暇など無い。

 あるいは、持病があったりすると、そっちの対応に気を取られるから、やはり悩んでいる暇はない。

 

 だが、やはりこの年齢層には、皆に同じような危機があるようだ。

 私は割と我慢の利く方だが、やはり時々、「このまま生きていても仕方ない」と思うことがある。

 ま、私のような境遇だと、自ら死を選ばずとも、治療を放棄しただけで、自然死できる。温泉に逃避行を十日もすれば、その先で死ねる。

 

 自死を選ぶ時、たぶん、頭の中では「声」が聞こえていると思う。

 もちろん、自分の声だ。

 「この先には何もない」

 「生きていても仕方がない」

 「もう疲れた」

 私の場合は、こんな考えが頭を過ぎった時には、習慣的にこう考えるようにしている。

 「これは果たして自分自身の考えか」

 「誰かが、絶望感を吹き込んでいるのではないか」

 

 常に注意深く自分と周囲を観察している内容は、こういうことだ。

 幸か不幸か、私は「自分ではない誰か」が寄り付いている場合は、それを認識出来る。

 「感じる」という次元ではなく、写真に撮れるから、実体として存在を認識できる。

 「怒り」や「憎しみ」、「悲しみ」「絶望感」に「苛まれる」という言い方があるが、「苛まれる」には多く他動の意味が含まれている。

 

 これまで、人の肩の後ろに「人影(幽霊)」が取り憑いている画像を沢山撮影して来たが、あれは間違いなく、「誰の身にも、日常的に起きている」ことだ。ただ、それと気付かぬだけ。

 まるでホラー映画みたいだが、こういうヤツは直接その人に何かをするのではなく、「心に働き掛ける」部分が大きいようだ。

 自死を考える人には、同じように自死した者が寄り憑き、「もう死んでしまおう」と囁く。まるで自分の声のように聞こえるので、殆どの人はそれが自分自身の考えや感情だと誤認する。

 この場合、自分の経験したことと同じことをさせようとすることの意図は、経験と感情を共有することで、魂が肉体から離れた後に同化(一体化)しやすくするためだろうと思われる。

 幽霊には自我を強くする手段である五感がない。何らかの手段で補強しないと、自我が崩壊してしまうから、他の者の自意識を自分に取り込む。

 生きている者はこの理屈が分からないから、「悪霊が災いをなさしめ、最期はその人を殺す」みたいな発想をするのだが、幽霊にとっては人の生き死になどどうでもよい。自分自身が既に死んでいるのだから当たり前だ。

 幽霊の振る舞いは、「自我(自意識)を失うまい」とすること、すなわち、幽霊としての生き残りを目的として、他の幽霊や生きた人間にしがみつく。

 

 さて、こういうのを分離する方法は簡単だ。多くの場合、お祓いや祈祷は必要ない。

 ただ、「これは自分自身の気持ちなのか」と問い、、自分の考えと他者の考えとの間に境界線を引くことだ。そして、次に誰か別の者の思いを「これは自分の考えではない」と否定することだ。

 「絶望を吹き込んで来るのは、けして俺自身ではない」

 「お前は誰で、どこから来た」

 相手との間に線を引き、別人格として追及することが重要で、「憑きもの」は自分と同化できぬと判断すると、自ら離れて行く。

 「あの世」ときちんと向き合い、対処を心掛けることの効用はここにある。

 

 その手続きを通じて、結果的に、自死しようという気持ちが失せている。

 「生きててナンボだ。今はどんなに苦しくとも、生きていればよくなることもある」

 それをただ単に「あの世の所在を信じる」程度の次元ではなく、「現実」として眺めることが必要だ。

 そしてそのためには、きちんと画像に残すなど、事実を集め証拠固めをすることが重要だと思う。

 

 ひと言で言えば、あの世観察の効能は「いたずらに人生を諦めずに済むようになる」ということだ。