




◎悪縁封じ(543)
病院の帰りに、「庚申の水」を汲みに行くことにした。
循環を良くするには、「カルキ抜き」が有効だが、とりわけ、種々の薬を服用する患者にとっては、必須の領域になる。
ミネラルや浄水器でも水道水よりよいのだろうが、さらに地下水の方が良さそう。ご飯を炊いても、やはりひと味もふた味も違う
実際、脾臓や胆嚢に腫瘍が出来た時には、ゆはずの泉を飲むことで循環を良くしたら、自然に消滅した。今も複数個所に血腫が出来ているので、極力、浄化が必要のよう。
さらにその帰りには、神社に参拝した。
前日のあの悪夢があったので、自身の状態を把握しておく必要がある。
何せ「我々クラス」になると(苦笑)、夢はただの夢ではなく、悪縁(霊)は現実にこちらの体を掴む。足首を掴まれそうになったから、相手を蹴ったのだが、その際にも相手に「当たっている」という感触があった。
ご神刀で「悪縁祓い」をしてあるが、ひとまず念のためだ。
何もなければ、それに越したことは無い。
神殿への階段でデジカメにスイッチを入れたが、ハレーションが起きていたので、すぐ近くにいることが分かった。ファインダが下向きなのに、日光にレンズを向けた時のような絞りの異常が起きる。
参拝後、駐車場に向かう途中で、何となく開いてみたが、白い霧と複数の顔が出ていた。
「こりゃスゴイ。どうしたんだよ」
ま、この時期には「あの世」と「この世」が交信を始める。
空中を歩く老人が見えても、何らおかしくない。
ところが、帰宅してすぐに画像を開けたのだが、その時には「異変」の大半が消失していた。
いわゆる「心霊写真」の特徴には、「時間の経過と共に画像が変化する」ということがあるが、一時間で消えるという事態にはこれまで気付いていなかった。
しかし、最近知ったことだが、「変化」は撮影後からすぐに始まるものらしい。
とりわけ、白い煙がかたちになったような性質のものは雲散霧消してしまう。
画像コピーをすると、変化が鈍くなるので、撮影後、すぐにPCに取り込むと、直後のものが見られるかもしれん。
だが、こういうのは「他人受け」を取るためにやっているわけではない。
他人がどう見ようが見えようが、どうでもよい。
好奇心で動いているわけではないからだ。
もし、「受け」を取ろうと思うなら、自殺者の姿を出せばそれで済む。
ホラー映画に出て来る姿以上の「気持ちの悪いもの」を人目に晒せる。
画像はすぐに拡散するだろうし、その結果、目が開いてしまう人が出る。
そういう人は、いざ始まると、どんどん進む。いずれ程なく、後ろに立たれるようになるかもしれん。
直接的な影響が出ることは少ないが、間接的な影響は無いわけではない。
いつも「面白がってはダメ。拡散してはダメ。あまり他人に語るな」と書くのはそういうことだ。
母や私のような「現に目の前に立たれている」人に対し、事実を報せる必要があるから、ブログ等に記している。
実態を知り、腹を括れば、幾らか状況がましになる。
ちなみに、「モバイルPCを持参し画像を固定する」のは、もちろん、公開するためではない。あくまで自身がより一層知るためだ。
半裸の女(の幽霊)に抱き付かれたり、悪霊に足を掴まれそうになったりするのが、「ごく普通の日常」なだけに、常に対処策を考える必要があるということ。
ただ、幾らか画像に残ってくれねば、「ただの妄想家」「ちょっとおかしい人」になってしまうから、悪影響が生じない範囲で記録を残すことになる。
「あの世に関する知識」や「人受けのするストーリー」など、現場では何の役にも立たない。常に実証を心掛け、対処策を探すべきだろうとは思う。
亡くなったお祖父さんが孫を助けるために姿を現す、なんてことは現実には起きないのだ。
ひとまずは「消失している」のだから、当面は現状観察ということに。
どんどん新しいヤツが出て来るから、防戦一方の毎日だが、やれることも増えている。
追記)
そして、冷静に思い返してみると、「家人が玄関の扉のノック音を聞いた」あたりから、「総てが繋がっている」ことに気付く。
息子がうなされていたり、等、周辺を徘徊していたわけだ。
今は体調があまり良くなく、心臓が肥大し、酷い不整脈が起きていることとも関係があると思う。
死期が半年以内に近付くと概ねこういうことが起きる。
ただし、通常のこの手の異変は本人だけに起きることが多いのだが、家族も見聞きしている。
ただ、母が亡くなる半年以上前から、父は「母へのお迎え」に数度直面しているという事例があるから、これもその変化形かもしれん。
この数年で学んだことは、「ある程度、死期をずらすことは可能」ということだ。
それには、あの世の使者の接近をきちんと把握して、対処策を講ずる必要があるから、私的には条件がよいと思う。相手を知ることが出来るのと、誰かが分からないのでは状況がまったく違う。
「死後」を想定せず、いきなり「お迎え」に掴まれ、引きずり込まれる事態になったら、さすがにしんどい。
もうひとつは、これまで私が出して来た「警告」への反応だ。
「一年前くらいから、『地獄の釜の蓋が開いている』状態に入っていること」
「そのため、人間社会に悪意が満ちること」
「次々に災禍が降り注ぐこと(アモンの祟り)」
等を指摘して、「よく考えろ」と発信しているので、これに対し、「ちょっかいを出すな」という意思表示を行っているのかもしれん。
「祟り」は眼に見えるかたちで起きるのではなく、ひとの心の中に起きる。進行する事態を甘く見ることで対応を遅れさせたり、「自分だけは大丈夫」「自分が良ければよい」という考えを吹き込んだりする。
ほとんどの人は、「眼を瞑り耳を塞いでいる」状態だから、何ひとつ理解することは無いと思う。実際に体験したことがないのでは、想定すら出来ない。
これは仕方がない。
眼を見張り、耳を欹てられる者だけが、変化を受け止め、乗り越えられるのかもしれない。