日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「気のせい」と「説明のつかない現象」の狭間

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令和二年十二月二十七日撮影

◎「気のせい」と「説明のつかない現象」の狭間

 経験が増え、様々な「説明のつかない現象」を目にするようになると、逆に判断ミスを犯しがちになる。これは、「既に見たことのあるもの」と「似ている」ことで、それが先入観となり短絡的に結論づけてしまうためだ。

 あまり関心の無い者なら「何でもない」画像でも、「人や物の陰に隠れていたりするケース」や「別の者に見せ掛けているケース」を疑うようになる。

 

 12月27日の画像は余り鮮明では無かったので、「思い込み」や「気のせい」、「想像や妄想」が過分に入り込んでいたように思える。

 そこで改めて一枚だけ検証し直すことにした。

 

 ここで対象とする画像は、「全体横に光の筋が走っている」画像となる。

 同じ位置から何百回も撮影しているが、同じような画像はほとんど無い。

 この位置には、電線も屋根の稜線も写り込むことは無い。

 

 左側から順々に見て行くと、まず「屋内の人」と「外にいる人」のサイズの違いが確認出来る。人もしくは人影のサイズによって、その人・人影がどこにいるかが分かる。

 二枚目の画像が左部分になるが、まず左下には女性の「二重映り」の手がふたつ映っている。

 左右でサイズが違うが、肩も同じように違うので、ガラスの角度の違いということ。

 ところが、「光の筋」は位置もサイズも正しく接合されている。

 右上は私なのだが、左右の肌色の手の上に、長爪の生えた白い手が乗っているように見える。

 中央下は、今回見直すことにした原因だが、一瞥すると女性の後ろに男がいて、しゃがもうとしている様子に見える。左の女性の手が、実は女性のものではなく、その女性に回した手だったりするケースがあるから、ドキッとする。

 だがよく見ると、これは女性がリュックを担ぎ直す場面のようだ。

 右側の腕が見えぬのは、肩紐に腕を入れ直しているからで、その右に見える男の型のようなものは、室内の人の右脚のよう。

 特に問題はなく、正常な画像だった。これはむしろ助かる。

 

 私の手については、本来の私の手は肌色に映っているのに、その上に白い手が乗っている。左の女性の手は肌色に見せるから、それと比較すると「おかしい」と分かる。

 ここで持っていたカメラは一眼レフのかなり重いものだから、指を開いたままでは支えられない。

 この手のは「うまく説明のつかない」画像では、ありがちなものだが、実際、他にめぼしい要因は無い。

 ただ、背後の白い煙はまだ姿を現してはおらず、目視での判別が出来ぬ状況だ。

 いずれ必ず姿を現すだろうから、その時に絡め捕ることになる。

 

 右側に目を移すと、複数の視線(眼)が見えるわけだが、これも似たものがよくある。

 見た目では分からぬが、顔や眼が横倒しになっていたり、逆さまになっていたりするとすぐにはそれと分からない。

 中央左の視線には眼力があるが、まだ「判別がつかない」と見なすべきだろう。

 こちらをしっかり見ているので、もし本物の幽霊なら、いずれまた姿を現す。

 

 総じて、「気のせい」や「思い込み」でなく、確実に「説明がつかず、観察が必要」な箇所は、画像の横に走る「複数の白い筋」と、私の手に被せられた「別の手」だろう。

 前者は磁気異常など物理的な現象の場合があるが、何がどのように作用するのかが分かっていない。

 後者は時々、これまで時々、起きて来た事態だ。なるべく分離し、遠ざける手立てを打つことになる。

 

 私が直面している状況は、野球に例えれば、「バッターボックスに立ち、投じられて来るピッチャーの球を打つ」局面だ。

 知的好奇心を満たそうとしているものでも、探求心や研究心に基づき前に進もうとしているものでもない。観客席でも審判でもなく、打席に立っている選手だ。

 三振すればアウトなのだから、疑わしい球はカットして三振を逃れる。

 本当にそれがストライクだったかどうかの判定はどうでもよく、「三振しないこと」の方が重要だ。

 しくじれば、ワンアウトどころかゲームセット、すなわち数日で死ぬこともある。

 いつも書く通り、「死ねば終わり」になるわけでは全然なく、そこから先の方がはるかに長く、そしてしんどい。

 

 この分野の情報は概ね「観客席からの感想」か「選手を装う者」の御託だ。

 自身がどうやって切り抜けるかは、自ら切り開くしかない。

 「瞼を開き、耳を欹てる」者だけが事態を打開できる。