◎新しい道を探る(502)
五月十八日は午前中から、N湖方面に向かった。
N湖自体には規制がありまだ近づけないと思うが、周囲をひと回りするだけで気が晴れる。ここは郷里の景色によく似ているからだ。
それからいつもの神社に向かった。これが午後一時頃だ。
土日は買い物に出ると、どこも大混雑。まだ気を許せる状況では無いと思うが、さすがに皆さん溜まっているものがあるらしい。駐車場が満杯で、中に入らずに戻って来たほどだ。
この日は月曜だから、人出はそれほどでも無し。
神社もポツンポツンと参拝客が来る程度だ。
N湖近くで、既に自覚症状があったので、この日、自分自身に起きたことについてはよく分かっている。しかしま、画像が不鮮明で、他者に説明する根拠としては足りないから、詳述を控えることにした。
時々、自身に起きることが、この日も起きている。
ま、私にはあまり影響がないことが分かっているので、ご供養をしてあげることにした。
「助けて欲しい」「助けてくれる」と見なすから、寄り付いて来るわけだし、悪意があってそうしているのではないので影響も少ない。
いつもはすぐに帰るのだが、この日は神殿前の片隅に留まって、他の客を待った。
ふた組ほど参拝客が来たので、恐縮ながら、遠景で撮影させて貰った。
この日の私のセンサーはかなり鋭敏で、N湖周辺にいる時から視聴覚域が広がっているのを感じている。
このため「たぶん存在を捉えられるだろうな」と思ったのだ。
ひと組目は、夫(たぶん)の肩口に女児の顔が出ている。
悪意のないところを見ると、この男性が「よき父親」だということだろう。
父親にとっては娘は宝物で、いつも子を案じているから、その影響がある。
要するに愛情の為せるものだ。
ふた組目は、少し由々しい状況だと思う。
男性(たぶん夫)には、「女(A)」が出ており、これが私ではなく女性(たぶん奥さん)を睨みつけている。
念が表に出ているわけだが、こういうのは、死んだ者ではなく生きている人のものだろうと思う。要するに生霊だ。
ここからは想像や妄想だが、男性には彼女がいると思う。それが女(A)だ。
この念が強いので、脇に別の死霊(B)が立って「女」を見ている。要するに女(A)に引き付けられて現れたということになる。
あの世に社会制度は無く、浮気や不倫自体は悪ではない。そもそも肉体を持たぬのだから、考え方自体が意味を為さない。
だが、心をないがしろにすると、必ず報復が起きる。
どういう方向性を見出すのかは本人が決めることだが、「恨み」の念を放置すると、あまり良い影響は生じない。
とりわけ女性(妻)は気を付ける必要がある。死霊は心に働き掛けるだけだが、生霊は違う。物理的な災いをもたらす場合がある。
恨みの矛先を替えるか、本人に返すべきだ。
「女」は顔が崩れているから、男性への愛情ではなく、恨みが先に立っている。
これではこの女自身に良いことは起き難い。
こういうのは、早い内に起きている事態に気が付けば、人的トラブルが「決定的な結果」に結び付くのを回避出来る。
困ったことに、いわゆる「生霊」は念で出来ているので、心のごく一部でしかない。
相手が幽霊なら対話が成り立つこともあるが、「生霊」はそれを発する原因、すなわち元の人間の「念」を止める必要がある。
本人が念を発するのを止めるか、あるいは死ねば、「生霊」は消える。
正確には、「生霊」は「念」であって「霊」ではない。姿は似ているが、まったく別のものだ。
もちろん、後半の総てが「想像や妄想」の産物に過ぎないので、念のため。
単に「そんな風に見える」ということ。ただそれだけ。
人事は自身の判断と振る舞いで改善すべきことだ。
「あの世」が関与することは滅多にない。女(B)などは、ただ単に、匂いに引き付けられて近づいて来ただけだ。
だが、「心」は自身を取り巻く「あの世(幽界)」の状況に関わっているから、そちらをよく観察すれば、無用な苦痛を減らすことが出来る。
原因を把握すれば、「どう対処するか」が自ずから見えて来る、ということだ。
二時間かかりお焼香をしたが、まだ肩を抱かれているようで、触感が残る。
それと不整脈がまだ無くならない。
追記)過去にも幽霊に抱き付かれたことが幾度もあるが、分かりやすいのはこの昨年の画像だ。こういうことが起きても、別段何か異常な出来事が起きるわけでは無い。
起きている事実をよく確かめる姿勢が重要。ホラー映画や小説は作り話で、自称霊能者の多くは想像や妄想を語るだけだと思えばよし。幽霊は心に働き掛けるだけで、具体的な行動に現れることはごくまれだ。
私に対しては「助けて欲しい」「助けてくれる」と思って、寄り添っている。