日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎扉を叩く音(続)

◎扉を叩く音(続)

 「毎年、秋から冬にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の続きです。

 

 十二月二十七日午前三時四十分の記録。

 夢を観ていた。大きな会議に出ていたが、突然、「議長が急病で来られなくなったから、あなたが司会をしてください」と振られる。

 実際、四十台の一時期には、よくそういうことがあった。代わりが居ないし、断れば進行が滞るから、半ば仕方なく引き受けた。

 だが、もちろん、急場の話だし万全ではない。会場の客は裏事情を知らぬから、「段取りが悪いヤツだ」と思うだろう。それも分かる。

 「いつもこういう損な役回りが巡って来るよな」とつくづく思う。

 だが、自身の損得はどうでもよい。その局面に無くてはならぬパーツであればそれで十分だ。

 そんな流れの夢だった。

 

 その夢の内容とは、まったく関わりなく、傍らで声が響く。

 「父さん!!!」

 少年の声だった。

 すぐに夢から覚め、飛び起きる。

 息子が急に具合が悪くなり、苦しんでいるのかと思ったのだ。

 息子の部屋に行き、様子を確かめると、別段、何事もなく眠っていた。

 

 今は、例によって、居間の床で寝袋に入って寝ているのだが、その定位置に戻りつつあれこれ考えさせられた。

 「俺は、もしかして精神障害を患っているのではなかろうか」

 そんな風に自分自身を疑う。もしかして心に病気が?

 先ほどの「息子(?)」の声は、「夢で見た」みたいな大きさではない。

 そもそも、あの夢にはそぐわない展開だった。 

 そうなると、心に病気を持っているから、あんな声が聞こえてしまうのかもしれん。

 でなければ、幽霊だよな。

 

 次に考えたのは、このままもう少し人生が続いたとして、幾分、認知症気味になって来たら、「たぶん、詐欺に簡単に引っ掛かる」だろうことだ。

 親は子への愛情で支えられている面があるが、同時に子は「肩の荷」にもなっている。

 子どもたちの苦痛を減らすためなら、何でも差し出すと思う。

  そういう愛情のために、先程の「声」が聞こえてしまうのではないか。

 

 普段、「あの世の声」を散々聴かせられているが、あれは、自身の「心の病気」が聞かせているのかもしれん。

 この場合、「心に病気を持っている」のと、「心を何者かに支配されようとしている」のは、実質的に当人にとっては同じ意味になる。

 「自分自身を疑うようになることは、『誰か』にとっては『思う壺』の筈だ」

 そこで、こういう時のために取り置いてある写真を取り出した。これには、微塵の疑いなく「説明のつかない」人影が写っている。 

 

 「これって、現実だよな」

 私がブログやSNSに公開する画像は、「撮影した画像の一部」であって、他に「他人にはけして見せない画像」がある。

 見た者に影響を与えるだろうから見せないのだが、「説明のつかない何か」が実在していることが分かる。

 「俺の心に病があるかどうかは別にして、こいつらが実在していることは紛れもない事実だ」

 そのことで、少しく安心した。

 

 昔、二十台の末に、父が商用で上京し私の部屋に泊まりに来たことがあったが、その時、私は夜中に具合が悪くなり、救急病院に運ばれた。

 処置室に入った時には、一時、心停止まで行っている。

 その時の父の心境は如何ばかりだったのだろう。

 今は自身が父親の立場になり、幾らか想像がつくようになった。

 息子は父親の素質を受け継ぎ、時々、悪夢を観ている。そろそろ対処法を教える必要がありそうだ。

 

 しかし、あの「声」の大きさときたら。

 文字に落とすと何でもないようだが、驚いて跳ね起きるくらいだった。

 ちなみに、いつもは「助けて」だ。

 これは目覚めている時にも各所で聞く。