日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第811夜 駅

◎夢の話 第811夜 駅

 31日の午前3時に観た夢です。

 

 我に返ると、駅の入り口に立っている。

 「ここはいつもの駅じゃないか」

 始発駅で、どこか懐かしいつくりだ。

 新幹線のターミナル駅になったばかりの頃の上野駅に似ている。

 当初は十数本の在来線のホームと同じ列に新幹線も入線していた。

 

 「俺は何処に行こうとしているのだろう」

 首を捻るのだが、またく分からない。

 すると、後ろの方から声が響いた。

 「道を開けてください。危険です!」

 振り向くと、象の群れがこっちにやってくるのが見えた。

 ホームの端には貨物列車が停まっていたから、おそらくあの列車に乗せるのだろう。

 脇にどいて、象たちを通す。

 「一頭二頭三頭。いったい何頭乗せるのだろう」

 最後まで数えると、六十頭もの象がいた。

 

 象たちは貨物列車の近くまで行ったが、何か気に入らないことがあったらしく、突然、雄叫びを上げてフェンスを倒し、外に出始めた。

 駅の外には大きな森がある。

 象たちはその森を目指して、次々に続く。

 

 「そりゃそうだよな。誰でもあんな狭いところに閉じ込められたら堪らない」

 行け行け。逃げちまえええ!

 ここで覚醒。

 

 「象」は富の象徴らしい。「駅」は人生の分岐点だから、おそらくコロナの影響で仕事が減り、金が流出することへの不安感の表れだろう。

 業種によっては、毎月多大な赤字を抱える自営業者もいるから、そんな人の夢の中では、何百頭もの象が逃げ去ろうとしているのだろう。

 今は色々と大変なことが多いのだが、ま、どうにかなるさ。

 眉間に皺を寄せても何も変わらない。

 努めて明るく考えるべきだろうと思う。

 

 私にとってみれば、一年前、五年前、十年前のどの時に死んでいてもおかしくない。

 自分の死が「手の届くところ」まで来た時の恐ろしさと来たら。

 今が「おつり」の日々なら、楽しく暮らすに限る。

 喜怒哀楽のどれもが生きている証拠だ。