日刊早坂ノボル新聞

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◎めくるめく八戸銭の世界 その3 舌千類の形成過程

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舌銭類の比較検証と作業仮説

◎めくるめく八戸銭の世界 その3 舌千類の形成過程

 さて、八戸方面銭のうち、葛巻鷹ノ巣鷹巣)銭の銭種については、概ね予測が可能である。

 古銭会等で、よく口頭で説明したのは次の事実だ。

葛巻町の中心部で発見された鉄銭(差銭)では、目寛見寛類はほとんど混じっていない。 

二戸市側で母銭がまとまって見つかったことがあるが(差銭)、いずれも「正様」とその写しだった。

 もちろん、これでは傍証にもならない。

 ところが、母銭を並べてみると、「正様」と「十字銭」は他銭に比べ製作が著しく際立っていることが分かる。最も大きな違いは「砂」だ。

 鋳銭にあたって苦労する用具のひとつがこの「鋳砂」で、盛岡藩が企画した大迫でも、当初は良い砂が得られなかったので、水戸藩に依頼し、小梅邸を通じて手配して貰っている。

 同時に主要な銭種の提供をも受けたので、盛岡藩では水戸藩鋳銭の伝鋳が散見されるのだ。

 葛巻の場合、鋳銭を企画したのは八戸藩で、この運営には御用商人が深く関わっていたようだ。資金をある程度準備し、鋳砂を調達したのだろう。

 山砂を多用した密鋳銭とは、「つくり」が違うのも当たり前だ。

 と言うより、職人を一千人以上も抱えることが出来たのは、この地方では葛巻より他にないから、必然的にこの鋳所と推定する他に選択肢がない。

 図1の101背千正様、104の十字銭は、金質だけでなく、砂目、仕上げ方法まで近似している。

 

 さて、問題は舌千類だ。

 舌銭類は、輪測の仕上げ方が「蒲鉾型」「直立型」の双方があるが、多くは「直立型」となっている。

 根源を辿れば、やはり石巻銭に辿り着くわけだが、どのような中間段階を経て、このように分化したのだろうか。

 残念ながら、コレクションのうち、舌千類の大半は売却したり、抜き取られたりして散逸したので、比較可能なサンプルは少ない。ただし、「分類」と思考過程が異なるので、十分にやれることはある。

 図2によると、いずれも石巻小字背千の「どれか」より発しており、基本は同一銭種を根源とする。

 なお、石巻銭の具体的な銭種は、地元の方の務めだろうから、ここでは触れない。あくまで盛岡・八戸両南部領に入ってからの経過が観察対象となる。

 

 ひとつの目安は、画像を重ね合わせた時に、文字の配置が90%一致すれば「根源が概ね同一」で、95%に達していれば「同じもの」と判断できる。5%の相違は「誤差」の範囲で、鋳銭の場合は「個体差」として認識できる。要するに、1回ごとの作業の中で生じる小さい相違である。1%以下であれば「完全に同一」となる。

 

 まず最初に、「舌千小字」が分離される。書体変化が著しく、他銭との共通点が少ない。

 次に「A 背千正様」と「B 十字銭・舌銭・無背」を区分出来る。

 ほとんど同一書体なのだが、寶貝の広さなどは、ABは明確に異なっている。

 B群は貝字の横幅が狭いので、足が長く見えるのだが、実際にはほとんど変わらない。目の錯覚である。

 

 次にB群を詳細に検証してみる。

 ここで用いたのは投影法だ。これは画像を重ねて、相違を観察する手法だが、母子の世代差による違いを無くすために、内輪径を基準に十字銭を95%に縮小した。この十字銭は、無背、舌千大字より一世代上+の型である。

 個別の銭種を識別する時に、判断に迷う人が多かっただろうが、それもその筈で、これら三つは「ほぼ同じ」である。

 小異は数か所存在するのだが、いずれも個体差の範囲を越えず、面文については、「ほぼ同じ」とみて差し支えない。

 八戸銭については、裏に「千」字があるものと、無いものとが必ず存在するのだが、これまでは、この「十字銭」と「舌千大字」のみ、無背銭が分類されて来なかった。

 これは「どちらなのか面文では分からない」という理由だった。

 なお、『南部貨幣史』には、「舌千大字無背」の掲載があるようだが、拓本では判別できない。

 

 では掲示の無背銭を何故「舌千大字」と分類できるのか。

 面文を幾ら比較しても答は出ない。(ま、収集家好みの「位」を付けるなら、「十字銭無背」でも「舌千大字無背」でも、評価は同じである。背文字があるものよりかなり少ない。)

 その答は裏面をひっくり返してみると一目瞭然だった。

 無背銭には、千字を刮去した痕が残っているのだが、この横引が内輪上下の中央より下にある。これで「十字銭無背」が棄却される。

 小字背千類とはそもそも仕様が違うし、金質・仕上げとも舌千類のものである。

 「舌千大字無背(千刮去)」で銭種を確定出来る。

 

 八戸銭では「分類手法は通用しない」というのはこういうところだ。

 基本は同じ源から発しており、相違のほぼ総てが、元々、「工程中に生じた小さな相違」に過ぎないのである。

 以前、この無背銭を見て、「字の窪み方が違う」と言った人がいるのだが、他に該当する「これに近似した銭種」はない。要するにその人は系統的理解が出来ておらず、「手の上の一枚ずつを見ていた」ということだ。

 

 さてこれまでの観察から作業仮説を立てると、図5の通りとなる。

  • 「舌千小字」と「大字」は同一銭種のように見られるが、成り立ちはまったく別のものである。 
  • 「十字銭」と「舌千大字」は同じ系統に属する。銭座導入のかなり早い段階で「小字背千」から分離した。

 等の発見があった。分類手法と違い、この手の分析には大量観察は不要で、20品程度のケースワークを行えば、「作業」という文言を外すことが出来ると思う。

 

 あとは次に研究を進める人へのアドバイスになる。

 まず、画像投影法には、顔認証や手相判断のシステムを応用できるのではないかと思う。

 画像を読み取って、1)銭種を分類し、2)合致度のパーセンテージを出すことが、おそらく可能だろう。このジャンルでもシステム屋さんの出番が来ているということだが、これが出来れば、知識の習得が楽になる。

 とりわけ若手に伝えるべきことは、銭譜を見て希少品を集めようと思うのは結構なことだが、そこに執着すれば、結局は「金持ちの天下」になるということだ。

 ところが、「分類」と「珍銭探査」からは、「何故こうなったか」という問いへの答えが得られない。

 点の有る無し、之繞の長さ、状態のグレード分けに執着するのもその人の自由なのだが、分類のみにこだわっていると独りよがりの「分類バカ」になってしまう。

 新しい知見が何ひとつ生まれない。「私はこう分けました」という主張だけだ。

 「なぜ」「どうして」形成されたかという点に着目すると、いまだに広大で未開拓な荒れ野が沢山ある。そこを突き進めば、「好事家」が「探偵」か「研究者」に変わる。

 (不定期に続く)

 

なお推敲と校正は一切しないので、誤字や表記ゆれがあると思う。

もはやこのジャンルからは「引退した身」ということです。