日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎餅は餅屋

◎餅は餅屋

 先週、テレビをチラ観した時の感想です。

 

 滑っている時の荒川静香さんと、

 泳いでいる時の青木愛さんを見ると、この上もなく「美しい」と思う。

 さすが、魂を捧げた一時期を持つ者の技は「スゴイ」のひと言だ。

 

 これまでギャグとしてよく以下の句を言っていた(あくまで当家の中だけで外で口にしたことはない)。

  (狂句) 

 イナバウアー 十年経ったら イナババウアー

  こんな失礼なギャグはない。

 30台の荒川静香さんは、変わらずにキレッキレの演技をする。子どもを一人産んだはずなのに、体型もキレている。

 どれだけストイックな人生を歩んでいるのか。

 もうこの浅はかなギャグは止めよう。たとえ家の中であっても。

 

 齢が半分くらいの者に「生き方」を教えられてしまう。

 ま、捨て鉢にならず、何度でも「もう一度立とう」と思う限り、「負け犬」ではない。

 姿勢と気概が重要だ。

 

 学生時代に、屋台のラーメン屋に寄ったら、そこの店主が特攻隊の生き残りだった。

 父から聞いた戦時中の話をすると、少しは心に響くものがあったらしい。

 「今はこういう暮らしをしているが、自分なりの考えをまとめている」

 そう言って、自費出版の書籍を渡してくれた。

 その本はそのオヤジが考える社会論だった。

 「こういう人もいるのか」と思ったのだが、不調法な当方はその本をすぐにどこかにやってしまった。

 自費出版で1千部作るとなると、どんなに安く上がっても百万超の金はかかるから、そのオヤジは根性が入っている。

 

 宮沢賢治だって、自作の青焼きの原稿を知人に送り、存命中にはほとんど世間に知られた存在ではなかった。

 しかし、今は小学生が授業で学んでいる。

 どう「受けた」かなどはどうでもよいが、要は「自分なりに自ら課した使命を全うする」ことが大切だ。

 

 少し弁解するが、「屋台のラーメン屋のオヤジが」という表現は、少し見下した言い方になっている。

 その当時は、実際に「ラーメン屋が社会論を書いても」と否定的に思っていた。

 だが、どの世界にも「道」(哲学)がある。

 今はラーメン屋台もほとんど見かけなくなったが、あの環境で美味いラーメンを客に出すには、熟練の技がいる。

 浪人をしていた頃、深夜に寮を抜け出し、墓地の中を通り過ぎて、ラーメンを食いに行っていたが、ものすごく美味かった。

 今思い返すと、心底より尊敬する。

 大体、当方には、あんな味のラーメンはどうやっても作れない。

 また、社会学が専門分野なのだから、その本をきちんと読めばよかった。

 なんて愚かだったのか。これではテレビに出ている「社会学者」と大差ない。

 実証経験も乏しく、観念だけをもてあそぶようでは、何ひとつ変えられない。

 ま、社会学者、社会学の研究者だけは、誰でも明日から自称できる。

 

 さて、ラーメン屋のオヤジの話に戻るが、特攻隊で出撃して、エンジンの不調で海面に不時着して生き残った経験をしていれば、凄みが出るのも当然だ。

 祖父も南洋のある島の3万人部隊の一人だったが、終戦時に、生き残り5百人のうちに残っていた。やはり筆舌に尽くせぬ経験をしたらしい。

 子どもの頃に見た祖父は、ただ立っているだけで怖かった。

 佇まいに、何とも言えぬ「凄み」があったのだ。

 踏んで来た土俵が違うから、誰もが祖父のために道を開けた。大臣に会っても、簡単に言い負かしたらしい。

 当時の当方はごく小さい子どもだったから、ひたすら「怖い」という記憶だけが残っている。

 当方も、祖父のように、他の者が気迫に気圧されて、数歩下がるくらいまでの圧力を持つところまで精進しようと思う。

 

 ま、幽霊をぞろっと出して見せれば、大概の者は引く。

 と、これがオチ。祖父とはだいぶ違う。

 

 ちなみに、「怖かった」のは母方の祖父のことで、父方の祖父は戦時徴用で釜石で働いたらしい。

 かなりキツかったようで、こちらの祖父は戦争中のことはひと言も口にしなかったとのこと。

 それでも、今、隣国の人が言っていることは「まるっきりの嘘」だということは、もれ伝え聞く話で分かる。どうしてこちらの当事者は口を閉じているのだろう。