◎心霊写真は変化する
26日の午後に外出から戻り、PCの電源を入れた。
すると、指示しないのに、この画像が開いた。当初は「最近の画像」を紹介する機能のせいだと思った。
しかし、これは最近撮ったものではない。十四五年前、息子が小学生の時のカルタ大会の画像だった。
この当時も「写真を撮る度に煙玉や人影が写る」状態だった。もっとも、当時はガラス映像ではなく、普通の風景の中に紛れ込んでいた。
その頃は不審に思い、気味悪く感じたのだが、この手のを何百と経験した今となっては、何とも思わなくなった。
ちなみに、画像として所持していても、何ら影響のないタイプだ。
(ま、画像はただの画像で、影響が生じるケースはほとんどない。)
こういう写真は、撮影時の配置のままではなく、少しずつ変化する。
煙玉や人影が別の場所に移動するのだ。そのことで、その画像がフェイクでも「たまたまそう見えた」ものでもないことが分かる。
当初、この画像では、中央付近の煙玉が鮮明で、かつその中に子どもの顔が写り込んでいた。
しかし、今見ると、子供の顔が崩れ、消えつつある。
他にも変化が沢山ある。
右上の煙玉はあまり鮮明ではなく、ごくおぼろげだったのだが、次第にかたちがはっきりして来た。
右上のカウンターに写り込んでいた男の顔は、すっかり場所を替え、左に移動した。
他に子どもたちの人影が見えるのだが、かつてはまったく見えなかったものだ。
半透明の男の子は、母親たちの活気に呼ばれて出たようだ。以前は気付かなかった。
その下の女の子は、顔そのものが実体化しており、前の母親に抱き付く娘のよう。
ところが、手が途中で消えており、そこにはいない子どもだった模様だ。
いずれも、既に私の存在を悟り、こっちに目を向けている。
他にも微妙に、自然ではない煙と光が見え始めていた。
ま、この当時とは私はまったく状況が違うから、さらに一層、自己主張をし始めたのかもしれん。あの世の者にとって「見て貰える」「見つけて貰える」というのは重要なファクターだ。
唐突にこの画像だけがパッと開いたのも、要するにそういう意味なのだろう。
お焼香をして、彼らの安寧を願うことにした。