日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢うつつの話

f:id:seiichiconan:20200127055040j:plain
f:id:seiichiconan:20200127055024j:plain
1月20日撮影画像

◎夢うつつの話

 今朝、目覚める直前のことだ。夢うつつの状態だったが、自意識の上では、私は椅子に座っていた。

 もちろん、実際には横になっていたのだが、気分的に私ははテーブルに両腕を載せ、椅子に座っていた。そして、「横になっている私」と「座っている私」の両方の意識を持っていたのだ。

 すると、唐突に「煙草を吸っている」イメージが沸いた。

 火の点いた煙草を1本持っているのだが、煙草の先からゆらゆらと煙が立ち上っている。

 煙草が焼けこげる匂いを、両方の私が感じていた。

 

 横になっている方の私は、「今の俺の体は煙草など受け付けない筈だが」と考えるのだが、座っている方の私が手元を見ると、己の指でしっかりと煙草を挟んでいる。

 その指先に目を向けるとマニキュアをしていた。

 そこから手、腕と登って行くと、私の服の袖は赤かった。

 座っている方の私は、赤いジャケットを着ていたのだ。

 

 ここで完全に我に返る。

 「あんれまあ、駅で別れたと思ったが、また帰って来ているわけなのか?」

 椅子に座る私の方は、本来の私ではなく、誰か別の人格に化けていた。

 ま、差し当たって、考えられるのは、数日前に神社で出会った、あの女性二人だ。

 首を吊った方の女性のことは、金曜に駅まで送った筈だが、いつ戻ったのだろう。

 やはりそっちの女性のことが思い浮かぶ。

 「いや。これまで何も態度で示さなかった方が俺の近くに留まっているのかもしれん」

 こちらは、振り返ってもう一人を見ていた女性だ。

 この女性も、はっきりと姿を見せているということは、「自分を見てもらいたい」 「自分を見つけてもらいたい」と思っているのかもしれん。

 こういう時は、とりあえずご供養だ。

 「それでは、貴女のためにお焼香をします。執着心や未練が解けますように」

 そう口に出して言い、お線香を上げた。

 

 今では、この手のことにはすっかり慣れてしまい、まったく驚かなくなった。

 自分が恐怖心を感じなくなったので、うっかりブログやSNSにかなり際どい画像を載せてしまいそうになる。「際どい」というのはデロデロと舌を出した自殺者の類だ。

 だがそんなのは他人に見せても、何の意味もない。単に恐怖心を煽り、誤った考えを流布することになってしまう。ネットで拡散されるのがオチだ。

 そういうのは、敬意を欠く振る舞いだから、気を付ける必要がある。

 それでも「慣れ」というのは恐ろしいもので、自分が平静だと、他人への配慮を忘れてしまう。

 今の段階で「気持ちが悪い」と思う人もいるだろうから、少し恐縮するところもある。

 恐怖心を解き、正しい見方をすることを伝えているつもりなのに、正反対の結果に繋がるのかもしれない。

 

 その日その日に思い浮かんだひとつ一つの魂(か幻)のために、その都度お焼香をするから、毎日、お線香を二十本は使う。

 亡者は何十万もいるから、本当に切りがない。

 

 ちなみに、あの世の者に対峙するのに、多くの人はお経や祝詞を思い浮かべるだろうが、そういうのは、相手を遠ざける目的で「念を送る」道具だ。

 しかし、そもそも幽界の住人は敵などではなく、将来、生者が向かうべき姿なのだから、攻撃されぬ限り遠ざける必要はない。

 基本的に「きちんと対話をする」という姿勢でよいのだ。

 恐れず威嚇せず、距離を置いて対すれば、双方に悪影響など生じない。

 ま、恐怖心を抑えられるようになるまでは、若干、「慣れ」が必要だ。