◎夢の話 第805夜 「行ってもよいか?」
三日の朝九時に仮眠を取ったのだが、その時に観た短い夢だ。
山の麓に祭壇を設営し、祈祷を始めた。
お焼香をし、人の生き死について、様々な具体例を挙げて語り掛ける。
これが私なりのご供養だ。
神職や僧職ではないので、祝詞やお経を唱えたりしない。素人の付け焼刃など、あの世の者はすぐに見通すから、役に立たないばかりか害になる。
実際、それに反応して、一層、良からぬ者が寄り付く。
太いお線香を焚き、その周囲を細いお線香で囲む。
火を灯すのは太い先行一本なのだが、じきに周囲の線香にも火が灯る。
この仕掛けは、幾度やっても分からない。間が離れているのに、何故火が移るのか。
延々と半日の間それを続けていると、近くを通り掛かった人が足を止めて見て行く。
「何をやっているのか」と声を掛ける者もいるが、祈祷中は一切答えない。
当たり前だ。
夕方になり、周囲が静かになる。
私は一人なのだが、周りに沢山の気配が満ちている。
ここで唐突に「何がご供養だよ」と叫ぶ声が聞こえる。
それと同時に、鮮やかな五色の彩色が施された紙が三枚並べられた。
間を置かず、私の背後で「お前を軽んじているぞ。俺が出て行ってもよいか?」と問い質す声が響く。
「良いも悪いも無かろう。お前を留め置くことは出来ないし、そいつを守ってやろうにも、生きている者なのか死んでいる者なのかも分からない」
悪口の主が誰か分かりさえすれば、それ以上、悪縁が取り憑かぬよう、守ってやれるのに。
ここで覚醒。
「たぶん、実際に出動した」と思う。
私が「善の側にいる」者とみなすなら、それは大間違いで、最も近いのは亡者の群れだ。
だから、良からぬ者がふんだんに控えている。
死者であれば、皆で寄ってたかって相手を喰うと思う。
生きている者であれば、次から次へ悪縁が棲み付く。
常々、「コメントをしてはならない」「ツイッターに書いてもならない」「拡散もしてはいけない」と書いている通り。興味本位であの世の話を紹介しているわけではない。きちんと警告している通りで、その警告は私ではなく、その者のためのものだ。
「あの世の住人を軽んじてはいけない」のだが、私も半ばはそちらの住人だ。
恐らく、「白い女」と「妖怪顔」が出動したと思う。
ちなみに、直接関わらぬ分には「祈願」でも「呪い」でもないから、反動が無いと思う。
しかし、あの「紙三枚」は一体どういう意味なのだろう。
絵具をぐちゃぐちゃに混ぜ、ぶち撒いたような色合いだった。
何かしら意味がある筈だが、今はまだ分からない。