日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎悪霊(547)

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令和二年十一月二十三日~二十六日撮影画像

◎悪霊(547)

 この数日で、最も印象が鮮烈なのは、悪霊らしき「女」の姿だ。

 目立ったものでも、23日にふたつ、24日にひとつ出ている。

 何となく「このうち二つ(または三つ)が同じ相手ではないか」という気がする。

 自ら関わろうとするのは、あまり良いことではないが、ひとつはコテコテの悪霊だから、注意喚起の意味でも、ある程度のところまでは確かめることにした。

 

A 行列の脇に立っていた獣顔の女(23日)

B 参拝客男性の頭に取りついていた女(23日)

C 門の柱の陰から現れる女(24日)

 

 このうちAは、これまで仮に「スペードの女王」と呼んでいた相手だ。

 幾度かこの境内で目にしたが、これまではただの黒い影で、屋根の上や中庭に立っていた。

 各々の時点で指摘したが、「真っ直ぐな黒い影」なので、まったく伝わらなかったと思う。

 でも、「日の当たる、周囲に何もない屋根の上に影は出来ない」ので、ちょっと考えれば異変だと分かる。

 今回、初めて顔が分かる画像を取得したが、ライオンのような獣顔をしていた。

 どうやら、「アモン」や「猫わらし」と同類のよう。

 もとは人間だったと思うが、同化を繰り返しているうちに、筋金入りの悪霊になった。

 外見の印象では、ベム、ベロと来て、最後がベラの登場になる(アニメに例えたもの)。

 「スペードの女王」より「ベラ」の方が呼び易い。

 

 笑い話ではなく、この女はアモン以上に容赦のない者だと思う。

 前から「コイツがこの世に悪意を振り撒けば、さぞ酷いことになるだろう」と思っていたが、ついに始まるわけか。

 人間社会に悪意が満ち溢れるかもしれん。

 

 この「ベラ」に比べれば、BやCはまだ人間に近い。

 恨みなどの感情の断片が感じられる。自身がどうすべきかが分からず、彷徨したり、生きた人に取りついたりしているが、執着心を解放できるようになるまでは、まだ時間が掛かりそう。しかし、神社に来られているのだから、いずれは気が付くだろうとは思う。

 ご供養し、語り掛ければ、頑なな心もいずれは解ける。

 

 問題は「ベラ」だ。

 もはや人間からかけ離れた存在になっている相手に、どう対処すればよいのか。

 あるいは何が出来るのか。

 そんなことを考えながら、この日も神社に参拝した。

 これで四日連続の参拝になる。

 

 結論を先に言えば、この日は確からしい示唆が得られなかった。

 既に三時を回っていたが、曇りだったことも影響している。

 通常は、午前午後とも二時から三時くらいが「幽霊の活動時間」なのだが、冬は太陽の傾き方が早いから、もう少し早い時間帯で、「晴れている」ことが必要になる。

 

 コイツは悪意を撒き散らすから、ただ「見た」だけで影響がある。

 当家では家人が影響を受けやすいから、悪意の断片を抱えてしまい、この数日叫んでいる。

 悪霊の本領は、ひとの心の中に悪意を吹き込むというものだ。

 怒りや恨みの気持ちを何倍かに増幅させるから、ささいなことで命に係わるような暴力事件に発展する。

 どうにも腹が立った時には、「果たしてこれは自分自身の怒りかどうか」を問うてみる必要がある。

 コロナの影響で社会不安が増大するから、よくよく気を付けることだ。

 本番はこれからで、悪意、悪縁がこの世に満ちることになる。

 

追記)

 神社の周囲に悪霊が現れるのは、1)そこに幽霊も人も集まること、2)ほとんどが苦悶や願望を抱えている、からだろうと思う。

 その場で何かをするわけではないが、これという人間または幽霊を見付けると、後をついて行き、悪心を吹き込む。

 このため、神仏に接する時には、きちんと精神状態を整え、敬意を払う必要がある。

 さもないと、「欲心」を取っ掛かりにして、心を同化されてしまう。

 カジノや競馬場の門前に、「お金貸します」の看板を掲げることほど固い商売は無い。それと同じ。

 

 神社や仏閣で「信仰すれば現世利益がある」と謳うところがあるが、ある意味、悪霊の片棒を担ぐことになる。

 手を出して助けてくれるのは概ね悪霊の方。

 まともな者なら、「より良き結果が出せるよう、精進努力しろ」と説く。

 今生のうちに良い結果が出るとは限らぬが、前向きに進めば、死後にきちんとそれが返って来る。「死」は「終わり」ではなく、単なる「折り返し地点」だ。

 大半の者は「死ぬ準備」をせずに死に、結果的には死んだ後に右往左往している。

 

 盲目的に読経をしたり写経をしたりしても、何の意味もない。

 瞼を開き、耳をそばだて、「真実は何か」と考えることが大切だ。

 

 追記2)Cと似た「女」の姿は時々見かける。これは今年の七月に撮影したもの。

 別の画像を探していたら、たまたま見つけた。

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令和二年七月十九日撮影