日刊早坂ノボル新聞

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◎シャバシャバのカレー

シャバシャバのカレー

 ウン十年前の学生時代に、学食の一番安いメニューが「カレー(並)」で170円だった。これより少しグレードの高い「カレー(上)」が230円か250円だったと思う。

 安い方には、具がほとんど入っておらず、タマネギがほんの少しと脂身の切れ端が1,2個入っているだけだった。

 いつも170円のを食べていたので、「上」はどんなのだったが記憶にない。

 

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具の無いカレー試作品

 年を取ったら、あれこれ手の込んだものより、あの当時の「具が入っておらず、やたら辛いカレー」の方が良くなって来た。

 カレーパウダーを調合し、手の込んだ味のを作る人もいるが、そういうのは1,2回ですぐ飽きる。

 そこで、時々、「学食のカレー」を復活させようとするのだが、割合難しい。スープカレーみたいにするとしても、「不味い」ものを作るのではどうにもならんからだ。

 野菜をすりつぶし、挽肉を使っても、余計にドロドロになる。

 あれこれ思案したが、「野菜くずを使って出汁を取り、実は捨ててしまう」、「別に鶏ガラ主体の出汁を取る」という二つの出汁を合わせることで、なるべくシャバシャバのカレーに近付けられる。

 でも、もちろん、スープカレーにはしない。

 何故なら、「カツカレー」用のカレーにするからだ。

 

 「カツカレー」は印英日の間で、数奇な歴史を辿って来た。

 まずカレーだが、日本のカレーは英国海軍が持ち込んだものだ。インドを大英帝国が支配していた時に、カレーの味を思えた英軍人が食べるようになり、それを日本に伝えた。

 日本では自国民の口に合うように変えたので、カレーの作り方がインドのそれとは異なる。

 そしてその極めつけは、カツカレ-だ。

 カツカレーは大正年間、あるいは戦後まもなく、東京で誕生したと言われている。誰がどうは、この場合、あまり重要ではない。いずれも「日本で新たな展開をした」ものだし、既に両方とも浸透していた。

 このカツカレーが逆輸出で英国に渡り、今では英国人のソウルフード並みになっていると言う。

 ちなみに、英国ではカツはとんかつではなく、チキンカツだとのことだ。

 ここでまた面白い展開が生まれる可能性がある。

 

 日本では「カツカレー」の基本はとんかつで、チキンカツは廉価版の扱いになっている。だが、豚肉を食べない国は割合沢山ある。インドでも食べぬし、アラブ諸国でも食べない。

 しかし、「チキンカツカレー」ならどの国でも食べられる。

 ここは、このレシピをさらに追及して、「日本で育ったカレー料理」として売り出すべきだ。

 もちろん、「発祥はインド、英国」と敬意を示すことも忘れてはならない。

 世界には根拠の乏しい起源主張を繰り返す国もあるが、きちんと具体的な事実が分かっている上、「今に繋がって」もいる。今に繋がらぬ起源主張ほど「取るに足らぬ」ものであるが、これはそういうものとは違って、歴史の重みがある。

 

 さて、日本にカレーを伝えたのは英国だが、かつて英国はインドを支配していた。インド人は植民地支配を脱するために英国に反抗するのだが、その際に、日本はインドの後方支援をした。これはインド人もきちんと認識している。

 歴史には光と影の両面があり、「日本が欧米列強に挑戦したから、アジアが得られたものがある」という側面は確実にある。これを無視したらダメだと思う。

 もし大陸で英独仏に、太平洋で米に戦いを挑まなかったら、アジアの大半の国は、今も植民地で奴隷のままだ。

 もちろん、それが総てではないわけだが、「反省」ばかり口にしていたら、当時、実際に「アジア人が目の当たりにしていた現実」を見誤る。

 欧州列強は現地人に教育制度を与えなかったが、日本は一定の水準を提供している。

 だから「良い」と言うのではない。

「一面的なものではない」と言っているのだ。