◎雄牛は可哀そう
誰もが飲む「牛乳」だが、牛がその乳を出すのは「子を産んで、その子が授乳期にある時だけ」だ。
このため、乳牛の雌は、一生の大半を妊娠するか、授乳するかで暮らす。
強制的に妊娠させられるのだから、実際、「堪ったものではない」はずだ。
それでも雄よりはるかにましだ。
乳牛でも雄雌は半々ずつ生まれる。ところが、「乳牛」で思い浮かべるのは、総て雌だ。乳を出さない雄は、基本的に必要が無い。種牛は肉牛でも乳牛でも、ひと地域に1、2頭だから、大半の雄は不必要な存在になる。
この辺は身につまされる話だ。
雄の乳牛も肉にはなるから育てられるが、ごく若い成牛の段階で肉にされる。3歳くらいになると屠畜場に連れて行かれ、後に「交雑種」みたいな名前で店頭に並ぶ(「交雑種」は正確ではないので念のため)。
「廃用牛」の方はお役御免になった乳牛で、齢を取った母牛のこと。こっちの肉はそれほど極端に不味くは無いが、美味くも無いので、値段は安い。
若い雄の乳用種の方は、若いだけあって不味くはない。
ま、人間なら二十歳くらいで必ず殺されるわけだから、やはり気の毒だ。
冒頭に戻ると、乳を出すためには、「子を産む」ことが必要不可欠だが、子牛を産んだ直後は乳が濃すぎるので出荷出来ない。
このため、ある程度薄くなるまで、やはりひと月くらいは子牛が飲む。
この時点の乳は、赤ちゃんに必要な栄養が揃っているので、もの凄く濃い。
幾度か、牛飼農家に行き、この乳を飲ませて貰ったことがあるのだが、あまりにも濃すぎて、小さいコップ一杯の牛乳を全部飲めなかった。牛乳に大匙2、3杯のバターを溶かして入れたような味だ。
牛の雄が可哀そうだと言っても、さすがに鶏やウズラほどではない。
雄のひよこは選別されると、すぐさま養豚場行きだ。生きたまま豚の餌になる。
ウズラの雄のひよこはこれも動物の餌になるのだが、こちらは生餌が前提になっている。スネークセンターに行くと、蛇がウズラを食べるところを見せる
こういうのは教育の過程できちんと見せるべきだと思う。
普段、当たり前だと思って食べている肉は生き物を殺した結果なのだときちんと教えるべきだ。
数十年前に、バイトで高校生の家庭教師をしていたが、その時点で「牛乳は山羊の出すミルク」だと思っていた高校生が現実にいた。テレビの「ハイジ」しか観ておらず、生身の牛など見たことが無いからだ。
今はその世代が親になり、子どもを育てている。
想像がつくが、小学校の父兄の話を聞くと、子どもたちには「残酷だから」という理由で、屠畜の話をすること自体、極端に反対されるそうだ。
それもその筈で、その親たちがそういう事実に触れたことが無いわけだ。
「牛」が「スーパーの陳列台に並ぶ肉片」だけになってしまうのは、もののごく一面でしか見ていないということだ。
動物を殺す行為は残酷なのだが、現実にはそうやって得た肉を食べている。
そういうことを何ひとつ考えずに大人になることの方が恐ろしいと思う。