日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎年明けからフルコース(555)

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令和三年一月十三日撮影

◎年明けからフルコース(555)

 これから月末まで、可能な限り参詣・参拝をすることにした。

 外出の自粛が求められているが、私が早く何かしらを発見すれば、ただ家にいるよりはるかに役に立つ。

 

 午後二時過ぎに神社に着いたのだが、神殿の近くは薄暗くなっていた。

 この数年で裏山の木々の枝が伸び、冬季の日差しでは昼過ぎには日陰に入ってしまうからだ。

 「これでは決定的に日光不足だから、分かることは何も無さそうだ」

 少し気が楽になる。

 何も起きない時は、穏やかな気持ちで帰宅出来る。

 

 だが、ひとつの法則がある。

 「撮ろうと意識したり、出るなよと念じたりすると、あの世は扉を閉ざす」という傾向だ。

 表門の前で自販機で飲み物を買ったが、リラックスして頭を空にすると、あの世の住人がひょろっと顔を出すことがよくある。

 しかし、同時進行的にそれが分かることの方が少ないので、普通に参拝して車に戻った。

 

 「今日は何も起きないだろうな」

 車で画像を開くと、しかし、何やら不自然なものが写っていた。

 画像は撮影順だから、私が神殿前に着くと、早速、「女」に見つかり、その「女」が私に手を伸ばして来た。そして、その様子を「黒いひと」が眺めている。

 そんな流れだ。

 

 どれも割合、視覚的に分かりよいが、このうち「黒いひと」のみは感情が表に出ていないので、確たる存在だとは言えない。だが、「黒いひと」はいつも存在感が希薄だ。

 かたや「女」と「手が複数ある」様子は、見ての通り。

 こういうことは割とよくあることだから、特に驚くに値しない。

 何か理由があって、すがって来るのだから、「助けて欲しい」のであれば、繰り返しご供養を施すことで、お互いに楽になる。

 相手に悪意があるようなら祓えば良いだけだ。

 要するに、こういう出来事があった時は、常に冷静に対処するよう心掛けると、割合簡単に落ち着く。

 あの世の者は顔が怖かったりするが、「そういうもの」だと思えば気にならなくなる。顔がいかついからと言って悪人とは限らないし、優しそうな表情であっても善霊とは限らない。生きている人と同じことだ。