日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎迎合主義の風潮 (森さん辞任)

迎合主義の風潮

 森さんが辞めるらしい。

 森さんは「女性蔑視」のつもりなどまったくなく、「この女性理事の長話をなんとかして欲しい」という愚痴を零しただけだ。

 ま、単語を切り取られるくらい「ガードが甘い」のは、生来の口の軽さと老化のせい。年寄りはつい小言を話してしまうものだ。

 

 メディアの「旗振り」はやはり朝日。全文掲載もやっているのは申し訳だろう。

 掲載しただけで読んではいない。(ま、概ね「誰も読んでいない」わけだが。)

 世の中の人のほとんどが、周りの風潮を見て、森氏の「女性蔑視」を非難する。

 「森さんが言いたいことはそれではないんじゃないのか?」と言うのは、ごく一部だけだ。

 怖ろしいほど一面的だ。

 こういったポピュリズムぶりは隣国と大差ない。

 

 JOC会長?の山下さんは、自身がその場で森氏に挨拶を頼んだ当事者なのに、一切、弁明・釈明してやらず、それどころか森氏を断罪していた。

 本来は「私が急遽、ご挨拶をお願いしたので、今回は申し訳なかったと思います。森さんには今言われているような意図は無かったと思います」くらいのことは言うべきだ。

 これじゃあ、組織によくいる「手柄は俺だが、失点は部下」の管理職と大差ない。迎合主義が際立っており、少し失望した。

 きっと政治家になれる。

 

 ま、「挨拶は400字800字に留めろ」ってのは金科玉条だ。

 この世で最も役に立たないのは居酒屋談義だが、ネットの浸透と共に公私の間の線引きが今は曖昧になっている。

 従前なら酒の席でしか許されないような言葉が、今は表に出て来るようになった。

 森さんの「話の長い女性理事への愚痴」は、酒を飲んで身内に話すべき内容だった。

 年寄りは長く椅子に座っていることが耐えられぬから、文句のひとつも言いたくなる。 

 「あの女、一人で四十分も話しやがって」

 

 これは「女」全般ではなく「この一人」のことだが、何故か話が「女性蔑視」にすり替わっている。

 しかし、一人も「意図(または本意)を汲むと」という視点で話す者が全くいない。

 これは、ある意味怖ろしい。

 

追記)「森さんはもう八十三歳だから、ラグビー協会での会議があまりにも長く感じられたのだろう」

 そんな風に観る人が「日本に一人もいない」ことは問題だと思う。

 社会正義を持ち出すと、一面的な見方になってしまい、これに反論する者が「悪」になってしまう。

 だから判で押したように「女性蔑視はダメ」と叫ぶ。それしか言いようがないからだ。

 これは隣国が使っている手口と同じだ。

 でも、森さんが言いたいのは、「年寄りは長く座っていられない」ということ。

 「女性蔑視」とは全然違う。日本はこんなことも想像できないような「抜け作」揃いだったと見える。

 

 そうなると、メディアは「本物の悪」だ。

 これは自分でも気づいていないだろう。「優秀な詐欺師」は、自分の吐く「嘘」を心の底から信じ切れる者だ。そうでないと他人は騙せない。

 

追記2)森氏は「IOCに気軽に電話できる立場」だった。

 それを追い落したら、後任は連絡に困るから、「相談役に残って貰いたい」と言うのに、世の中には「それもダメ」と叫ぶ人がいる。

 それこそ「蔑視」決めつけの感情論で、現実的ではない。

 五輪まであと半年だし、事務を組み立て直している余裕は無いと思う。

 ま、「開催出来ない」と思う人の方が大勢で、その前に終戦処理をすることになりそう。

 

 「火中の栗」とはよく言ったものだが、川渕さんが後任になってこれを拾えば、「男を上げる」結果になる。

 合戦の時、敗走する時に最も難しいのは、しんがりだ。

 敵が嵩にかかって攻めたてて来るのが見えているのに、これを「買って出る」とは見上げたものだ。

 

 「真・善・美」ほど危うい観念は無し。誰もそれを否定しにくいからだ。

 しかし、「正しいと思ってやっているんだろうけれど、実際は欲を満たそうとしているだけ。いずれツケは払ってもらうよ」と当方の「ある知人」が言っている。