日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「新年盆回し抽選会の結果報告と次回の開催要領」

◎古貨幣迷宮事件簿 「新年盆回し抽選会の結果報告と次回の開催要領」

 土曜日の「白富士ステークス」が、盆回し抽選会の対象レースでしたので、結果を報告します。

 結果着順は冒頭の図の通り。権利保持者の選択数字に該当したのがお一人おられ、5等当選となります。(HN:段々腹さん)

 今回のレースは、例年十数頭しか出走しないレースですが、今年はわずか10頭でした。よって、5等までの当選確率が1/2となり、「当たるか外れるかする水準」となります。

 座主としては「出るだろうな」と思っていたので、少し意外でした。

 ちなみに、私は唯一の取り柄が「直感」なのですが、今回の予想は「8の辺り」でした。結果、1着は「7」で、前回に引き続き1番違いでした。

 なお「8」は希望者が居られたのでその方が権利を持ち、5等に当籤しています。

 まあまあの筋ですね。

 私個人の代替数字は「3」でしたが、こちらはかすりもせず。

 座主としては、権利保持者が5名いた割には、当選数が少なかったという印象です。

 一等が出ると、「抽選会」および「ウェブを通じての売却」を終了する予定ですので、この抽選会が最後という認識でした。

 しかし、今回も一等当選が出ませんでしたので、翌月も続行となります。

 要綱は図の通り更新し、数日中にウェブサイトの方に上げておきます。

 現状の問題は出品処理に手が回らぬことですが、出走頭数が少な過ぎたりすると、逆に確率の問題で出品の手が止まってしまいます。

 

 さて、三度目の正直で、そろそろ1等が出る頃ではないかと思います。

 次は上手く引き当てて下さい。

◎NHKの七不思議

NHKの七不思議

 たぶん、「七」では済まず、最後は「百八つ」まで行くと思う。NHKこそ煩悩の塊だ。

 

 かつて、「訪日窃盗団の被害に遭ったことがある」のが原因で、私は「嫌韓」を超える「憎韓」人だ。

 だが、もちろん、目の前の個人に対し差別をすることはない。

 病棟には韓国人看護師がいるが、この人にも分け隔てなく応対している(つもり)。

 私は書くことは粗暴だが、口頭だと「人当たりの良い常識人」だ(これも、つもりだが)。

 その看護師には何だか「好意的なひと」だと思われているらしい。最近、この看護師が、時々、ベッドに来ては無駄話をして行くようになった。

 

 「おいおい。俺は嫌韓×2以前に、男の看護師とは話をしないんだよ」

 と思うが、もちろん、これも素振りには出さない。

 

 独身の看護師は、アパートに一人暮らしをしているが、「NHKの料金を払っている」と言う。

 「だって、煩いし面倒ですからね」

 「でも、一年の内にNHKをどれくらい観るんだよ」と訊くと、

 「一時間も観ませんね。紅白も観ませんでした」とのこと。

 そりゃそうだ。

 そもそも二十台の若者がテレビを観るわけがない。

 そして紅白を観るのは、どっちかと言えば地方の高齢者なのだが(たぶん)、この前のを見ると、出演者が若手に偏ってる。

 おまけに韓流歌手も並べてら。

 この辺の神経がまったく分からない。よほどのウマシカか。

 もう一度書くが、NHKの企画って、よほどのウマシカなの?

 

 「若者はテレビもNHKも観ない」ことが分かっているのに、若者向けの歌を歌うヤツを並べたって、視聴率がダダ下がりに下がるだけざんしょ。

 オヤジ・オバサン、ジジイにババアに観てもらうしか、この日の視聴率を上げる手立てはない。

 なら沢田研二さんとか堺さんとか、昭和の歌を前に出せばいいじゃんけ。「昔の歌は歌わない」という沢田さんを口説いて、「勝手にしやがれ」、堺さんには「街の灯り」を歌って貰えば数百万人の視聴者が増える。

 となれば、あとはジュディ・オングさんや、渡辺真知子さんだべ。

 

 韓流を好むのは、十台二十台の若者で、総数だって数十万しかいない(きっと)。そもそも大晦日に若いのがテレビなんか観ておらず、酒飲むか元朝参りに行きますって。

 ちなみに「NHK紅白歌合戦」の視聴率は、第1部 (19:30~20:55)31.5%、第2部 (21:00~23:45)34.3%。合計では過去ワースト2、第2部だけでみると過去ワースト。

