日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎悪縁封じ(543)

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令和二年十一月二十一日撮影。

◎悪縁封じ(543)

 病院の帰りに、「庚申の水」を汲みに行くことにした。

 循環を良くするには、「カルキ抜き」が有効だが、とりわけ、種々の薬を服用する患者にとっては、必須の領域になる。

 ミネラルや浄水器でも水道水よりよいのだろうが、さらに地下水の方が良さそう。ご飯を炊いても、やはりひと味もふた味も違う

 実際、脾臓や胆嚢に腫瘍が出来た時には、ゆはずの泉を飲むことで循環を良くしたら、自然に消滅した。今も複数個所に血腫が出来ているので、極力、浄化が必要のよう。

 

 さらにその帰りには、神社に参拝した。

 前日のあの悪夢があったので、自身の状態を把握しておく必要がある。

 何せ「我々クラス」になると(苦笑)、夢はただの夢ではなく、悪縁(霊)は現実にこちらの体を掴む。足首を掴まれそうになったから、相手を蹴ったのだが、その際にも相手に「当たっている」という感触があった。

 ご神刀で「悪縁祓い」をしてあるが、ひとまず念のためだ。

 何もなければ、それに越したことは無い。

 

 神殿への階段でデジカメにスイッチを入れたが、ハレーションが起きていたので、すぐ近くにいることが分かった。ファインダが下向きなのに、日光にレンズを向けた時のような絞りの異常が起きる。

 参拝後、駐車場に向かう途中で、何となく開いてみたが、白い霧と複数の顔が出ていた。

 「こりゃスゴイ。どうしたんだよ」

 ま、この時期には「あの世」と「この世」が交信を始める。

 空中を歩く老人が見えても、何らおかしくない。

 

 ところが、帰宅してすぐに画像を開けたのだが、その時には「異変」の大半が消失していた。

 いわゆる「心霊写真」の特徴には、「時間の経過と共に画像が変化する」ということがあるが、一時間で消えるという事態にはこれまで気付いていなかった。

 しかし、最近知ったことだが、「変化」は撮影後からすぐに始まるものらしい。

 とりわけ、白い煙がかたちになったような性質のものは雲散霧消してしまう。

 画像コピーをすると、変化が鈍くなるので、撮影後、すぐにPCに取り込むと、直後のものが見られるかもしれん。

 

 だが、こういうのは「他人受け」を取るためにやっているわけではない。

 他人がどう見ようが見えようが、どうでもよい。

 好奇心で動いているわけではないからだ。

 もし、「受け」を取ろうと思うなら、自殺者の姿を出せばそれで済む。

 ホラー映画に出て来る姿以上の「気持ちの悪いもの」を人目に晒せる。

 画像はすぐに拡散するだろうし、その結果、目が開いてしまう人が出る。

 そういう人は、いざ始まると、どんどん進む。いずれ程なく、後ろに立たれるようになるかもしれん。

 直接的な影響が出ることは少ないが、間接的な影響は無いわけではない。

 いつも「面白がってはダメ。拡散してはダメ。あまり他人に語るな」と書くのはそういうことだ。

 母や私のような「現に目の前に立たれている」人に対し、事実を報せる必要があるから、ブログ等に記している。

 実態を知り、腹を括れば、幾らか状況がましになる。

 

 ちなみに、「モバイルPCを持参し画像を固定する」のは、もちろん、公開するためではない。あくまで自身がより一層知るためだ。

 半裸の女(の幽霊)に抱き付かれたり、悪霊に足を掴まれそうになったりするのが、「ごく普通の日常」なだけに、常に対処策を考える必要があるということ。

 ただ、幾らか画像に残ってくれねば、「ただの妄想家」「ちょっとおかしい人」になってしまうから、悪影響が生じない範囲で記録を残すことになる。

 「あの世に関する知識」や「人受けのするストーリー」など、現場では何の役にも立たない。常に実証を心掛け、対処策を探すべきだろうとは思う。

 亡くなったお祖父さんが孫を助けるために姿を現す、なんてことは現実には起きないのだ。

 

 ひとまずは「消失している」のだから、当面は現状観察ということに。

 どんどん新しいヤツが出て来るから、防戦一方の毎日だが、やれることも増えている。

 

追記)

 そして、冷静に思い返してみると、「家人が玄関の扉のノック音を聞いた」あたりから、「総てが繋がっている」ことに気付く。

 息子がうなされていたり、等、周辺を徘徊していたわけだ。

 今は体調があまり良くなく、心臓が肥大し、酷い不整脈が起きていることとも関係があると思う。

 

 まずは典型的な「夏目漱石シンドローム」だ。

 死期が半年以内に近付くと概ねこういうことが起きる。

 ただし、通常のこの手の異変は本人だけに起きることが多いのだが、家族も見聞きしている。

 ただ、母が亡くなる半年以上前から、父は「母へのお迎え」に数度直面しているという事例があるから、これもその変化形かもしれん。

 

 この数年で学んだことは、「ある程度、死期をずらすことは可能」ということだ。

 それには、あの世の使者の接近をきちんと把握して、対処策を講ずる必要があるから、私的には条件がよいと思う。相手を知ることが出来るのと、誰かが分からないのでは状況がまったく違う。

 「死後」を想定せず、いきなり「お迎え」に掴まれ、引きずり込まれる事態になったら、さすがにしんどい。

 

 もうひとつは、これまで私が出して来た「警告」への反応だ。

 「一年前くらいから、『地獄の釜の蓋が開いている』状態に入っていること」

 「そのため、人間社会に悪意が満ちること」

 「次々に災禍が降り注ぐこと(アモンの祟り)」

 等を指摘して、「よく考えろ」と発信しているので、これに対し、「ちょっかいを出すな」という意思表示を行っているのかもしれん。

 

 「祟り」は眼に見えるかたちで起きるのではなく、ひとの心の中に起きる。進行する事態を甘く見ることで対応を遅れさせたり、「自分だけは大丈夫」「自分が良ければよい」という考えを吹き込んだりする。

 ほとんどの人は、「眼を瞑り耳を塞いでいる」状態だから、何ひとつ理解することは無いと思う。実際に体験したことがないのでは、想定すら出来ない。

 これは仕方がない。

 眼を見張り、耳を欹てられる者だけが、変化を受け止め、乗り越えられるのかもしれない。