日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎怒りの神

◎怒りの神

 先日、怒りを覚えたまま通り道に入ったので、あれこれと悪縁を拾った話を書いた。

 その後、お祓いをして、怒りの神が去ったかと思ったら、まだ傍にいたようだ。

 なお、この場合の「神」は「この世ならぬ者」という意味で、悪縁のことだ。

 突然、腹が立ち始め、ある人のことを「殴る蹴るで〆てやろう」と思うようになった。

 その状態で本人に会ったら、本当に暴れたかもしれん。

 

 怒りを抱え、座っていたが、ある一瞬に我に返った。

 居間の隣には息子の部屋があり、その時、息子は眠っていたのだが、「ううん」「ううん」と魘されていた。

 その声が耳に入ったのだ。

 「コイツも敏感なヤツだから、そろそろ処理の仕方を教える必要がありそうだ」

 それで、その時の自分の状態を悟った。

 「俺もあれこれ怒りを吹き込まれているじゃないか」

 もしかすると、今、息子が魘されているのは、父親のせいかもしれん。

 

 そこで自室に戻り、またお祓いをした。

 それで次第に冷静になり、怒りが鎮まって来る。

 環境とのタイミングが合えば、その怒りに支配されて、面倒なことになったかもしれん。

 これはなるべく人と関わらぬようにして暮らす必要がありそうだ。

 

 ちなみに、悪夢に魘されている者を、起こして目覚めさせるかどうかは、その時の状況による。

 ただ魘されている場合は、単なる悪夢のこともあるから、その夢が一段落するまで様子を見た方がよい。

 手足を動かして暴れる場合は、優しくゆすって目覚めさせた方がよい。悪夢の正体と引きはがすためだ。

 ま、基本は「自分で解決する」ことを覚えさせる必要がある。

 

 「怒りの神」と同じように「絶望の神」もいる。

 「ああ、俺はダメだ」

 「生きていても仕方が無い」

 みたいな考えを吹き込む。

 普通の者は、すぐに我に返るわけだが、悪条件が三つ揃うと、その考えから抜けられなくなってしまう。

 影響されやすい(と自覚する)者なら、よほど気を付ける必要がある。

 ニュースを観ていると、ささいなことで暴力事件に発展するケースがあるが、あれはこういうことだ。

 本人はいざ冷静に戻ったら、自分でも「何故自分がこんなことをしたのか」を理解できないことだろう。

 

 追記)やはり心身ともに不調になって来た。夢(潜在意識)が示唆する通りのことが起きる。ま、これが「普通の状態」だと思えば、どうということもない。
実際、起き上がれぬ日も多いのだから、嘆く必要も無し。