日刊早坂ノボル新聞

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◎盛岡八幡宮

◎盛岡八幡宮

 今朝の「じゅん散歩」で、高田順次さんが盛岡を訪れていた。

 高田さんは八幡宮にも参拝していたが、それを見ていて初めて気付いた。

 「盛岡八幡宮は東を向いていない」

 神社の大半は東向きに建てられているのだが、ここは違う。

 何か謂れがあるのだろうか。

 あるいは、参拝客が「東に向かって祈祷する」ようにした、とかだ。今度行ったら、聞いてみよう。

 

 高田さんが盛岡人に名物を訊くと、盛岡オヤジは真っ先に「じゃじゃ麺」と答えていた。

 ま、常識的には、「わんこそばや冷麺と、それからじゃじゃ麺ですね」の順だろう。

 (語呂合わせのように「冷麺・じゃじゃ麺・わんこそば」と四四五で唱えるやり方もある。)

 じゃじゃ麺を後配置にすべきなのは、好き嫌いが分かれるからだ。

 好きな人はトコトン好きだが、苦手な人はとにかく苦手。

 前に女優の誰かが盛岡に来て、発祥の店でじゃじゃ麺を食べたが、「美味しい」という愛想言葉を言えないでいた。

 顔が微妙に歪んでいたが、正直な人なのだろう。

 これは仕方が無い。

 苦手な人は苦手で、当方もその苦手な方。と言うより、腰の力が抜けるくらいだから、正直、「嫌い」ということ。

 克服しようと、幾度も店の前に立ったが、いつもそこで止めて冷麺を食べる(苦笑)。

 これはきっと当方一人ではないと思う。

 ちなみに、兄は好物で、高校の頃には毎日のように帰りに食べていたらしい。

 

 二戸名物の「蕎麦かっけ」だって、当方は「まさにソウルフード」だと思うのだが、同じ岩手の人でも苦手な人の方が多かろう。盛岡人なら食べたことが無い人が多い。

 こういうのは仕方が無い。

 「麦かっけ」は当方も好みではないが、ここで「小麦を延ばした麺やかっけ」全般が苦手なことに、ようやく気付く。

 そう言えば、関東のうどんも食わず嫌いのまま数十年も過ごしたが、これも小麦を使った白い麺だ。

 ちなみに、関東のうどんは関西のうどんとはまったく別のものだ。成り立ちが「ほうとう」や「すいとん」から派生したものだと知ると、それはそれで食えるようになった。

 埼玉のヤツは基本が「おっきりこみ」から来ている。

 

 岩手出身で「じゃじゃ麺が苦手」、埼玉在住で「おっきりこみ(うどん)が苦手」だと言うのは、この地の人格を否定し、「裏切る」ような感じがして、なかなか言い辛い。

 様子を見計らい、「コイツも好きではなさそうだ」と思えた時にだけ、さりげなく口にしていたが、そういうのはもの凄く不自由な気がする。

 「納豆が食えない」を言うのが平気なのは、特定の地域の産物ではなく、人格否定にはならないからだろう。

 ま、東日本では食べても、西日本には苦手な人が多い。

 北海道では砂糖醤油で食べたりするが、これは東日本に暮すものでも「マジか」の域だろう。でも「寒さ」と関係があるようで、マイナス十六度が当たり前だった子どもの頃には、砂糖醤油の納豆を食べていたような気がする。

 

 今の当方のような立場だと、世間を憚る必要がないから、割と平気で「苦手だね」と言える。それで他人に疎まれようが、嫌われようが平気だからだ。

 ひとの「心の内」が知りたいので、「こう言えば、この人は俺に腹を立てるだろう」と思うことを敢えて言ったりする。

  

 明日の高田さんは花巻でわんこ蕎麦を食べるらしい。

 となると、あの店ですわ。何時行っても、誰かがわんこ蕎麦を食べているなあ。

 ちなみに、高田さんは「人間離れしたイチモツ」の持ち主で、温泉にあるような椅子なら「容易に床に着く」ようだ。

 この人は結構どぎついことを平気で言うが、相手が怒らないのは、そういう「芯の太さ」があるからだ、との評判だ。

 そこで、小さいことで他人が腹を立てるのは、「もしかして俺のイチモツが影響しているのか」と思ったりするわけだが、それはそれで楽しい。

 オヤジジイになると、色んなことで笑えるようになる。