◎必要なのは事実(437日目)
「死後は果たしてどうなるのか」という疑問に対する、最も確実な答は、「事実を積み上げること」によってもたらされる。
「どういう背景があって」などという検証しようのないストーリーは、まったく意味をなさず、必要も無い。「あの世」に関する因果論的説明など不要なのだ。
私自身、「たぶん、こういう人だろう」と思い描いたことを書くが、いつも断っている通り、そういうのは「気のせい」「想像や妄想」に過ぎない。
幽霊は「人間の可視域、可聴域の境界線にまたがって存在している」のは疑いないが、そうなると、人間には「見えない」「聞こえない」部分が必ず存在するということになる。
その意味で、幽霊を自由に感知できる「霊能力」などというものは存在しない。
見たり聞いたりする側に特別な能力があるから、その存在を確認出来るのではなく、幽霊の側が可視・可聴域の側に寄って来て貰わなくては、人は認識出来ないのだ。
すなわち、ボールは人間ではなく、幽霊の側が持っているということだ。
その証拠に、これまでの自称「霊能者」の誰一人として、「幽霊を出して見せられた」者はいない。それどころか、多くは「霊」と「念の力」を混同している。
ま、そんなことはどうでも良い。
今は、動かし難い「事実」を確認して行くことが重要だ。
そう思い立つと、「きちんと確認せねば」という思いにかられ、今日も神社に向かった。
既に夕方で、神殿の扉が閉まる直前である。
しかし、目的は前日の状況を確認することだから、どの意図で撮影し、どの位置に写っていたかを確かめることに重点を置いた。
出先から神社に向かったので、デジカメを持参していなかったので、スマホで撮影したが、やはり遠景では画質が粗い。
ここで分かったことは、「位置が少しずれていた」ことだ。
画像で示したとおり、私が撮影した位置が少し前で、男性が立っていた柱は右端ではなく、右側の柱だった。これは貼り紙の位置で分かる。
もちろん、昨日、記述した内容に変更は無い。
残念なのは、柱の後ろ側が画像に入っていなかったことである。もし昨日より少し広角に撮影していれば、柱の陰に胴体があったかどうかが分かる。
フェイク画像なら、これを撮影するのに、二人の大人が必要になる。