日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎禁を破る(548)

f:id:seiichiconan:20201202051641j:plain
f:id:seiichiconan:20201202051629j:plain
f:id:seiichiconan:20201202051613j:plain
f:id:seiichiconan:20201202051602j:plain
f:id:seiichiconan:20201202051550j:plain
f:id:seiichiconan:20201202051540j:plain
令和二年十二月一日撮影

◎禁を破る(548)

 病院のロビーを通る際に、発熱外来の方に眼を遣ると、既にかなりの混雑ぶりだ。

 入り口を入る際に検温をして、37度3分(か4分)を超えていると、普通のロビーには入れず、発熱外来に回る。コロナの疑い以前に、今はインフルエンザが始まっているから対応が難しそう。総合病院ではPCR検査も行っていると思うが、検査自体、病院で行うから、やはり「病院の中」が最も感染リスクがある。

 若者の中には「面倒だから(疑いがあっても)検査を受けない」風潮があるそうだが、そういう発想は、果たして「誰」が吹き込んでいることやら。

 悪縁(霊)たちがまた高笑いしていることだろう。

 例え無症状でも「髪の毛が抜ける」という後遺症が出るらしい。急に発生する「抜け毛」は血行、すなわち毛細血管の異常によるものだから、循環器系にダメージがあるということ。「直接的な症状が出ない」ことでたかを括っていると、40になる前に心筋梗塞脳梗塞でこの世とサヨウナラだ。ま、そういうのは自ら招くこと。

 決まりを知らなくとも、線を踏み越えれば罰せられるのは法律と同じ。考えが及ばぬことの責任は自分自身が取る。

 

 そういうのはどうでもよいが、私に残された時間があと幾らもないとすると、早いうちに「解明すべきことを解明する」必要がある。

 そこで、この日は病院の帰りに神社に参拝し、普段は禁じている領域に踏み込むことにした。

 この神社では、参道の左側にいわゆる「通り道」があり、あの世の者も神殿に参拝する。

 真ん中は神さまの通り道だが、左側は幽霊が通るラインになっている。

 ただ、道の上ではなく草叢の方に寄っているから、人は神さまと幽霊たちの間を取り抜けられる。

 このことが端的に分かるのは記念碑を掲げた石柵付近だ。

 いつも神殿のガラスに映る景色を眺めているわけだが、「そこには居ない筈の人影」が最も現れるのは、この石柵の周辺になる。

 

 そこで、この日はこの石柵まで階段を上がり、いつもとは逆方向で神殿を見通すことにした。これは普段はほとんどやらないことだ。

 ここが「通り道」であることを知る者はほとんど居らず、知らぬ者には何の影響も生じない。知らぬし、感知出来ぬのだから、そもそも「存在しない」のと同じ。

 相手の方もそういう者はスルーするようだ。

 だが、私はそれを承知しており、意図的にそこに踏み込むので、先方も私のことを間近に見ることになる。

 そうなると、多くの場合、「私の背後をついて来る」ことになる。

 すなわち、そこに足を入れることは「火の中に手を突っ込んで焼け栗を拾う」ということと同じだ。

 

 階段を上がる時には、「ほんの数枚だけ写真を撮影するだけですので、赦してください」と伝えながら上がったのだが、やはり多くの視線がある。

 こういうのは画像には残らないので、何とも説明に困る。

 「物ではなく光を見る」ことに慣れると、相手が如何に姿を隠そうが、異変が分かるようになる。

 

 しかし、影響が覿面に出て、神殿前で自身の姿を撮ると、少し離れたところに、「もう一人の私」が出ていた。位置的に、ガラスの継ぎ目とは関係がないから、「二重映り」ではない。

 画像はかなり不鮮明で、殆どの人には判別出来ぬと思うが、本人の私は別だ。

 その人影は、私と同じ服装をして、眼鏡を上にずらしてカメラを構えている。

 思わず声に出して言った。

 「おいおい。まだ画像だからいいけれど、これが目視ならドッペルゲンガーじゃないか」

 「ドッペルゲンガー」は、かなり昔から言われている都市伝説のひとつだ。

 ある日突然、「もう一人の自分」に出会う。姿かたちが瓜二つで、本人としか思えぬが、自分の意志で振舞っている。そして、そいつが現れると、程なく死ぬ。

 

 もちろん、「ドッペルゲンガー」はただの伝説だが、それに似たようなことは時々、起きる。この数年のうちでも、幾度か写真の中に私自身もしくは私のふりをした者が現れた。

 後者は私にそっくりだが、しかし、私ではなく「何か」が私に化けたものだと思う。

 こういうのは、本人に近付く手段のひとつでもあるようだ。

 ま、自分の問題として眼の前に現れるまでは、殆どの人にとって理解不能な話だ。

 

追記)ちなみに、人形または小人みたいなヤツが標識のひとつ。目に見えるかたち自体は「目の錯覚」なのだが、幽霊たちの「念」によって引き起こされるものだ。

 実際は、このケースでも草や石の陰影だ。

  だが、本物の「小さい人」は典型的な悪縁(霊)だから、軽く見てはならない。

 見た目は「お人形」で、子どもの持つ少女人形の姿をしているが、相手の心を騙すためのものだ。数多くの幽霊が凝り固まったヤツで、本性は老婆に近い化け物だ。

 通常の幽霊は心に働き掛けるだけだが、この手の「小鬼」は具体的に行動で示す。

 そういうのはレアなケースであり、滅多に起きないことなのはもちろんだが、物が動いたり、手や足を掴んだりする。

f:id:seiichiconan:20201202111607j:plain
f:id:seiichiconan:20201202111556j:plain
f:id:seiichiconan:20201202111543j:plain