日刊早坂ノボル新聞

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◎元和通宝

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元和通宝

◎元和通宝

 元和通宝は、その希少さに比べると、こと「不人気」の貨幣だと言える。

 その理由は、さしたる変化がなく、小字を1枚入手すれば、そこで壁に当たってしまうからだ。大字は小字とは製作が異なるし、小字よりも存在数が少ないから、お金を出しても入手出来ない。1枚手に入れればそこで止まるので、好奇心もそこで静まる。

 かなり前に手に入れた品なのだが、ある収集家にこれを見せたところ、「これって鐚でないの?」と言われたことがある。

 内心で「元和に鐚があるとしたら、かなりレアだ」と思ったのだが、そもそもその人は収集範囲がこの時代ではないので、率直な感想を口にしたのだろう。そういう人にとっては慶長通宝も元和通宝もさして違いはない。

 

 時代的には、慶長が1596年から1615年の二十年弱で、元和はその年の9月から1624年までのほぼ九年の間となる。なお、元和の次は寛永で、寛永三年には寛永通宝が生まれている。

 慶長通宝は長期に渡り大量に作られ、また市中に流通もしたので、鐚(私鋳)銭も多く作られた。そういう背景もあり、慶長年間には撰銭令が度々発布されている。

元和通宝は製造枚数がごく僅かで、市中にはほとんど流通しなかったことから「試鋳貨」とする見解もある。また、間を置かずに寛永通宝が作られるようになった(1636)。寛永16年には20(1643)年には私鋳銭禁止令が発布され、私鋳銭は徐々に姿を消すことになる。

 要するに、製造枚数が数万枚程度に満たない貨幣が、たまたま私鋳銭の材料として選ばれるケースは、もちろん、ゼロではないが、極めてレアケースである。

 元和に鐚はほぼ「無い」と見られ、つくりの違いは初鋳から末鋳に至る製造上の相違から生じていると見なす方が妥当である。実際に計測してみると、銭外径はほとんど同じである。

 

 掲示の品は「古貨幣迷宮事件簿」にて販売する。