日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟にて

◎病棟にて

 今日から病棟での食事を「ガラモンさん」の前で摂ることにした。

 一応、席は決まっているのだが、看護師が男性と女性を無理に分けるので、男性席がきちきちになっている。それを嫌い、勝手に他人の席に移動するジジイがいるので、トラブルになりそうに。この辺、死期が近い者同士なので、自我が剥き出しだ。

 先日、元大学教授だというジジイ(嘘だね)が勝手に他人のトレイを触るので、つい切れて蹴りそうになった。しかし、おしめをしているジジイなので、蹴ったら死ぬ。

 そこで、看護師に言い付け、この後は「誰かを殺さないために」好きな場所で食べることにしたのだ。

 看護師は決まりを曲げたくないから最初は断ろうとしたが、「俺がジジイを蹴ったらお前のせいだ」「大体、おしめしているジジイはオシッコ臭い」と言って押し切った。

 小さい話だが、顔を付き合わせている関係では、そういうのが刃傷沙汰なる。

 しかも、耄碌して、程なく粗暴になる老人だ。

 自分の父母なら丁寧に接するが、他人なら腹が立つ。こういう場面でもし「長幼の礼儀」を語ったら、問答無用で蹴る。ここは「生き死に」の場面だから当たり前だ。

 こっちも「明日」は無いから、条件は同じだ。

 

 そもそも当方は比較的早く終わるので、普段は食堂にほとんど人はいない。

 どこに座っても良いのだが、やはり「ガラモンさん」の指定席の前にした。

 ここではガラモンさんが唯一、「心臓が止まったことのある」仲間だし、話も合う。

 「オヤジが目の前に座ったら嫌ですか」と断ると、「全然大丈夫だよ。ここでは一番若い方だもの」との返事だ。そりゃそうだ。一番多いのは70歳前後。

 すると、そこに別の女性患者が来て、三人で食事をすることになった。

 やはり、話題は病気の話になる。

 

 「テレビで26歳の時に腎臓を悪くした人が移植を受ける話をやっていたよ」

 家族から腎臓をひとつ貰ったとのこと。

 20台30台で腎臓を壊す人は、腎臓だけが悪いから、比較的長く生きられる。

 感染症等で腎臓病になった人だ。これは基礎体力があるから20年30年生きられる。

 でも、実際に病棟にいるのは、「他の病気が原因で腎臓が悪くなる」ケースだ。

 当方のように心臓の病気で造影剤を多用して腎疾患になったり、抗生物質の影響でなった人もいる。血が必ず回る臓器だから、強い薬を使うと必ず異常が出る。

 こういう患者は、本来の持病があるから長生きは出来ない。

 心臓病だった人は、やっぱり心臓病で、肺が悪かった患者は肺炎で死ぬ。

 この場合、直接の死因はそっちの病気になり、腎臓病の統計から外れる。

 透析患者の余命は「50台で20年。60台で10年」と言われるが、他の病気の関連もあり正確ではない。当方がこの病棟に来て4年だが、最初は20人目くらいだったのに、今は古株から3人目か4人目だ。あとは入院病棟に移り、そのまま戻って来ない。

 

 前にも書いたが、病因の方も、既往症で糖尿病の持病が少しでもあれば、腎臓病になった理由は「糖尿病から」と書かれる。

 当方の心臓医は「生き残るためには、複数回治療をする必要があるが、造影剤の影響で腎臓に影響が出ます」と言っていたのに、その通り腎臓が壊れると、診断書には病因を「糖尿病」と書いていた。ちなみに、当方は「血糖が少し高目」の範囲で、それまで薬を少量服用しただけだ。

   そう書く理由は「医師が訴えられないようにするため」以外にない。

 薬が原因なら「医療過誤」で告訴するヤツが必ず出るから、本能的にそう書く。

 その意味で「生活習慣病」は便利な病名で、要するに「自己責任だよ」と言いたいわけだ。責任を回避するにはよい言い訳だ。

 統計にはとかく「からくり」があるから、新聞や雑誌のレビューを読んでそれを鵜呑みにすると、実態とはかけ離れてしまう。

 当方の周囲は、皆、ステロイドを使用して、一発で腎不全を起こした患者たちだ。

 こういうのは、例えば「風邪を引き、肺炎になり、それを治すために薬を使った」ことが原因で、ひと月で腎臓が機能を停止する。

 

 こういうわけで、実態はまるで違い、複数の持病を持つ患者は「余命5年」がいいところで、「腎臓病だけ」の患者とはまったく違う。

 そこで腎臓移植の話になったのだが、要するに「家族に適合する人がいた時に腎臓をひとつ貰えるか」という問いだ。

 当方は「20台30台で、先がある若者ならともかく、50を過ぎたら他人に寄りかかるのはやめるべきだ」と思う。もちろん、「自分自身について」だけの話だ。

 報道されるのは成功例だけで、うまく行かなかったケースについては知らされない。

 だが、成功率は「あまり高くない」ことを患者は知っている。

 その場合、誰かの腎臓ひとつは、そのまま「捨てられる」のではないか。

 

 また「健康な人は腎臓がひとつあれば生きられる」と言われるが、健康な時だけだ。

 過労や風邪で体が弱った時に、ひとつで耐えられるのか。

 ちょっとしたことでパンクする臓器だから、与えた側のリスクが異常に高まるのではないか。

 20歳台の息子や娘のために親が腎臓を提供するのは、別に当たり前だと思うが、50台60台で「誰か」から臓器を貰うのはどうなのか。

 やはり、ガラモンさんやもう一人も「もう充分生きたよね」という意見だった。

 先の乏しい「生」にしがみつくことほど見苦しいことはない。

 もし臓器移植のチャンスがあるなら、「若い人に譲る」のが年寄りの務めだと思う。

 

 教訓は、以上の話の流れとは違うが、複数の薬を併用する時には、「よくよく効能書きを読むこと」だ。

 風邪を引き、市販薬を飲んだ。肌に湿疹が出ているから、外用薬を塗布した。

 これで、1週間後に腎臓がおかしくなるとは、健康な者には想像できない。

 とりわけ抗生物質には、合う・合わないがあるから、使用薬についてよく調べること。

 ひと月後には透析患者になっている可能性がある。

 

 目の前にあるのは平坦な道だと思えるが、実は階段かもしれない。

 不用意に足を踏み出すと、転げ落ちる可能性がある。

 

 ガラモンさんは、ずっとニコニコしていた。

 確かに、当方みたいなオヤジジイでも、ここでは若手だ。