◎夢の話 第807夜 家庭菜園
12日の正午頃の午睡中に観た夢です。
はっと我に返ると、どこか建物の中に居た。
「あ。ここは俺がよく夢に観る建物だ。俺は今、夢を観ているのか」
夢の中で私はこの建物を「家」と見なしている。ここはこれまでの人生の中で経験したことを格納するためのものだから、かなり大きい。サンシャインビルくらいの大きさがあり、まるで要塞のよう。
「そう言えば、ここはただの夢ではなく、あの世とも繋がっていたっけな」
純然たる夢であれば、総てが私の記憶で構成されている。ところが、この世界には私の知らぬ者がいて、私と関わりのないことを行っている。
出入口が全面ガラス張りの扉だったので、そこから外を眺める。
春の穏やかな日で、柔らかい日差しが庭に降り注いでいた。
建物の前の庭には、主に花きの類が沢山植えてあった。
すると、庭の花々の間を誰か人が歩いていた。
麦わら帽子を被った割と高齢の女性だ。
「あ。あれは」
ジョウロを持ち、花に水をやっていたのは、私の母だった。
「昨年からぱたっと姿が見えなくなっていたが、お袋はここにいたのか」
母は生涯、家族のことを案じる人生を送ったが、死後も私の近くにいたらしい。
しかし、生きている者を見守ったりせずに、この庭でのんびり過ごしていたのだ。
それなら安心だ。
ここなら、私が死ねば、母に会いに行けるということだ。
母の生前には、母の期待に何ひとつ応えられなかったが、その世界での面倒なら見られる。私は無駄な存在ではなかったということだ。
母がいる反対側の三四十メートル先には、道路との境目にベンチが置いてあったのだが、誰かが勝手に庭に入ってそこに座っていた。
若い女で、モデルでもやっているかのような美人だが、ベンチに座り、何かを食べていたらしい。
その女が立ちあがると、少しく考えたが、庭仕事用の洗い場に歩み寄るとそこにゴミを放り棄てた。食べ物の包み紙だけでなく、小ぶりのフライパンまでそこに放り棄てた。
オイオイ。どこから持って来たんだよ。
ま、こういう人は現実世界にもいる。
外見はきれいでも、心根はそうでもないらしい。
それでも、走って行き、注意するほどのことでもない。
せっかく母の姿を見たのに、今そんなことをすれば、気分が壊れてしまう。
ここで、自ら覚醒。
同時並行のもうひとつの夢では、暗い闇の部分を垣間見ていた。
そちらには、妖怪顔の死霊が現れ、「何でも思い通りにしてやるぞ」と私を誘った。
世の中には「コロナなどただの風邪だ」と叫んで、マスクなしで集会を開く者がいるらしい。だが、元々、肺に損傷を持つ者は、感染した時点で「死刑執行」と同じ意味になる。
「ただの風邪」ではない者もいるわけだから、結局は「自分が良ければそれでよい」というわけだ。
もしそれで感染しても、感染から数日ならある程度動ける。
その間に、今まさに死刑を執行されようとしている者が、あの「ただの風邪だ」と叫んでいた者をそのままにして置くだろうか。
コロナではなく「刺されて死ぬ」という事態のことを、そういう人たちは想像できないらしい。
ま、私の場合は、妖怪顔に「頼む」と願うだけで済む。
あの妖怪顔の名は「※※※タイル」か「※※テイル」みたいな響きのようだ。
割と近くに居て、常にこちらの心の内を覗き見ている。
想像や妄想だけでなく、既にかたちとして死霊を見ているのだから、私自身が死霊の側にごく近い立場だということだ。
そうなると、あまり悪意を抱えずに、「日の当たる花畑で庭仕事が出来る」ように心掛けようと思う。
生きている者がイメージするものと、実際に存在する「あの世」は全く違う。怪談話は恐ろしいが、そういう物語には必ず結末がある。
あちら側にはあちらのルールがあり、それに抵触すると、想像を絶する事態が待っている。困ったことにその事態には終わりがない。