日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎追検証(475)

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1月22日撮影  ※翌日、十枚目を追加しました。

◎追検証(475)

 真実を確かめることは、環境の条件がさほど変わらぬうちに行わねばならない。

そこで、20日の状況を追検証するために、この日も神社に参拝した。

 要点のみを簡潔に書くと、次の通りとなる。

 

1)「鉛筆男(③)」は実在の人物だった可能性がある。

 普段、気にしていなかったので、暖簾(下がり?)の高さが分からなかったのだが、この日確かめると、それほど高くはなかった。

 手を伸ばせば届きそうなくらいだから、2㍍ちょっとの高さだろう。

 そうなると、右側に写っていた「鉛筆男(③)」は実在の男性だった可能性がある。

 まだ、異様に「体型が細い」という問題があるから、もちろん、断定はできない。

 

 2)次に①の女性のサイズと立ち位置の問題だ。

 冒頭の画像で示した通り、門の外はすぐ階段だから、神殿前と同じ高さに立つことは出来ない。

 女性の体の大きさは、私より前にいれば合致するが、実際の位置関係はかなり先だから、やはり大き過ぎる。

 

 3)②はもはや説明は要らないと思われる。生きている女性でもなければ、目の錯覚でもない。幽霊である。

 

 さて、この日は「新しい状況」も生じた。

 同じ位置から三枚ほど撮影したが、一枚目には何の変異も無かった。

 ところが、二枚目から説明のし難い「何か」が写り始めた。

 まずは、白いネズミのような「何か」である。

 白い雲のようなものも見えるが、これは外の屋根が歪んだものらしい。

 ここは説明をこじつけずに、「よく分からない」としておく。

 ま、私の頭のすぐ後ろに、女の顔が浮かんでいると思う。「ご供養をする」と約束してあるので、これはこれでよし。

 

 三枚目には、前2枚と同じ男性が奉納箱の前で手を合わせているのだが、ガラスに映った画像の方は、男性の真後ろに、「そこには存在しない筈」の男が見える。

 前の男性の背中との被り方から見て、男はすぐ真後ろにいる筈だが、撮影者とガラスの間には、前の男性しか存在しない。ガラスに写っている筈の生身の人物が見当たらないのだ。

 妙に下を向いているこの姿勢は、以前、私の後ろでも写ったことがある。

 要するに死者もここに参拝しに来ているのではないのか。

 

 画像の並べ方が後先になったが、最後の画像は、階段を上がった直後に撮ったものである。門の柱の近くに首がひとつ浮かんでいる。

 不鮮明なので、よく見えない人が多いと思うが、これは見えない方がよさそうだ。

 細部が見えたら、「とても他人には見せられない形相」になってしまう。

 「首吊りなどしたらダメだ」を教える素材になるから、ひとまずこの辺までは、掲示することにした。「目が飛び出し、口は開けたまま」で、多くは舌が信じられぬほど長く垂れ下がる。

 

 自ら死を選ばずとも、遅かれ早かれ人は死ぬ。

 現状が「明日まで耐えられぬほど苦しい」のなら、「総てを捨てて逃げ出す」道を選んだ方がまだましだ。

 繰り返し書くが、自死(自殺)しても、苦痛が解消されるわけではない。

 

 生きている者が参拝するだけでなく、死者も救済を求めて集まって来るのなら、この神社はよほど優れた霊場だと言えそうだ。

 その周囲を私のような者が出入りすれば、せっかく集って来た死者を私が引き付けてしまうかもしれぬので、今後はなるべく参拝客の少ない日を選んでここに来ようと思う。