








◎悪霊(547)
この数日で、最も印象が鮮烈なのは、悪霊らしき「女」の姿だ。
目立ったものでも、23日にふたつ、24日にひとつ出ている。
何となく「このうち二つ(または三つ)が同じ相手ではないか」という気がする。
自ら関わろうとするのは、あまり良いことではないが、ひとつはコテコテの悪霊だから、注意喚起の意味でも、ある程度のところまでは確かめることにした。
A 行列の脇に立っていた獣顔の女(23日)
B 参拝客男性の頭に取りついていた女(23日)
C 門の柱の陰から現れる女(24日)
このうちAは、これまで仮に「スペードの女王」と呼んでいた相手だ。
幾度かこの境内で目にしたが、これまではただの黒い影で、屋根の上や中庭に立っていた。
各々の時点で指摘したが、「真っ直ぐな黒い影」なので、まったく伝わらなかったと思う。
でも、「日の当たる、周囲に何もない屋根の上に影は出来ない」ので、ちょっと考えれば異変だと分かる。
今回、初めて顔が分かる画像を取得したが、ライオンのような獣顔をしていた。
どうやら、「アモン」や「猫わらし」と同類のよう。
もとは人間だったと思うが、同化を繰り返しているうちに、筋金入りの悪霊になった。
外見の印象では、ベム、ベロと来て、最後がベラの登場になる(アニメに例えたもの)。
「スペードの女王」より「ベラ」の方が呼び易い。
笑い話ではなく、この女はアモン以上に容赦のない者だと思う。
前から「コイツがこの世に悪意を振り撒けば、さぞ酷いことになるだろう」と思っていたが、ついに始まるわけか。
人間社会に悪意が満ち溢れるかもしれん。
この「ベラ」に比べれば、BやCはまだ人間に近い。
恨みなどの感情の断片が感じられる。自身がどうすべきかが分からず、彷徨したり、生きた人に取りついたりしているが、執着心を解放できるようになるまでは、まだ時間が掛かりそう。しかし、神社に来られているのだから、いずれは気が付くだろうとは思う。
ご供養し、語り掛ければ、頑なな心もいずれは解ける。
問題は「ベラ」だ。
もはや人間からかけ離れた存在になっている相手に、どう対処すればよいのか。
あるいは何が出来るのか。
そんなことを考えながら、この日も神社に参拝した。
これで四日連続の参拝になる。
結論を先に言えば、この日は確からしい示唆が得られなかった。
既に三時を回っていたが、曇りだったことも影響している。
通常は、午前午後とも二時から三時くらいが「幽霊の活動時間」なのだが、冬は太陽の傾き方が早いから、もう少し早い時間帯で、「晴れている」ことが必要になる。
コイツは悪意を撒き散らすから、ただ「見た」だけで影響がある。
当家では家人が影響を受けやすいから、悪意の断片を抱えてしまい、この数日叫んでいる。
悪霊の本領は、ひとの心の中に悪意を吹き込むというものだ。
怒りや恨みの気持ちを何倍かに増幅させるから、ささいなことで命に係わるような暴力事件に発展する。
どうにも腹が立った時には、「果たしてこれは自分自身の怒りかどうか」を問うてみる必要がある。
コロナの影響で社会不安が増大するから、よくよく気を付けることだ。
本番はこれからで、悪意、悪縁がこの世に満ちることになる。
追記)
神社の周囲に悪霊が現れるのは、1)そこに幽霊も人も集まること、2)ほとんどが苦悶や願望を抱えている、からだろうと思う。
その場で何かをするわけではないが、これという人間または幽霊を見付けると、後をついて行き、悪心を吹き込む。
このため、神仏に接する時には、きちんと精神状態を整え、敬意を払う必要がある。
さもないと、「欲心」を取っ掛かりにして、心を同化されてしまう。
カジノや競馬場の門前に、「お金貸します」の看板を掲げることほど固い商売は無い。それと同じ。
神社や仏閣で「信仰すれば現世利益がある」と謳うところがあるが、ある意味、悪霊の片棒を担ぐことになる。
手を出して助けてくれるのは概ね悪霊の方。
まともな者なら、「より良き結果が出せるよう、精進努力しろ」と説く。
今生のうちに良い結果が出るとは限らぬが、前向きに進めば、死後にきちんとそれが返って来る。「死」は「終わり」ではなく、単なる「折り返し地点」だ。
大半の者は「死ぬ準備」をせずに死に、結果的には死んだ後に右往左往している。
盲目的に読経をしたり写経をしたりしても、何の意味もない。
瞼を開き、耳をそばだて、「真実は何か」と考えることが大切だ。
追記2)Cと似た「女」の姿は時々見かける。これは今年の七月に撮影したもの。
別の画像を探していたら、たまたま見つけた。


