◎禁を破る(548)
病院のロビーを通る際に、発熱外来の方に眼を遣ると、既にかなりの混雑ぶりだ。
入り口を入る際に検温をして、37度3分(か4分)を超えていると、普通のロビーには入れず、発熱外来に回る。コロナの疑い以前に、今はインフルエンザが始まっているから対応が難しそう。総合病院ではPCR検査も行っていると思うが、検査自体、病院で行うから、やはり「病院の中」が最も感染リスクがある。
若者の中には「面倒だから(疑いがあっても)検査を受けない」風潮があるそうだが、そういう発想は、果たして「誰」が吹き込んでいることやら。
悪縁(霊)たちがまた高笑いしていることだろう。
例え無症状でも「髪の毛が抜ける」という後遺症が出るらしい。急に発生する「抜け毛」は血行、すなわち毛細血管の異常によるものだから、循環器系にダメージがあるということ。「直接的な症状が出ない」ことでたかを括っていると、40になる前に心筋梗塞か脳梗塞でこの世とサヨウナラだ。ま、そういうのは自ら招くこと。
決まりを知らなくとも、線を踏み越えれば罰せられるのは法律と同じ。考えが及ばぬことの責任は自分自身が取る。
そういうのはどうでもよいが、私に残された時間があと幾らもないとすると、早いうちに「解明すべきことを解明する」必要がある。
そこで、この日は病院の帰りに神社に参拝し、普段は禁じている領域に踏み込むことにした。
この神社では、参道の左側にいわゆる「通り道」があり、あの世の者も神殿に参拝する。
真ん中は神さまの通り道だが、左側は幽霊が通るラインになっている。
ただ、道の上ではなく草叢の方に寄っているから、人は神さまと幽霊たちの間を取り抜けられる。
このことが端的に分かるのは記念碑を掲げた石柵付近だ。
いつも神殿のガラスに映る景色を眺めているわけだが、「そこには居ない筈の人影」が最も現れるのは、この石柵の周辺になる。
そこで、この日はこの石柵まで階段を上がり、いつもとは逆方向で神殿を見通すことにした。これは普段はほとんどやらないことだ。
ここが「通り道」であることを知る者はほとんど居らず、知らぬ者には何の影響も生じない。知らぬし、感知出来ぬのだから、そもそも「存在しない」のと同じ。
相手の方もそういう者はスルーするようだ。
だが、私はそれを承知しており、意図的にそこに踏み込むので、先方も私のことを間近に見ることになる。
そうなると、多くの場合、「私の背後をついて来る」ことになる。
すなわち、そこに足を入れることは「火の中に手を突っ込んで焼け栗を拾う」ということと同じだ。
階段を上がる時には、「ほんの数枚だけ写真を撮影するだけですので、赦してください」と伝えながら上がったのだが、やはり多くの視線がある。
こういうのは画像には残らないので、何とも説明に困る。
「物ではなく光を見る」ことに慣れると、相手が如何に姿を隠そうが、異変が分かるようになる。
しかし、影響が覿面に出て、神殿前で自身の姿を撮ると、少し離れたところに、「もう一人の私」が出ていた。位置的に、ガラスの継ぎ目とは関係がないから、「二重映り」ではない。
画像はかなり不鮮明で、殆どの人には判別出来ぬと思うが、本人の私は別だ。
その人影は、私と同じ服装をして、眼鏡を上にずらしてカメラを構えている。
思わず声に出して言った。
「おいおい。まだ画像だからいいけれど、これが目視ならドッペルゲンガーじゃないか」
「ドッペルゲンガー」は、かなり昔から言われている都市伝説のひとつだ。
ある日突然、「もう一人の自分」に出会う。姿かたちが瓜二つで、本人としか思えぬが、自分の意志で振舞っている。そして、そいつが現れると、程なく死ぬ。
もちろん、「ドッペルゲンガー」はただの伝説だが、それに似たようなことは時々、起きる。この数年のうちでも、幾度か写真の中に私自身もしくは私のふりをした者が現れた。
後者は私にそっくりだが、しかし、私ではなく「何か」が私に化けたものだと思う。
こういうのは、本人に近付く手段のひとつでもあるようだ。
ま、自分の問題として眼の前に現れるまでは、殆どの人にとって理解不能な話だ。
追記)ちなみに、人形または小人みたいなヤツが標識のひとつ。目に見えるかたち自体は「目の錯覚」なのだが、幽霊たちの「念」によって引き起こされるものだ。
実際は、このケースでも草や石の陰影だ。
だが、本物の「小さい人」は典型的な悪縁(霊)だから、軽く見てはならない。
見た目は「お人形」で、子どもの持つ少女人形の姿をしているが、相手の心を騙すためのものだ。数多くの幽霊が凝り固まったヤツで、本性は老婆に近い化け物だ。
通常の幽霊は心に働き掛けるだけだが、この手の「小鬼」は具体的に行動で示す。
そういうのはレアなケースであり、滅多に起きないことなのはもちろんだが、物が動いたり、手や足を掴んだりする。