日刊早坂ノボル新聞

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◎「密鋳当百改造母銭」  謎解きのゲーム その5

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鋳所不明銭 「南部写し」

ヘ)南部写し

 さて、藩が鋳銭に係ったものと、その型を利用したものを眺めて来たが、冒頭の改造母銭は、そのどれとも似ていない。

 そこで、鋳所不明銭のなかから、この地域に深く関わっていると見られるものを点検してみる。

 ここで取り上げるのは、改造母銭が出た差銭の中から同様に発見されたものである。

 地金の配合(亜鉛、鉛の混合率)と仕上げの工法によって、南部地方で作られたものかどうかは、ある程度推定出来る。鋳銭には職人の手を要するわけだが、個人で活動しているわけではなく、職人団が存在していた。このため、同じ職人団では「作り方が似る」ということになる。もちろん、それもあくまで経験に基づく判断であるから、「凡そのところ」という見方に過ぎない。

 所詮は「手の上の銭」を観察するだけの情報に過ぎぬから、その範囲で言えることは限られて来る。

 

 そういう意味で、⑬⑭⑮のうち「南部写し」と目されるのは、⑬と⑮である。⑭は「はっきりとは分からない」のだが、型自体が⑮と同一となっているので、この中に組み入れた。

 地金と輪測の仕上げを見る限りでは、これらも同等の改造母銭との共通性は感じられない。若干、縁が丸くなっているが、このように研磨したのか、あるいは流通によって自然に角が取れたのかは分からない。この配合は地金の亜鉛味が強く、柔らかいので、容易に磨滅する。

 

 少し脇話に逸れるが、⑬を発見した時には少なからず驚いた。

 風貌が盛岡藩鋳本銭の小字に似ているからである。書体が矮小化されているが、鋳写しを加えると、文字の変化はごく普通に起こり得る。

 そこで、詳細に比較してみると、鋳写しによって生じる変化の幅を超える相違があるので、別の銭種であることが分かった。

 しいて言えば、水戸の接郭刔輪という銭種によく似ている。水戸藩盛岡藩は幕末では外戚に当たり少なからず交流があった。盛岡藩では水戸藩の主要な銭種の母銭を譲り受け、これを用いて鋳銭している。

 ⑬は山内座の製作に近似しており、この座の職人が関与しているように見受けられる。

 この一品では何とも言えぬが、「中間種」は一定の存在数があったのかもしれない。

 (続く)