◎三月は別れの月
木曜は通院日。通常の治療に加え、午後は各種検査が入っていた。
5件の検査があったので、午後も数時間病院内にいることになり、この日は終日病院で過ごした。
検査室の前のベンチに座っていると、後ろの救急処置室にどんどん患者が運ばれて来る。救急車で来た人や、診療科から回された人だ。
傍に女性(60歳前後)がいたが、看護師たちとあれこれ相談していた。声が大きいので、中身が全部丸聞こえだった。
その女性は少し不調があり、検査を受けに来たのだが、診察の時に「これからすぐに入院してください」と言われたようだ。
エコーを撮りCTスキャンを撮り、それが終わると、点滴を開始するとのこと。点滴開始なら手術をするということ。
この日に入院が決まり、午後のうちに手術を受ける訳だ。
かなり緊急であることが分かる。
女性はそんなつもりで来たのではないから、大慌てに慌てていた。親族に連絡するが、日中でなかなか連絡が取れない。
「妹に来てもらう」ような話をしていた。
「家のことも頼まないと」
この病院は循環器の施術が出来る外科医がいないから、心臓とか大動脈瘤、脳梗塞みたいな病気ではない。
他人事だが「一体どこが悪いのだろう」と首を捻る。
当人は「それほど重い病気ではない」と思って来た筈だが、早く処置しないと命に係わる状況だ。
病院内にいる時間が長いから、耳学問眼学問で大体は情報を得ているのだが、ちょっと想像がつかなかった。
消化器系の治療は医師がいるし、手術も出来るからそっちのほうなのか。
パジャマ姿で座っていたが、二月三月は容態が悪くなる患者が多く、なかなか順番が来ない。
目の前を救急隊員がお年寄りを担架に乗せて運んで行ったが、かなりヤバそうだった。
先にエコーが来たのだが、腹部は別段異常なし。
思わず「スゲー」と声を出してしまう。
胆のうや脾臓、大腸に腫瘍が出来、精巣からも出血していたのに、ほとんど治癒し、痕跡すら消えてしまった。
この数年は痛み止め以外の薬を出して貰わなかったから、ほぼ自然治癒で治ったということだ。患部ごとの治療を受けていない。
ま、前立腺肥大の症状は変わらない。これは中高年なら皆同じだから、別段酷い病気でもなし。
さすが自分なりの信仰を固持していると、免疫力が高まる。
しかし、そんな旨い話ばかりではない。、腎臓は幾らか状況が改善しているが、そもそもここは治らない臓器だ。
心臓は今冬は割合、苦痛が少なかったのだが、やはり検査に時間が掛かり、心臓エコーだけで1時間掛かった。
当方の心臓は「張りぼて」だから、これは仕方なし。
金属のステントが沢山入り過ぎて、金属探知機にかかりそうなので、もはや飛行機にも乗れない。
さすが二月三月は別れの月だ。
二月に死んだ祖父は常々、「起きられなくなったら迷惑を掛けぬよう、三日で死ぬ」と言っていたが、倒れて三日目に自宅で死んだ。
母は三月に亡くなったが、亡くなる当日まで自分の足でトイレに行っていた。
当方も自分の足で立てなくなったら、治療を拒否するから、寝たきりになることはない。
これが家族の伝統だろうと思う。
母は「たぶん、これが最後の帰宅」になろうかという退院をした時、真っ直ぐ家には帰らずに、ショッピングモールに寄り道をさせた。その時に付き添ったのは兄夫婦だった。
足腰も覚束なかったろうに、もはやオヤジジイに近くなった息子のために、ウールのズボンを買い求めた。
ちなみに、当方は動物の毛の繊維がダメなので、基本はコットンの服を着ている。母にはそれが寒そうに見えたのでズボンを買ってやろうとしたわけだ。
あまり自身の人生について反省することはないのだが、そういう母の振る舞いを思い出すと、つい自分を責める。
「もっと大切にしてあげればよかった」
当方は家族を顧ぬロクデナシだった。
ちと脱線した。
冒頭の「検査当日の手術」は病院で割合よく見る。
この季節は家で倒れる人も多いのだから当たり前だ。
「病気ひとつしたことのない人」が唐突に亡くなるのは、病気の知識や経験が乏しくて、それが命に関わる事態かどうかが分からないためだろうと思う。
もっとも、病気をした後で知識を得ても、あまり役に立たない。もうその患者の領域に入ってしまっているからだ。
数日前に、気心の知れた栄養士が「きちんと運動してますか?」と訊くので、「するわけねえだろ」と答えた。
「殊勝に健康保持のための努力をするヤツなら、この年でこんな風になるわけねえだろ」(笑)
この後、今の苦痛をだらだら引き延ばしてどうする?
もはや予後不良ですわ。不健康生活で十分。
口調が変だったのか、看護師たちがゲタゲタ笑っていた。