日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎総ての始まり

f:id:seiichiconan:20200102062111j:plain
f:id:seiichiconan:20200102062059j:plain
f:id:seiichiconan:20200102210717j:plain
f:id:seiichiconan:20200102062020j:plain
f:id:seiichiconan:20200102062009j:plain
f:id:seiichiconan:20200102061956j:plain
御堂観音にて撮影

◎総ての始まり

 「今」に繋がる総ての始まりは三年前の御堂観音からだ。

 そのことは既に幾度も書いて来たので、その後、分かったことを記して置く。

 まずは概略から。

 国道四号線を走行中に、持病の脾臓・胆嚢の腫瘍が痛み出した。

 道の端に車を寄せると、「北上源流水(泉)」という文字が見える。

 すると、頭の中で声が響いた。

 「ここにお参りすると、痛みが取れるよ」

 今にして思えば、十歳くらいの女児の声だった。

 腹痛が酷いので、どうせ長く運転は出来ない。

 道を逸れて、御堂観音に向かった。

 駐車場に車を入れ、鳥居を潜り、階段を上がって行くと、カメラの中に煙玉が現われた。最初は日輪(日光のレンズ反射)かと思ったが、ここの境内は常に日陰になるから直射日光は当たり難い。

 カメラを地面に向けても、煙玉が映っていたから、「日輪ではない」と気付いた。

 焼香場に立つと、ほんの少し陽が差したが、これで七色の玉に変わった。

 カメラのレンズががプリズム化して出来た虹ではなく、後ろの幕が映っていたようだ。

 別の模様がある玉があるから、どうやら「説明の出来ない煙玉」現象のようだった。

 参拝を済ませ、ゆはずの泉に向かった。

 ここは北上川の源流で、最初の泉になる。

 写真を撮影したが、肉眼ではごく普通の景色なのに、画像では霧が立ち込めていた。

 まったく目視出来ないのに、かなり濃い霧が出ている。

 今思えば、これが「幽界の霧」で、霊現象が起きる時に現われる前触れのようなものだ。あるいは、現界と幽界が交わった時に現われる霧になる。

 ゆはずの泉で水を飲み、後ろを向いて帰ろうとした時には、霧は見えなくなっている。

 しかし、石碑の近くを通ると、なんとなく違和感を覚えたので、再びカメラを出して撮影した。

 帰宅後、画像を検めると、木の陰から女性がこっちを見ていた。

 

 その後分かったことは次の通り。

 「煙玉」はどうやらその地に由来するものではなく、私が発生源になるようだ。

 他の場所でも、時々、私の周囲では、まるで体の回りを飛び交っているように煙玉が写る。観音さまの地で煙玉が出たのではなく、私が出している。

 これに反応して、まず霧が現われ、幽霊が顔を出した。

 女性の視線は私に向けられているが、私ではなく、煙玉(この場合は光玉)の方を見ていたのだろうと思う。

 この煙(光)玉はいまだにどういうものなのか分らないが、おそらく、私が過去に「心停止の経験がある」ことと無縁ではないように思う。たぶん、幽界の住人との間に何かしらの共通点があるのだろう。

 幽霊たちは、たぶん、私のことが見える。見えるから、視線を向けるということだ。

(通常、双方とも「相手が可視聴域の外にいる」ので、お互いに見えないし聞こえない。) 

 女児の声と、この女性、あるいは他の気配と、様々なものの存在を感じたが、その後、二度目に参拝した折には「家に帰りたい」という女性の声を聞いた。

 女性は県央の矢巾というところで育った人で、御堂観音に参拝してその地で亡くなったらしい。矢巾墓所まで行き、そこでご供養をすると、お礼を言われた。

 

 半年から一年後には、持病の脾臓と胆嚢の腫瘍が治っていた。

 もちろん、持病はそれだけではないから、ハッピーエンドではない。

 さらに、「声」はやはり「気のせい」であり、「想像や妄想」の類のものではないかと思う。私自身の潜在意識が行ったものだと考えると、受け入れ易い。

 幽霊は生者のことには関心を持たないし、関心を持っても直接的な影響を与えることは出来ないからだ。

 この領域では、とかく因果めいたストーリーが語られるが、多くは作り話で、語り手が拵えたものになる。 

 私のケースもご功徳やご利益のようなものとは関係は無いと思うが、しかし、何とも説明に困る現象であったことは疑いない。

 その後は一層、幽界との接点が生じやすくなり、画像の中に「違和感を覚えるもの」を発見する機会が格段に増えた。

 最近では「猫わらし」や魑魅魍魎のようなものまで出る始末だ。

 ただ、後で分ったことだが、御堂観音を訪れるはるか昔から、私が関わる画像には様々な「説明のつかないもの」が写っていた。

 これまではそのことに気付かず、見逃して来ただけだった。

 おそらく他の人にも同じようなことが起きているのかもしれないが、多くはそれに気付かない。