◎沈静化に向かうのか(549)
さすがに、前日のように「もう一人の自分」らしきものを見るのは、あまり心地よいものではない。
これがエスカレートすると、「草木が風に揺れるのを見て、『お迎えが来たか』とドキッとする」ようになる。
早いうちに落ち着かせた方が得策だから、所用のついでに、湧き水を汲みに足を延ばし、その先の有間ダムで心を静めることにした。ここはもう、私にとってはホームグラウンドだ。宿題は残っているが、何がしかの貢献もしていると思う。
初冬の景色はもの悲しいが、ボケっと眺めているだけで頭が空になる。
人気の少ないダム湖を二十分ほど眺めて、引き返すことにした。
割合早く腰を上げたのは、「寒かった」ということ。心臓に持病があると、寒いのが一番堪える。
それから、いつもの神社でいつもどおり自分自身を撮影したが、別段問題は無し。
もちろん、ゼロではない。
ただ、はっきりしないうえに、いずれにせよ影響を受ける性質のものではない。
影響がなければ「存在しない」のと同じことだ。
こういうのは、もうそれが当たり前で、今後もそれが変わることは無い。