日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎銀貨の腐食について

 

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◎銀貨の腐食について

 まずは思い出話から。

 これは既に三十年は前のことだ。

 花巻のNコインズを訪れると、Oさんが出掛ける支度をしていた。

 「売り物があるという連絡が入ったから、今日は店を閉めてこれから買いに行くんですよ」

 Oさんは車の運転をしないから、先方が迎えに来るのを待っていたのだ。

 しかしこの迎えがなかなか来ない。先方に何か都合が出来たようだ。

 私はこの日所用があったのだが、ひとまずOさんを現地まで送って行くことにした。

 自身の所用を済ませ、夕方になりOさんの店舗兼自宅に戻ってみると、Oさんも帰っていた。

 そこで見せられたのは、明治三年の円銀だった。

 「これを見とくといいよ」

 一枚ずつが丁寧に和紙で包まれていたのだが、総て「粉を吹いたような白色」だった。

 「丁寧に包み、箪笥の奥や金庫に仕舞って置くとこんな感じになるんだよ」

 銀特有の黒い錆は少ないのだが、別の古色が付着している。

 

 明治の半ばくらいに東北本線の建設工事が北上するが、福島、仙台、盛岡と用地買収を進めた。その際に土地の代金として支払われたのは、この明治三年の円銀だった。

 このため、鉄道沿線の旧家には、この明治三年が眠っていることがある。

 そこからこの品が出て来る時には、ある程度まとまった枚数になる。多くは十枚前後のことが多かったようだ。ある程度お金として使うが、使わずに仕舞って置くのがそれくらいだったということだ。

 ちなみに、明治の二十年代や三十年代になってから、わざわざこの明治三年を支払いに充てたのは、まだその頃でも紙幣に対する信用が低かったためだ。

 明治の旧国立銀行券の百円札なら、「家が建つほど」だが、つい数十年前までは金銀貨幣を使っていたから、大型の銀貨の方が通りが良い。

 「鏡みたいな表面を保てるのは、純度が幾分低い場合だけなんだよ」

 近代貨は収集の対象ではなかったが、勉強になる話だ。

 Nコインズでは、その後も時々、この明治三年が持ち込まれることがあったようだ。

 

 ちなみに、戊辰戦争の時に官軍が北進するが、薩摩兵は大阪、江戸と幕府の機関を接収し、資材やお金を徴発した。それをそのまま東北地方遠征の際の軍資金に充当したから、官軍の通り道にある旧家から天保通宝の母銭が出ることがある。

 母銭も通用銭も関係なく、「金」として使うためにかっさらったということ。

 一度、二百枚の母銭がまとまって出たことがあるが、針金で括っていたから、多くは内郭の部分に深い傷が出来ていた。

 

 さて、銀は簡単に古色がついてしまう。

 銀貨を空気に晒し、机の上に置きっぱなしにすると、数か月で薄いトーンが着く。

 これは不可避だし、当たり前だから、それほど気にしない人が多い。

 それを嫌い、洗ってしまったが最後、今度は薬品による変色が始まるから、何もしない方がましだ。

 

 最初の画像は、前回、本会で売却に供した銀貨になる。

 きちんと断りを入れたが、「金融機関の金庫に仕舞われていた品」で、概ね「袋入り」か「ロール」になっていた。

 袋には「◎●銀行」と書かれていたが、紙ロールの方は、無地のものが多かった。

 明治時代の初中期のロールだと、紙には「何も書かれていない」か「墨書き」のことが多いようだ。

 持ち込まれた品は、幾らか開封されたようで、枚数がきちんと揃っていなかった。

 そこは百年以上前のものということだ。

 

 ちなみに、同時に出た銅貨が参考図になる。こちらはほぼ使われない状態で紙ロールに巻かれたものだ。明治七年だから百数十年前には金庫に入っている。

 ほとんど使用されていないので、製造時のものしか傷は無いのだが、表面色は変化している。青銅貨特有の茶色になり、所々に黒い錆が出ている。

 実際、包みには五十枚前後の貨幣が入っていたが、青錆が出ているものが半数に達していた。これはかなり綺麗な方だ。

 空気を遮断してパッケージすれば、錆のあまりつかない状態を保存できるわけだが、それが可能なものは戦後のものくらいで、明治時代の貨幣では不可能な話だ。

 

 ここで銀貨の話に戻る。

 冒頭のような状態の品がかなりの枚数あったので、銀の古色を観察することが出来た。

 流通貨幣なら、扱いの仕方でバラツキが出るが、未流通の貨幣なら古色の付き方に同じようなパターンを辿る。

 まずはギザだ。貨幣がぴったり接するように包んだことの影響だと思われるが、輪側のギザには黒い銀錆が入っていることが大半だ。

 次は面背の周縁部から内側に向けての黒トーンだが、これには程度の差がある。

 要するに、空気との接触状態に従って銀錆が進行するということになる。

 打極の深いところや図案の細かなところには錆が入りやすい。

 

 さて、プレス貨幣でなく、銀板に極印を打つ場合はどうだろうか。

 明治以降の銀貨の錆び方と同じであれば、1)打極印の谷や、2)周縁から中央に向けて黒い銀錆やトーンが入って行くことになる。

 分かりやすい事例は、「ある銀貨幣」だ。

 この銭種は元々が希少品で、存在数が少なかったのだが、四十年くらい前にまとまって発見された。この品の発見時の状況は詳細に伝えられているので、実際に旧家から出た品だろう。

 気付いている人も多いと思うが、小さい方は概ね貨幣に「うねり」がある(曲がっている、の意)。これは製造方法に関係するから、「状態が悪い」わけではない。

 また、二十年くらい前から、上記発見品とは別の出自になる未使用品が市場に出たようだ。

 既に現物が無いので詳述は止めておくが、「マイクロスコープを買って極印の谷を見てみる」ことをお勧めする。

 器具自体は3千円から1万円程度で買えるし、使用法も簡単だ。

 

 ちなみに、その「ある貨幣」について、当地の収集家のH山さんに意見を求めたことがある。

 「これは(製造から)五年は経っていないように見えますけど」

 すると、H山さんは、「こりゃ、ドコソレの●×という工場で作ったものなんだよ」と答えた。

 それからもう十数年が経つが、今あの当時のことを確認すれば、H山さんはきっと「そんな話をした覚えはない」と答えるだろうと思う。

 何故なら、それから数年くらいして、そのH山さんもそれを「本物」として売っていたからだ。やはり一段二段売値が安い。そこは「知っていた」ということ。

 

 古貨幣には、ファンタジーの側面があり、「事実が総て」ではない要素が沢山ある。

 これは時代小説に似ている。

 小説はけして史実と言えない話を、あたかも実際にあったかのように描く。

 自分の考えで価値を見出すのは、結局はその人の自由ということだ。

 

 蔵開けで、それまで退蔵されていた貨幣等を見せて貰えるとなったら、昔は多くの人が大喜びでついていっただろうが、今はそういう人は少ないようだ。

 「収集家」は、「実際に使われた見すぼらしい貨幣」よりも、「未使用の美しい偽物」の方を好む。

 

 最後にこの話をひと言で締め括ると、「マイクロスコープくらい買えよな」ということになる。それを使って見ることで解決することが沢山ある。

  

 備考)例によって、推敲や校正はしませんので誤変換や表現の怪しい箇所が多々あると思います。しかし、私にとって最も重要なのは「時間」なので一切の配慮をしません。