日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎まずは「手を差し伸べてみる」ことにした

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新しい悪縁(三月二十八日撮影)と、レギュラーメンバー(アモン、イリス)

◎まずは「手を差し伸べてみる」ことにした

 先日は怒りを抱えたまま、神域に入ったので、わんさか悪縁を拾ったようだ。

 早速、悪戯を始めているので、さらに怒りを覚え、「滅ぼしてやろう」と考えたのだが、二日経ってみると、少し冷静になって来た。

 

 その間に状況はどんどん動いている。

 やはり体調が急降下して、血圧が190台に上がった。

 今週はたまたま潜血反応の検査があったが、ひとまずマイナスだった。大腸にはドラスティックな変化が起きてはいないようだ。

 そこで何日間か経過を見ることにした。

 不整脈は頻繁に起きているが、「なるほど、手を差し込まれていた辺り」と納得する。

 だが、それも「占い心理」による。

 ちなみに、「占い心理」は造語だ。

 予言や占いを聞きに来る人は、何か「困ったこと」があるから相談に来ている。そうなると、聞き手の方が自ら、「当たったものだけを探すようになる」。

 それが自身の求めている答えに近ければ猶更だ。

 そういう心理状況が「予言者」のビジネスを成り立たせる。

 南米の予言者の予知内容を見ると、「日本では毎月どこかで大地震が起きる」ことになっている。日本では地震が頻発するので、「毎月どこかで」の予言が「たまたま当たる」ことがあるのだが、自称予言者は当たったものしか言わない。

 当たったものだけしか見ないのであれば、百発百中なのだが、実際には外れの方が百倍多い。

 

 脱線したが、これから自己免疫が低下しそうだ。

 そこで、あちこち異常が出始めるのが「何時頃からか」ということが知りたいわけだが、判断をしくじるとあの世行きだ。

 ご神刀を使って切ってしまえば話が早いが、殴りつけるより、仲よくした方がその後に役立つ。

 ここは「除霊」ではなく「浄霊」で、そのためには「慰霊」から始める必要がある。

 そこで当面は、あの「女」を慰めることにした。

 ま、暫くの間は、何が起きても、極力、腹を立てぬようにしよう。 

 

 新しい「女」をうまく仲間に引き込めば、この後でやれることが増えると思う。

 それが上手く行かぬと、近々に、「誠意と思いやりこそが大切だ」と言い出しそう(笑)。

 やたら「真・善・美」を唱え始めるのも、典型的な「悪縁の所業」だ。

 悪霊・悪縁は詐欺師と同じように、傍目にはそれと分からぬよう、ニコニコしている。

 「良い人」に見えねば、他人は騙せない。

 自分自身が「善なる者」だと心底より信じ込めぬようなら、やはり他人は騙せない。

 観察すると、そういう者があちこちにいる。大体は正義や公正さを叫ぶ。

 

 画像は、先月二十八日に背後に少しだけ写った「女」の頭と、アモン、イリス。

 アモン、イリスは、私にとってもはや敵ではない。

 害を為さぬ存在となったのだが、その代わり、「御堂さま」やトラの姿が遠くなった。

 

 「あの世」(幽界)は宗教や小説、映画に描かれるものとはかなり違う。

 生きている者の「罪」と、死者のそれはまるで違う。

 あの世では、「殺人」「強盗」「詐欺」という行為には関心が無い。形式的、行動的なことではなく、「欺瞞」「嘘いつわり」「侮蔑」みたいな心情的なものが罪になる。

 そもそも肉体を持たぬ存在だから、「殺人」という概念が成り立たない。

 その代わり、「思い描いた」だけでアウトで、この罪に対する情状酌量はない。

 そうなると、生きている人の考え方は、ほぼ総てアウトで、全員が地獄行きになる。

(「地獄」の解釈もまるで違うわけだが。)

 

 ちなみに、繰り返し記している通り、「第六感」「霊感」は、あくまで「想像や妄想」の域にある。これが現実に起こることと当たっていようが、外れていようが、どこまで行っても「想像や妄想」に過ぎない。

 その前提を見失うと、「あの世」を過大評価したり、あるいは過小評価することになる。