◎女の幽霊が背後から抱きつく (一年前の振り返り)
「あの世(幽界)」との接点が出来やすいのは、十月から三月くらいの間だ。
空気が乾燥することと無縁ではなく、一月から二月がピークになる。
もちろん、概ね人間の可視域の外にいるから、目視で見えることは少ない。
カメラの捕捉範囲は人間の眼よりも広いから、写真には写りやすいのだが、それでもごく不鮮明にしか写らない。そもそも「見えぬ」のが普通で、条件があった時にだけ姿が現れるのだから、当然の話だ。
それを補うのは、経験を土台にした想像や推測だ。
画像は昨年の二月十四日に撮影したものだ。
二月で陽の入りが早いし、小雨模様だったから、既に薄暗くなっている。
外の方が暗いので、景色は映らず、専ら室内の様子だけが見えている。
しかし、ごく僅かに人影が見える。
この時、境内には私一人で、もちろん、私の姿だ。カメラを持ち、サングラスをずらしているので朧気でもそれと分かる。
だが、違和感のあるシルエットになっている。
この時、私は黒のジャケットに黒のズボンを身に着けていた。
だが、画像の中の私は、白いワンピースのようなものを着ている。
男性の姿で白いだけなら、「光の加減でそう見えた」と見なすだろうが、さすがにスカート姿ではそうはいかない。
なお、室内のこの位置には、スカートと誤認するような白い布は存在しない。
拡大して確認すると、うっすらと腕のようなものが見えるし、私の顔の横には女性らしき顔が覗いている。
それを見取った時、私は思わず「あ。またあの女だ」と声に出して言った。
「白いノースリーブの服を着た女」はそれまで度々画像に残っていたからだ。
ぴったりと私に寄り添っていることが多く、腕だけだったり手の先だったりもするが、「同じ女だ」と思う。
なお、画像では仕切り線の無い四枚目がもっとも判別しやすい。
一昨年の秋に撮影した画像では、顔と腕だけが見えているのだが、視線の印象と抱き着き具合がそっくりだと思う。そこは抱き着かれた当事者の感想だ。
「白い衣服を身に着けている」という意味では、同じく一昨年の「着物姿の女」も同じなのだが、髪形や着衣が違う。むしろ「御堂さま」の外見に似ているが、襟が割れており、胸元が開いている。また、納棺時の仏さまが着る白衣のよう。
「御堂さま」の方は巫女の姿だから別の者だと思う。
こういう画像が撮れ始めた当初は、さすがに驚き、薄気味悪く感じたが、姿が見えたからと言って、何かを仕掛けて来るわけでもない。
別段、何も起きなかったところを見ると、こういうことが起きること自体は、「別に何でもない」と思うようになった。
問題は「どのような意図で抱き着いているか」ということだ。
例えば、前回警鐘を鳴らした画像は、男性の背中に取り憑く「女」の姿だったが、その「女」の視線(眼)は良からぬ思いを抱いていることが歴然だった。
参考図の方からは、特に憎しみや恨み、嫉妬心などは感じない。
人には、幽霊の目に留まりやすい人がいるようで、私もその一人だと思う。
もちろん、持って生まれた素質のせいもあるし、「一度心臓が止まったことがある」こととも無縁ではないと思う。
とにかく、どこに出掛けても、「誰かの視線」を感じるし、採光の条件が合えば、それが画像にも残る。
ただ、同じように「幽霊が寄り付く」という現象は「誰の身にも起きている」ようだ。その人の心境によって、それと近い感情を抱く幽霊が引きつけられるように寄って来る。
こういうのは、接点が無くなると離れるから、長く悪意を抱え込まず、気分転換を図るようにすれば、幽霊は自然に去って行く。
極端に怖がり、心が波打つと、逆に幽霊が入り込む余地が生まれるので、「怖れぬ」ことが基本だ。「怖れぬ」とは「強がる」ことではないのは、いつも説明する通りだ。
無下に否定したり、念を駆使するより前に、よく確かめることが大切だ。
多くは一時の出来事に過ぎない。