日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎新しい道を探る(502)

f:id:seiichiconan:20200519040443j:plain
f:id:seiichiconan:20200519040429j:plain
f:id:seiichiconan:20200519040417j:plain
f:id:seiichiconan:20200519040405j:plain
f:id:seiichiconan:20200519040351j:plain
f:id:seiichiconan:20200519040334j:plain
令和二年五月十八日撮影

◎新しい道を探る(502)

 五月十八日は午前中から、N湖方面に向かった。

 N湖自体には規制がありまだ近づけないと思うが、周囲をひと回りするだけで気が晴れる。ここは郷里の景色によく似ているからだ。

 

 それからいつもの神社に向かった。これが午後一時頃だ。

 土日は買い物に出ると、どこも大混雑。まだ気を許せる状況では無いと思うが、さすがに皆さん溜まっているものがあるらしい。駐車場が満杯で、中に入らずに戻って来たほどだ。

 この日は月曜だから、人出はそれほどでも無し。

 神社もポツンポツンと参拝客が来る程度だ。

 

 N湖近くで、既に自覚症状があったので、この日、自分自身に起きたことについてはよく分かっている。しかしま、画像が不鮮明で、他者に説明する根拠としては足りないから、詳述を控えることにした。

 時々、自身に起きることが、この日も起きている。

 ま、私にはあまり影響がないことが分かっているので、ご供養をしてあげることにした。

 「助けて欲しい」「助けてくれる」と見なすから、寄り付いて来るわけだし、悪意があってそうしているのではないので影響も少ない。

 

 いつもはすぐに帰るのだが、この日は神殿前の片隅に留まって、他の客を待った。

 ふた組ほど参拝客が来たので、恐縮ながら、遠景で撮影させて貰った。

 この日の私のセンサーはかなり鋭敏で、N湖周辺にいる時から視聴覚域が広がっているのを感じている。

 このため「たぶん存在を捉えられるだろうな」と思ったのだ。

 

 ひと組目は、夫(たぶん)の肩口に女児の顔が出ている。

 悪意のないところを見ると、この男性が「よき父親」だということだろう。

 父親にとっては娘は宝物で、いつも子を案じているから、その影響がある。

 要するに愛情の為せるものだ。

 

 ふた組目は、少し由々しい状況だと思う。

 男性(たぶん夫)には、「女(A)」が出ており、これが私ではなく女性(たぶん奥さん)を睨みつけている。

 念が表に出ているわけだが、こういうのは、死んだ者ではなく生きている人のものだろうと思う。要するに生霊だ。

 ここからは想像や妄想だが、男性には彼女がいると思う。それが女(A)だ。

 この念が強いので、脇に別の死霊(B)が立って「女」を見ている。要するに女(A)に引き付けられて現れたということになる。

 あの世に社会制度は無く、浮気や不倫自体は悪ではない。そもそも肉体を持たぬのだから、考え方自体が意味を為さない。

 

 だが、心をないがしろにすると、必ず報復が起きる。

 どういう方向性を見出すのかは本人が決めることだが、「恨み」の念を放置すると、あまり良い影響は生じない。

とりわけ女性(妻)は気を付ける必要がある。死霊は心に働き掛けるだけだが、生霊は違う。物理的な災いをもたらす場合がある。

 恨みの矛先を替えるか、本人に返すべきだ。

「女」は顔が崩れているから、男性への愛情ではなく、恨みが先に立っている。

これではこの女自身に良いことは起き難い。

 

 こういうのは、早い内に起きている事態に気が付けば、人的トラブルが「決定的な結果」に結び付くのを回避出来る。

 困ったことに、いわゆる「生霊」は念で出来ているので、心のごく一部でしかない。

 相手が幽霊なら対話が成り立つこともあるが、「生霊」はそれを発する原因、すなわち元の人間の「念」を止める必要がある。

 本人が念を発するのを止めるか、あるいは死ねば、「生霊」は消える。

 正確には、「生霊」は「念」であって「霊」ではない。姿は似ているが、まったく別のものだ。

 

 もちろん、後半の総てが「想像や妄想」の産物に過ぎないので、念のため。

 単に「そんな風に見える」ということ。ただそれだけ。

 

 人事は自身の判断と振る舞いで改善すべきことだ。

 「あの世」が関与することは滅多にない。女(B)などは、ただ単に、匂いに引き付けられて近づいて来ただけだ。

 だが、「心」は自身を取り巻く「あの世(幽界)」の状況に関わっているから、そちらをよく観察すれば、無用な苦痛を減らすことが出来る。

 原因を把握すれば、「どう対処するか」が自ずから見えて来る、ということだ。

 

 二時間かかりお焼香をしたが、まだ肩を抱かれているようで、触感が残る。

 それと不整脈がまだ無くならない。

 

追記)過去にも幽霊に抱き付かれたことが幾度もあるが、分かりやすいのはこの昨年の画像だ。こういうことが起きても、別段何か異常な出来事が起きるわけでは無い。

起きている事実をよく確かめる姿勢が重要。ホラー映画や小説は作り話で、自称霊能者の多くは想像や妄想を語るだけだと思えばよし。幽霊は心に働き掛けるだけで、具体的な行動に現れることはごくまれだ。

私に対しては「助けて欲しい」「助けてくれる」と思って、寄り添っている。

f:id:seiichiconan:20200520073524j:plain
f:id:seiichiconan:20200520073508j:plain
平成31-令和元年中の抱き付き画像