 「裏紅白」で最多の視聴率を挙げたのはテレビ朝日の『ザワつく!大晦日 一茂・良純・ちさ子の会』で、第1部(18時~20時)の世帯視聴率が11.2%、第2部(20時~23時)の世帯視聴率が10.0%だった。

 懐メロ歌手を多数出演させたのがテレ東の『年忘れにっぽんの歌』だが、これが6・6%(個人3・7%)(後7・00~10・00)で例年より2ポイントくらい低く、「孤独のグルメ2021大晦日スペシャル 激走!絶景絶品・年忘れロードムービー」=6・1%(個人3・5%)(後10・00~11・30)がかなり健闘した。

 テレ東は必ずしも全国ネットとは言えないから、もの凄く成績が良いと言える。

 東北、北陸や九州南部は、そもそもテレ東自体が観られない。 

 NHKって、万事に渡り「感覚がズレている」と思う。

 

 表題より、かなり脱線した。

 韓国人の看護師の語るNHKの不思議なところ」とはこれだ。

 

 NHKの七不思議(その1)

 「引越しした、その月のうちにNHKの集金人が『契約してください』と言いに来ること」

 誰か新居者がいるかどうかを常に見張ってでもいるのか?

 

 私の答えはこう。

 「NHKは毎日、地域を見回って、新しいひとが入るかどうか監視しているんだよ。そこで人件費がかかるから、NHKの料金はケーブルテレビよりずっと高い」

 「不払いなら二倍請求にするっては酷いですよね」と言うが、その通りだ。

 そもそも、年間最高視聴率を取る(たぶん)「一年に一度、数時間の番組」の率が3割程度しかない。

 年間にNHKを観る時間が「ほとんどない」人の割合はどれくらいになるのだろ。3割ではきかんよな。

 これで強制的に金を取ろうという。

 看護師には「もしそんなことを本当にやるなら、その時は『NHKが焼け落ちる』ように祈願してやるから心配するな」と答えた。

 ちなみに、「焼いてやる」と公に言うと、威力業務妨害みたいなのに引っ掛かるが、それを「祈願する」と言うと実効性が無くなるから、大っぴらに言っても大丈夫らしい。

 

 さて、一部を除き、政治家が真面目に「放送法の改正」を訴えているケースは少ない。

 こいつら、NHKから金でも貰っているのか?

 これは揶揄ではなく純粋な疑問だ。そうでもなければ、普通はこんなに不満が高まっている問題を政治家が放置することはない。

 次の選挙で「放送法の改正」を謳えば、票がどんと集まるのだから、早速主張すべきだ。
 (「こいつら─」の部分は、今後は定型句で行く。)

 

追記)NHKは韓国人に似ている。「嫌がらせをして、相手が折れるのを待つ」という手法は韓国人の振る舞い方 そのものだ。

 と書いて、「ああなるほど。だから韓流を紅白にゾロゾロ出すわけだ」と納得した。

 同類なんだな。

◎七百年という時間

七百年という時間

 所用で狭山市の駅前まで行くと、狭山八幡に参拝するのが定番コースになった。

 境内でこれまで立ち寄っていない場所は、石造りの階段の上だけだったが、ここには「新田義貞駒繋ぎの松」があるという。

 ま、こういうのは、かなり時代が下ってから、当地の人の推測で定められたものだと思う。

 「八幡神社があり、馬で来た者のための馬溜(留)がこの地だった」

 「新田義貞八幡神社に参拝した」

 この根拠があれば、馬溜の地に生えていた「松に馬を繋いだ」のは容易に想像がつく。

 推測に基づくことと、松の木が何代も生え替わっていることから、公的な史跡指定はされて来なかった。

 

 だが、七百年前と現代を繋ぐものであることは疑いない。

 後醍醐天皇新田義貞に「鎌倉幕府追討」の命を下し、義貞がここまで進軍して来た。

 すぐ近くを鎌倉街道が通っているが、既にその頃から関東全域から鎌倉に向かう主要道だったとのこと。

 

 今を生きる者が想像出来るのは、せいぜい四百年前の戦国時代くらいまでで、それからさらに三百年前になると、今にどう繋がっているのかがサッパリ分からない(実感がない)。

