日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎南部かしわ蕎麦 その2

f:id:seiichiconan:20200316082834j:plain

南部かしわ蕎麦

◎南部かしわ蕎麦 その2

 母方の祖母が蕎麦の名手だった。祖母が蕎麦、海苔とネギだけの暖かい蕎麦、すなわち「掛け蕎麦」を作ると、小学生の私でも三回お代わりをした。

 母の生家は大きな農家で、終戦の時に土地を何分の一かに減らされた方だ。

 その家には百人は楽に入れる常居と床の間があったから、親戚で法事があると、その家を借りて葬式を出した。

 法事の終わりには、ご供養の席が設けられるのだが、これがまた長くかかり深夜に及ぶ。

 延々と酒を飲んでは、あれこれ語るオヤジが何人もいたせいで、夜中の十一時終了では、まだ当たり前のほう。十二時を過ぎても一人二人は飲み続けていた。

 ま、十時十一時には、手伝いに来た近所のお母さんたちを家に返さなくてはならないから、終わりを示す合図が入る。

 それが蕎麦だ。冠婚葬祭の席で、暖かい蕎麦が出されたら、「もうこれでおしまい」という合図だから、客は徐々に腰を上げる。

 小学生の私は、その時に出される蕎麦が食べたくて、ずっと寝ずに待っていた。

 他の子が寝てしまっても、炬燵でコクリコクリしながら、その蕎麦が出るのを待ったのだ。

 この時の蕎麦は、オヤジたちがさんざ酒を飲んだ後だから、小さめの碗に軽くよそった掛け蕎麦だった。やはり三度はお代わりをして、その後で、葬式饅頭を食べた。

 これも祖母の手作りで、甘さ加減塩加減が絶妙の味だった。

 

 私の持ちネタのひとつは、その話に続けて、次の言葉を足すものだ。

「そこで、子どもの私は、いつもこう思っていた。『早く次の葬式が来ないかなあ』。はい、どんとはれ」

 

 冗談はともかくとして、それほど祖母の蕎麦は美味かった。

 祖母は私が成人する前に亡くなったが、誰もそのレシピを教えて貰っておらず、あの味を味わうことは出来なくなった。

 だが、齢を取ると、子どもの頃に食べた味が懐かしくなる。

 そこで、あれこれ工夫をしては、祖母の味を再現しようと試みている。

 ま、父方の蕎麦の味は、南部伝統の「かしわ蕎麦」だから、まずは祖母の作り方をベースに、かしわ蕎麦を上乗せすることを考えている。

 今のところ、祖母の味づくりで覚えているのは次の点だ。

1)昆布・煮干し・塩がベースで、これに野菜を足して出汁を取る。 

 野菜は味を出した後は雑味になるので、ほとんどを捨ててしまう。要するに、屑野菜をふんだんに使い、味の基本を作るということ。

 昆布は利尻、煮干しは山田。これは絶対だ。

 これだけの出汁でも美味い。

2)別に鶏ガラを焼いたもので出汁を取る。下焼きをするのは、余分な脂を落とすためだ。

3)二通りの出汁を合わせて、香り付けに醤油を少々加えて蕎麦汁にする。

4)具材は、地鶏を別に焼いて置く。これはお好みの味付けで可。照り焼きよし、塩焼きよし。

5)ネギは白髪より若干太めに長く切る。鶏の味が強いので、ネギの味を立てることで、双方が柔らかくなる。

 

 かしわ蕎麦は、私の数少ない得意料理だ。

 息子に食べさせると、やはりお代わりをする。祖母の味には、まだ全然届かないが、いずれ近づけると思う。

 「南部かしわ蕎麦」は、岩手郡を中心とする郷土料理だ。かなり昔から食べられていたらしいが、明治以前は雉だったのだろう。岩手町に行けば、雉蕎麦を食べるチャンスがあるかもしれない。

 

 まずは「掛け蕎麦」が基本だから、岩手県の知人が「次に葬式を出す時には」、丁寧なレシピを伝授しようと思う。

 はい、どんとはれ。