◎古貨幣迷宮事件簿 「ヤマシタ財宝」の話
今から25年は前のことになるが、ある建設会社から電話が来た。
「フィリピンで工事をしているが、地中から銀貨が沢山出た。見てくれないか」
そこでその会社を訪問して、現物を見せて貰った。
すると、そこにあったのは、様々な国のトレードダラー(貿易用の銀貨)で、1930年代くらいまでの年号が記してあった。
ところが、マイクロスコープで拡大すると、各所に「溶解穴」が見える。これは解けた金属が冷えて固まる時に「容積が縮小する」ことで生じる欠損だ。
すなわち、その銀貨は「鋳造製」だということ。
鑑定結果は、もちろん、「これは本物ではありません」ということになる。
近代貨幣はプレス式、すなわち打刻によって作られる。溶かすことが無いので、「溶解穴」は生じない。
ありがちなケースは、詐欺目的で地中に埋め、「財宝が出て来た」と触れ回るというものだ。「財宝を掘り起こすには資金が必要だから、出資者を求める」という告知を出し、金が詰まるとドロンする。
これは本当によくある。彼の国では毎年のように起きている。
しかし、建設会社の人が言うには、「ブルダーザーで地面を掘り起こしたら、ドラム缶に入った銀貨が出て来た」という話だ。
それなら、「意図的に地中に埋め」たものではないかもしれない。
手元で眺めている銀貨は、マレー方面やシンガポールのものだったので、あるいはそちらから運んだかもしれない。
「日本軍が運んで埋めた」という説は、あながち外れてもいないのかもしれん。
私の結論は、「恐らく旧日本軍が捨てたもの。銀を徴発したが、流通を目論んだタングステンなど、合金製の贋金が混じっていた。そこでそれを選り分け、銀でないはないものをまとめて廃棄した」という見解だ。
フィリピンやタイでは、旧日本軍の遺した財宝に関わる言い伝えが沢山ある。
総称で「ヤマシタ財宝」と呼ばれ、今も多くの人が探している。
山下奉文陸軍大将は、マレー作戦でシンガポールを攻略したが、「ヤマシタ財宝伝説」は「この時に徴発した金銀をフィリピンに運んだ」という説になる。
ただし、山下大将がマレー半島で活躍したのは1941-42年の頃の話で、後にフィリピン防衛に参加したのが44年であるから、やや期間がずれる。
日本軍の中核的拠点は、バタアン、バギオ方面で、とりわけ、この地域に「ヤマシタ財宝」の言い伝えが残っている。
個人的な理由で、フィリピンを幾度も訪れている時期があったのだが、その時に「ヤマシタ財宝」の話はよく聞いた。
「発掘を行い、金を掘り出している村があり、マニラの歯科医が金素材を買いに行っている」
実際に見に行くと、金を見せてくれるとのこと。ま、こういうのは最も怪しい。
埋蔵金は国に収用される恐れがある。フィリピンでは、無条件で「発掘品の5割」は国のものになる。
この国には、近代までの貿易の拠点となった港が各所にあるが、そこには沈没船が沢山眠っている。しかし、それを引き上げようと試みる者は誰もいない。
お金をかけて引き揚げたところで、国が無条件で半分、おそらく大半をなにやかやと言い掛かりを付けて持ち去るだろう。サルベージには何億円の経費が掛かるから、割が合わなくなってしまう。
私はマスバテ島に「戦後初めて訪れた日本人」だったが、遠浅の海には宋朝の陶磁器のかけらが落ちていた。スペイン銀貨を「砂浜で拾った」という若者がいたので見せて貰ったが、本物だった。
何百年もの間、中継港だったから、沖合では船が沢山沈んでいる。
引き揚げを試みようと、欧米人が調べに来るが、総ての人が途中で止めるそうだ。
その国の政府のために引き揚げるわけではないからだ。儲からなければ始まらない。
おまけに海には殺人クラゲまでいる。
かたや、バタアンには信ぴょう性の高い話もある。
「マルコス時代に、比軍が来て、地元の労働者を雇って作業をさせた。しかし、その作業に従事した男たちは家に戻って来なかった」
作業労働者だけでなく、それを指揮していた軍人も戻って来なかった。
要するに、「秘密を守るために殺された」のではないかというものだ。
イメルダ・マルコス夫人は、「マルコス家が米国に持っている資産は、ヤマシタ財宝を米国に持って行き換金したものだ」と証言している。
この証言は、「不正蓄財を隠すための嘘」だと言われることが多いのだが、しかし、「米軍機を利用して運ばせた」という軍人の証言もある。
マレーやシンガポールの偽銀貨が見つかるとなると、あながち総てを否定することは出来ないと思う。
しかし、「ヤマシタ財宝」を「マル福金貨」だとするのは誤りだろう。
わざわざ金貨型にする必要はないし、「マル福金貨」は「香港または広東省で作られた」とする説もある。実際、「山下奉文に貰った」という金貨は米国で数枚出たきりで、その後はアジア市場でしか出て来ない。
おそらく、軍関係者がフィリピンまで「持参した」のではないか。
割合、信ぴょう性の高い話は、「シンガポールの銀行から徴発した金の延べ棒」という説だ。
これには、日本人が作成した記号(要するに日本語)が打たれたものが実在する。
地元の人が「埋めるところを見た」と証言するケースもあるのだが、こちらはほぼ虚偽だろう。もし、埋めるところを見た者がいれば、その人は間違いなく殺されている。
二十年くらい前に、「ヤマシタ財宝が出たので、その金を買わないか」という話を、私の会社に持ち込んで来た日本人がいる。
「フィリピン沖で引き渡し」条件で、十数億円分の純金という話だった。
さすがにゲタゲタ笑った。
地中から金を掘り出したなら、わざわざ外国に売る必要はない。小分けにして、こっそりとマニラで売れば済む話だ。
ああバカらしい。
「山下財宝なら、どんなもので、どういう特徴があるかは既に分かっています。その金塊にどんな特徴があるかを説明してくださいね」
マレー、シンガポールのものが前提で、日本軍の打った標識もある。
それを言えなければ、まずは金など持ってはいない。
(この「標識」を公にすることはない。本物かどうかの鑑定基準になるからだ。)
もちろん、相手は説明など出来ない。そもそも詐欺目的だからだ。
「マル福」はアウト。
もし掘り当てたなら、フィリピン政府か強盗に狙われる。
それをわざわざ「公にする」のは、すなわち、「金などない」ということだ。
テレビ番組でこの話を観たが、少し調査不足のよう。
現地に行き、現物を調べてからものを言わなくてはね。
「ヤマシタ財宝」は「ただの都市伝説」ではない。何がしかの真実もあれば、その何百倍の尾ひれはひれも付いている。(終)
さて、本物はどれでしょう。
いつも通り書き殴りで、推敲も校正もしませんので、不首尾が多々あると思います。