 自分が消費した時間は半世紀ちょっとだが、その感覚なら「百年などあっという間」だと思うわけだが、それも様々な情報が入って来るからそう感じるだけのような気がする。

 昔の人の生活ぶりは、一生を通じ、それほど変わらなかっただろうから、体感的な時間の経過はゆっくりしたものだったのではないか。 

 

 とはいえ、ひとの一生が概ね四十数年だった時代だ。

 その頃の人は、どんなふうに一生の時間を眺めていたのだろう。

 ちなみに、ほんの少し前の昭和の時代だって、六十を過ぎた人は腰の曲がったジジババに変じていた。今は六十で「年寄り」とはやや失礼に当たりそうなくらい若く見える人ばかりだ。

 四十どころか六十でも「不惑」に達したとは言い難い。

 ちょっと言葉足らずだが、日記を推敲してはいられない。私の使える時間は限られているから、とにかく前に進むしかない。

 

 脱線した。

 ガラス映像の「自分チェック」では、曇りの日と言うこともあり、ほとんど認識出来ず。ま、ガラス映像でTPOが合致するのは、百枚のうち数枚だ。

 この日は黒玉が少し出ているかもしれぬが、はっきりしない。

 ちなみに、煙玉は「ほぼ自然現象」もしくは「付帯現象」なのだが、「黒玉」は幽霊そのものだ。もし黒玉の所在を感じたら、それが何者で、どういう意図を持つ者かを見極める必要がある。

 実践している人は少ないだろうが、根気よく続けていると、そのうちはっきりしたものが撮れる。いざ始まると、次々に写るようになるので、自分の周りにある環境をよく見回してから撮影する習慣をつけると、錯覚や見間違いによる時間ロスを減らせる。

 いずれ自分に抱き付く幽霊の姿が写ると思うが、驚く必要はない。

 幽霊が関わろうとすること(憑依、みたいな)は、特別な場所、特別な人にだけ起きるのではなく、日常的に誰の身にも起きている。

 このため、いわゆる「スポット」みたいな捉え方にはあまり意味がない。

 どこでもいるし、ただ「TPOが合わぬと見えない」と言うだけの違いでしかない。

 幽霊が寄り憑くことは日常的で、だからと言って何が起きるわけでもなく、ただ心に圧力や変化を受ける程度の違いしかない。

 もちろん、例外もあり、幽霊が生きた者の心を乗っ取ろうとする場合には、はるかに積極的に関わろうとして来る。よって、接近して来る「意図を量る」のは重要だ。

 必ず原因があり、殆どの場合、当人がそれを作っている。多くはその人の「邪な心」による。

 幽霊の所在に驚き、すぐに神仏や祈祷師に頼ろうとする人がいるが、それも「他力」に過ぎず、実際にはあまり効果がない。圧力を掛け一時的に遠ざけるだけのことで、本人が変わらぬ限り、必ずまた戻る。

 基本は「自分なりに立ち向かう」ということだ。

◎ジェノベーゼ、からの

ジェノベーゼ、からの

 パスタのジェノベーゼのレシピを見ている時に、パッと思い付いた。

 「バジルを置き換えると、別の素材でも作れる」

 我が街「狭山」なら、お茶だな。

 ま、抹茶系のパスタソースなら、既に幾らでもありそうだ。

 だが、生茶葉をミキサーにかけて潰してソースにするのは、お茶どころでないと出来ない。

 もちろん、生茶葉を使うとなると、茶所で、かつ季節を選ぶ。

 お茶の若葉の採取時期は一年に幾度かあったと思うが、その時期だけ食べられる。

 「場所と季節を選ぶ」のは、今の時代は差別化に繋がるから歓迎だろ。

 地産地消で、狭山でも地域産品の開発が奨励されているが、殆どがスイーツだ。お茶のスイーツの完成形が「キットカット」だから(異論は様々)、あれには勝てない。

 なら別路線に突き進む方が面白そう。

 

 すぐに試作しようと思ったが、生憎、今は生茶若葉が手に入らない。

 それなら、中間型で施策を積み重ねて置くに限る。

 「バジル」の代替品なら「春菊」で良さそう。

 

 春菊を潰し、ナッツとジャガイモを加える。あとはオリーブオイルと粉チーズの流れで、ジェノベーゼのつくり方に沿っている。具には海老を使った。

 地産地消を念頭に置くなら、ナッツは「落花生」だ。この辺はこれもよく栽培している。あるいは、飯能の「栗」。

 いずれも舌触りを滑らかにするために、下茹でする必要がある。

 

