◎霊場の話
数年前、毎日同じ夢を観ていた時期がある。
「女の悪霊に追われて、逃げ惑う」という内容だ。
夢の中の私は、常に極限状況にいるから、「何故こういう事態が起きるのか」ということまで考えが及ばない。ひたすら逃げるだけだ。
それでも何十回と同じ夢を観ているうちに、全体的な状況が分って来る。
いつも私がいるのは、和風旅館の中だ。
この旅館は広い縁側廊下で囲まれており、部屋が沢山ある。
それも何百何千という数の部屋数だ。
各々の部屋は、無人だったり、あるいは客がいたりと様々だが、廊下の先に「何か」が近付く気配があると、中にいた客が一斉に逃げる。
「何か」はゆっくりと移動するから、遠く離れた部屋に行けば、暫くは大丈夫だ。
夢を重ねるうちに、その「何か」が女(の悪霊)で、そこにいる人々を捕まえては苦しめていると分って来た。
いつも縞柄の紬の着物を着ていることから、私はその女を「縞女」と呼ぶようになった。
生きていた頃の名前にも、「しま」とか「さち」みたいなサ行の音が混じっていると思う。
この夢が始まってから、半年くらい経つと、この女の背景が伝わるようになった。
・明治後半に生まれている。
・大正時代に金持ちの愛人になった。
・三十台後半に、旦那に別の愛人が出来、疎まれるようになる。
・妊娠したが、旦那に腹を蹴られ、それが原因で亡くなった。
・死後、着物を剥がされ、川に流された。
・昭和十年代に悪霊になり、元の旦那を取り殺した。妻子や新しい愛人も殺した。
これでその女の恨みが晴れたわけではなく、その後も当ても無く彷徨い、幽霊を捕まえては祟りを為している。
夢の中の和風旅館に来たのは、比較的最近で、十数年前くらいから。
縞女は、旅館の中を「ずりずりと歩き回る」のだが、怨念が余りにも強く、誰も立ち向かうことが出来ない。このため、そこの客たちはただひたすら逃げるしかない。
さらに半年くらいすると、詳しい状況が判明して来た。
・旅館は、漆黒の闇の中に浮かんでいる。外に出ようとすると、闇の底に落ちる。
要するに、旅館の他には何も無い。
・縞女がいるのは、この旅館の二階で、階段の途中までしか降りて来ない。
いよいよという時には、この階段を捜し、これを降りることで逃れられる。
これでようやく逃げ道を見つけられたので、依然として頻繁にこの夢を観ていたのだが、それほど怖れを感じることは無くなった。
そこで、さらに気付いた。
・その階段は、子どもの頃、私がそこで暮していた、郷里の実家の階段だった。
・広い縁側廊下も、元々は実家の廊下をデフォルメしたもの。二階の廊下は二㍍半くらいあった。
その郷里の家は、今は倉庫になっており、普段は誰もいない。私は私物をそこに置いているから、それを取りに年に一二度ほど訪れていた。
本題はここからだ。
私はここで考えた。
「あの和風旅館が、俺が昔住んでいた家なら、そんな夢を観させる要因が何かそこにあるのではないのか」
思い当たることはある。
郷里の家が倉庫になった後、父は知人からある物を預かった。
それは「ご神体」の一種で、その知人が入手したものだが、それを住居に置くわけには行かないので、「預かって欲しい」と頼まれたのだ。
父は快く受諾し、それを二階の座敷に置いた。
「ご神体」がどういうものかは、「語ってはならない」性質のものなので書けない。
言葉に出して、言ったり書いたりするのは「不敬」に当たるようだ。
これで、何となく納得した。
「文字通り、あのご神体には力があり、周囲に強い影響を与えている。最も強いのが周囲二十㍍くらいで、それの境目が階段の中腹になる」
要するに、その「ご神体」は、その場に「霊場」を作っているので、その力に引き寄せられて、幽霊が集まって来る。
「縞女」もそういう不浄な者のひとつになる。
そう考えると辻褄が合う。
何となくそのことが分ったので、私は郷里に住む兄に連絡した。
「すぐに『神さま』を持ち主に返す必要がある。そろそろ、力が押さえ切れなくなっているから、悪影響が出る可能性がある。社を作り、そこに安置すべきだが、それは持ち主の務めだ」
自分で行って確かめたいのだが、私は影響を受け易いので、実際、二階に上がることも出来ない。ご神体に触れるのは、そういうことに慣れている神職か、あるいは、まったく関わりを持たず、影響を受けない者になる。
霊場とはこういうもので、理屈ではない。
人知の及ばぬものは確実に存在しているが、そういうものにはきちんと敬意を払い、取り扱う必要がある。
もちろん、それ以上でもそれ以下でもない。
「神を語ってはいけないし、神の力を利用してもいけない」のだ。
縞女のいる世界に、私は今も繋がっているようだ。
先ほど、居間で眠っていた時に、久々に縞女の歩く衣擦れの音を聞いた。
それでこのことを思い出し、記録を残すことにした。