日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎雨の日の煙玉(498)

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令和二年四月二十七日撮影

◎雨の日の煙玉(498)

 毎夜、午前二時になると必ず目覚める。概ね「起こされる」と表現した方が正確だ。

 ノックの音なり、「声」で驚かされ、パッと目が覚めるのだ。

 しかし、今朝は別段働きかけられることもなく、自然に目が覚めた。

 ぼんやりした頭で、しばし考えた。

 「果たして今は昼なのか夜なのか」

 ここ数年、居間で寝起きしており、いつも床でごろ寝をする。

 それを見るに見かねて、最近は息子が毛布や布団を掛けてくれるようになった。

 夜中に階下に降りると、居間に布団が敷いてあることもある。

 居間の床で昼寝をし、夜にも仮眠を取るから、昼夜の区別が付かなくなることがある。

 このため、目覚める時には、常に少し考えさせられるのだが、窓の外が暗いので「夜だ」と気づく。

 「夜なら働かないとね」

 深夜の二時から五時の間は、概ね静かだから、原稿を書くのに最も適している。

 そこで、二階に上がり、PCの前に座る。

 これが日課だ。

 

 PCが立ち上がるのを待っていると、背後に違和感があった。

 独特の「気配」があるのだ。

 その直後に、左肩の真後ろに「顔」があることに気付いた。

 「いやはや、すっかり寄られていたのか」

 「女」が私の左肩の肩甲骨に頬を寄せている。そんな感触がある。

 「そう言えば、昨日、あの「声」が聞こえたよな」

 

 次の瞬間、左肩の上に女の顔が乗った。右肩には右手の重みが加わる。

 私には、割と頻繁に起きる構図だ。もちろん、画像の中で、ということだが。

 「また抱き付かれたか」

 お線香を取り出して、ご供養を始めようとしたのだが、ここで翻意した。

 「ご供養したり祓ったりせずに、自身の姿を撮影すれば、この女が写るかもしれん」

 相手をこじらせない限り、さしたることは起きないと分かっているので、このまま神社に行き、撮影することにした。

 

 だが、まだ夜だ。朝が来るまで待たねばならない。

 こういう風に「頃合い」を待っている時の時間は長い。

 家族の朝食を作り、雑文を書いたりしながら時間を潰し、朝の喧騒が収まった頃に出かけることにした。

 いずれにせよ、今日は今月の支払いの日だし、数件ほど所用がある。

 その中間に神社があるから、五分十分立ち寄るくらいなら構わんだろ。

 もちろん、駐車場に車がそれなりに停まっていたなら、今日はスルーして帰宅するつもりだった。

 しかし、やはり月曜の午前中なので、参拝客は数人のようだった。

 ささっと参拝することにした。

 

 神殿前で撮影したが、予め想定したような「女」の姿は現れなかった。

 やはり、時期が時期で、今は「あの世」が最も穏やかな季節にあたる。

 幽霊の姿は出なかったが、しかし、煙玉が写っていた。

 

 画像に残る「丸い玉」は、大半が自然現象で、「日輪」や「水気への光反射」だ。

 「日輪」はレンズのプリズム効果で、光がレンズに差し込んだ時に出来る丸い玉になる。

 また、湿気が多い時には、フラッシュなどの光がそれに反射して白く光ることがある。

 こちらのことは「水蒸気反射」と仮称することにしている。

 一方、ごくたまに「うまく説明のつかない煙状の玉」が写るが、これは前述の日輪や水蒸気反射とは形状が違う。

 日輪は「すっきりした玉」、水蒸気反射は「ぼんやりした煙」なのだが、「煙玉」は煙が渦巻いて球状になっている上に、輪郭から外に向かって放射状に筋が出ている。

 今日のように雨降りの日には、日輪は出ず、水蒸気に光が反射するものだけが写るのだが、明らかにそれとは違っている。

 幸い、この日は「煙玉」と「水蒸気反射」の両方が出ていたから違いが分かり易い。

 

 過去に撮影した「煙玉」で、判別のしやすいものと比べてみると、やはり同じ性質のもののようだ。

 こういうのを「オーブ」と呼んで、「心霊現象と見たがる」者もいるが、必ずしもそうとは言えない。限りなく自然現象に近いものだが、あの世とも関連することがある、と言う程度の認識でよい。

 ま、今日のは私自身に何か関連性があると思う。

 あの「声」や「女」は、それを示す一端だ。

 煙玉の中に「窓」が開いているようなので、いずれ何らかのアクションがあると思う。

 

 ついでだが、十数年前の画像と比較してみたのだが、このところ、この画像に変化が現れて来ているようだ。

 右側の煙玉は、最初はそれと気付かぬほどの薄さだったのだが、今ははっきり分かるし、次第に内部に「眼」が開きつつある。

 

 結局、深夜に現れた「女」の気配を目視確認することは出来なかったが、私本人にとっては、もはやそういう「かたち」は必要ではなくなっている。

 眼で見て、耳で確かめずとも、気配だけでそれと気づくようになっているのだ。

 いずれにせよ、自身の境遇を「知って欲しい」、「助けて欲しい」と思って寄って来ているのだろうから、今はその「女」のためにお線香を上げ、慰めている。