 実際に食ってみると、春菊も悪くない。

 春菊は生で食べると、聞くの香りがまったく無いが、熱を加えると、ほんのり菊花の匂いがする。

 味が淡いので、隣にベーコン料理か、鶏のココナツソース焼きみたいな味の強いものを添えると良さそう。

 チーズや肉系を控えれば、ヴィーガンハラールの人にも対応できる。

 今のところ、アクセントが何か足りないが、お茶の季節までに考えることにした。

 

 ちなみに、春菊最強説はあながちイケてるかもしれん。

 大概の香味野菜の代わりになる。

◎デビ夫人、ウクライナに行く

デビ夫人、ウクライナに行く

 私の「尊敬する女性」の筆頭がこのデビ夫人だ。

 スゲーな。さすがデビ夫人は行動力が違う。

 ひとは誰でも色んなことを思い立つが、それを即座に行動に移せるところはすごい。

 その行動の是非や、このひとの人格に対する好き嫌いは別として(人それぞれ)、尊敬に値すると思う。

 

 この人は齢七十七くらいの時に、人生初のバンジージャンプや、スカイダイヴィングを敢行した。

 今は知らぬが、七十台の時には、普通に男性に言い寄った。

 あと十何年か後に「デビ夫人と同じことをお前が出来るのか?」と訊かれると、「たぶん、俺にはできない」としか答えられない。

 

 私がこの人を尊敬する理由は、「いつも堂々としている」からだ。

 他の人には色んな悪口を言われて来たし、今も言われるだろうと思う。それが本人にも届いているだろうと思う。

 だが、どの局面でも、この夫人は堂々としている。

 心中では幾度も凹んでいいると思うが、それが態度や物腰には出ない。

 

 ある意味、この人は生き方を教えてくれる。

 けして口先だけのヤツではないのだな。

 常に「破れかぶれ」なところもステキだ。

◎まだ大丈夫

まだ大丈夫

 「生き死に」に関わった時には、あの世の者が寄り憑き易くなるから、すぐに八幡さまに参拝した。

 やはり予想通りだが、視覚的には鮮明ではなく確認し辛い。

 ま、今は触覚が助けてくれるので、周囲にわさわさと寄り集まっているのは分かる。

 あの「声」の持ち主はいち早く気付いて、唾を付けようと思って先走って行動したようだ。

 「もう誰か見たからね。俺の方が食いますよ」

 と、釘を刺して置いた。

 

 少し気が楽になったのは、「相棒」が傍にいるという実感があることだ。これなら、別の者に引かれてしまう可能性は小さい。

 周囲の患者を見ていると、「昏倒するようになると、もはやひと月ふた月」なのだが、まだここも乗り越えられるかもしれん。

 有機体の機能には限界があるが、私の特技はあの世を動員出来る点にあるから、最大限まで引き延ばす。

 

 「この人」に関わる宿縁は、他の者には意味がないし、見えたり感じ取れたりしないものだ。よって、私自身分かり、役立てればよいので、説明も無し。
 事実上、私の見ているものは、他の人にとっては単なる幻影であり妄想だ。

 だが、これがあるから、私は生きていられる。

 

 一点だけ分かりやすいところは、ガラスの向こうに室内の物が見えるのは当たり前だが、反射面で、私の背後にあるはずの柵が私を透過して見えている。

 ひとの姿が半透明になるパターンには、様々バリエーションがあるようだ。

◎またも生きてた

またも生きてた

 ツイてる。また死ななかった。

 火曜は通院日だったが、治療中にトイレに行きたくなったので、一旦、中断して貰った。

 中断する時には、途中の計量があるので、体重計に乗ったが、乗った瞬間、体がゆらっとした。

 覚えているのはそこまでだ。

 次に目を覚ますと、ベッドの上に寝かされていた。

 看護師に聞くと、体重計の上で意識を失い、倒れそうになったので、その看護師が抱き止め、三人がかりでベッドに運んだのだそうだ。

 倒れた理由は「血圧の降下」で、その時点では上が60くらいだった。

 一時間くらいそのまま寝ていたが、ようやく120に戻った。

 強制的に除水しており、保水バランスが崩れることから、血圧が異常に下がることがある。血圧が著しく乱高下するので、心臓に負担がかかり弱って行く。その兼ね合いで、急に下がることがあるようだ。

