日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎いわし雲?(431)

f:id:seiichiconan:20190921025653j:plain
f:id:seiichiconan:20190921025724j:plain
f:id:seiichiconan:20190921025750j:plain
◎いわし雲?(431)

◎いわし雲?(431)
 いよいよ秋らしくなって来て、夜は肌寒いほどだ。
 つい幾日か前には35度まで気温が上がったから、変化に体がついていかない。
 買い物のために外に出ると、空には秋の雲が出ていた。
 「これは何雲だったか。鰯雲?」...
 もはやすっかり忘れている。

 8月の危機は「ほぼ終わった」ようだが、気を抜いていると、たちまち「お迎え」がやって来る。警戒を怠らないようにする必要がある。
 少し遠回りになるが、やはり神社に参拝した。
 いつものように神殿前で撮影しようと、ファインダーを覗くと、目視で人影が見える。
 「ついに完全な証拠写真が撮れるのか」
 まずそこで撮影。
 神殿前では、「私はもはや死者の仲間です。この後は常に死者の側に立ち、死者たちを助けることに精進努力します」と祈願した。
 中から祝詞の声が聞こえるから、誰かが祈祷をお願いしているらしい。
 駐車場で確認すると、しかし、画像には「しるし」は出ていなかった。
 大きな巫女姿の女と、神殿前に立つ死者(これも女)の姿を見ていたのに、画像には残っていない。
 ここで、ふと気付く。
 「なあるほど。元々、既に4時半を回っているから写り難くなっているのと、祝詞を上げているからだな」
 祝詞やお経には「念」が込められるから、それが圧力となり死者を遠ざける。
 ま、理由はどうであれ、写真を撮影した時に何も異変が起こらないと気が休まる。
 生きる者にとって最も望ましい暮らしは、ごく平凡で何もない日常だろうと思う。
 日々をただ自分のためだけに使える。