日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎どんどん集まる  (昨年の振り返り)

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令和元年六月二十五日撮影

◎どんどん集まる  (昨年の振り返り)

 昨年の六月二十三日に異変を検知したのだが、その二日後に現地までご供養に行くことにした。

 平日にて、レストハウスは休み。周囲には誰もいない。

 ベンチに座り、携帯用の香炉でお焼香をした。もちろん、安全確認には抜かりはない。

 一時間ほど座り、ゆっくりと語り掛けた。たぶん、母の思い出を話し、その後で「自分の家族のためにも今いる場所からそろそろ出て来い」と伝えたと思う。

 この日は、さして異変を感じなかったし、画像にも写っていないと思っていた。

 

 しかし、改めて眺めると、正面から撮影したレストハウスの画像には、私自身の姿が映っていない。背後の林が見えているから、私を透過して後ろが映ったことになる。

 これはよくある。

 ご供養に来たので、再び二日前と同様に周りに集まり、そのうちの幾つかが私の前に立ったのだろう。

 この世とあの世(幽界)はプラス/マイナスの関係にあるから、両者が重なると画像から存在が消えてしまう。自然の風物や人工物はそのままだが、人の姿だけが消えてしまうのだ。

 

 そこから、この日も神社に直行した。

 後をついて来ることが分かっているので、まずはあの黒い水の中から引き離すことが重要だと考えたのだ。普通の幽霊になり、流れに乗れるようになれば、自然に寛解(成仏)に迎える。

 ま、時間はかかるとは思う。

 当日は「この日は何事もない」と思っていたが、今見ると、また右腕が太くなっていた。

 すぐ隣にガラスへの二重映りのような「腕」があるが、よく見ると、太さが違うし、肘に繋がる二の腕が反対方向から出ていた。

 要するに、私の腕が映ったものではなかったということだ。

 そもそも「重なっているガラスの同じ板」に腕が同時に入っている。

 二重映りなら別々の板に映るから、そもそもアリエネー話だ。

 例えば、二枚のガラスに同じ人の顔が二重に映るなら、「肩越しに顔が重なる」ことは無い。同じものが別々に離れて映る。

 

 ともあれ、これで自分なりのやり方でも、ご供養にはある程度「効果がある」ことが分かったので、この後も重ねて行うことにした。

 ここに現れた者は、割と早くに消失したが、少し奥に行くと、必ず「かやかや」と小声で話す声が聞こえる場所がある。

 こちらはウンザリするほど気配が悪くなっていた。