日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎沈静化に向かうのか(549)

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令和二年十二月二日撮影

◎沈静化に向かうのか(549)

 さすがに、前日のように「もう一人の自分」らしきものを見るのは、あまり心地よいものではない。

 これがエスカレートすると、「草木が風に揺れるのを見て、『お迎えが来たか』とドキッとする」ようになる。

 早いうちに落ち着かせた方が得策だから、所用のついでに、湧き水を汲みに足を延ばし、その先の有間ダムで心を静めることにした。ここはもう、私にとってはホームグラウンドだ。宿題は残っているが、何がしかの貢献もしていると思う。

 

 初冬の景色はもの悲しいが、ボケっと眺めているだけで頭が空になる。

 人気の少ないダム湖を二十分ほど眺めて、引き返すことにした。

 割合早く腰を上げたのは、「寒かった」ということ。心臓に持病があると、寒いのが一番堪える。

 

 それから、いつもの神社でいつもどおり自分自身を撮影したが、別段問題は無し。

 もちろん、ゼロではない。

 ただ、はっきりしないうえに、いずれにせよ影響を受ける性質のものではない。

 影響がなければ「存在しない」のと同じことだ。

 こういうのは、もうそれが当たり前で、今後もそれが変わることは無い。