 血圧が下がると脳に血液を送れなくなるので、意識を失う。

 前駆症状は、心筋梗塞の時とは順番が違う。

 

腎臓疾患からの低血圧症による心不全の場合

1)腹具合が悪くなる。

 理由なく下痢をする。

2)胸部症状

 鳩尾が重くなる。あるいは冷たくなる。

 痛くはならぬので、心臓病ではなく胃炎だと思う人が多い。

3)意識障害

 うまく考えられなかったり、意識を失ったりする。

 この間、血圧が下がっている。 

 

心筋梗塞の場合

1)血圧が上がる(か極端に下がる)

2)胸部症状(重いか冷たい)

3)脇の下、首が重くなる

 意識がはっきりしており、苦痛を感じるのは最終局面で、胸が苦しくなったら、もはや救急車を呼んでも遅いことが多い。

 

 起きられるようになってから、トイレに行ったが、胃から腸内にあるものを総て排出した感じ。

 テレビで病気の象が水辺で死ぬ時に、全部の便を輩出して死ぬのを観たことがあるが、死に間際ではそうなるらしい。

 死体はすぐに悪臭を放つが、腐敗臭の原因は概ね排便によるものらしい。

 ベッドに寝ている間、「死に間際の象」のイメージが頭に渦巻いた。

 

 血圧の低下が原因で心臓がおかしくなるのは初めてだ。

 発症パターンが梗塞系とは違う。

 これに体が慣れぬので、帰宅してからもずっと横になっていた。

 こういうのが増えて来ると、もはやカウントダウンの始まりを意味する。七十台以降なら、ここからはひと月ふた月。

 私はまだ若いから、もう少し持つかもしれん。

 生来、私は意志が強い方で、方向性が分かれば、スパッと調整出来る。よって、さらにもう少し伸びるかもしれん。

 純粋に身体機能の問題なので、その範囲で改善する他はない。

 

 先週から腹具合が悪く、下り気味だった。

 あれは腸の調子が悪いのではなく、循環器系の不具合によるものだったか。

 ま、一度はニトロ錠剤を舐めるくらい、心臓の不調が先行していた。

 病気には必ず前駆症状があるから、それに気付けるかどうかが生死を左右する。

 

 病棟では、私と同じように倒れて、床に頭を打ち、脳出血に至った人がいるし(その後死んだ)、心臓の病院に運ばれて緊急手術を受けた人もいるから、まだ幸運な方だ。

 看護師がオヤジで体力があり、私の体を支えてくれたから、頭を打たずに済んだ。

 その辺、本人は暗闇の中で、まったく記憶がない。

 

 せっかくなので、少し脱線する。

 十日くらい前に響いたあの「男」の声は本物だった。

 「死ぬぞ」「あぶねえぞ」

 (実際にはよく聞こえず「※※ぞ」「※※※ぞ」。)

 ああいう時に、意図や意味をスパッと解釈できるなら、それを手掛かりにして、自分自身も他の人も助けられると思う。

 この世の者ならぬ者の「声」なら、いつもふんだんに聞いている。

 今思えば、ひと頃の絶好調ぶりは「たまたまサイクルが合っていただけ」だった。周期が少しずれると、バタバタになる。あれが「燃え尽きる前の蝋燭の炎」でなくて本当に良かった。

 

 さて、「死ねば終わり」と言う人がいるが、それはあの「スイッチが切れた後」の暗闇がずっと続くということだ。

 一定期間の後に「再び自我が目覚める」なら、心を落ち着かせることが出来る。やり直しではないが、修正が出来そう。

 「ふうっと意識を失ったまま虚無に戻る」としたら、それこそ死は恐怖でしかない。

 「死ねば終わり」と嘯く人は、「見ないようにしているだけ」だというのは周知の事実だ。

 ま、死んでも終わりにはならないから心配するな。

 数日から十数年くらい、暗闇で眠っている期間はあるが、その後、必ず自我が目覚める。もちろん、その時には脳を失っているから、理屈でものを考えることは出来ない。その時、あるのは心だけ。

 生きている間に、頭以上に「心を磨く」ことが必要で、実際に役に立つ。

 

 まずは今生きていることに感謝。いずれにせよ残りはもう少ない。