日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎早速「障り」が出る

早速「障り」が出る

 水曜は外出していたが、終日、お腹の痛みに苦しんだ。

 主に鳩尾の周囲の痛みで、心臓に異常が発生している時の兆候に似ている。

 他の内臓ならこれまで病気になったことが無い位置だ。

 かなりの激痛で、横にならねばならぬ程だった。

 そこが少し良くなったと思うと、今度は背中側だ。

 手元にニトロを用意し、いざと言う時に備えた。

 ま、この時点で舐めねば、通常は間に合わない。

 

 だが、途中から何となく気付いていた。

 「これは立て替え払いではないのか」

 昨日のあの患者への祈願したことの影響だ。

 

 あの世(生き死に)に関わろうとすると、必ず影響が出る。

 「報い」と言っても良いのだが、関わろうとした者にはそれなりの障りが出るのだ。

 偽物(霊能者や霊感占い師)でも、死に間際になると、「癌が全身に同時発生して腐る」「誰かに殺される」みたいなかたちでそれが現れる。死後が本番で、もっと大変だ。

 これは意図が善意によるものだろうが悪意だろうが関係がない。

 よかれと思ってしたことなら、許してくれても良さそうだが、それは生きている者が頭で考える理屈だ。

 足を踏み入れたら、応報があるのがあの世のルールだ。

 

 でも、こういうのは、あの患者の返事の意味もある。

 たぶん、あの患者は、これと同じ苦痛を毎日、朝から晩まで感じていたと思う。

 「こういう状況だった」と報せているような気がする。

 (ここはあくまで想像であり妄想だ。) 

 

 これが数日で済むか、長く掛かるのかは分からぬが、原因が分かっているから、まだ対処のしようがある。

 「生き死には、本人に任せよ」というのが正しい対処方法で、手助けはすべきではないのだろうと思う。

 修行を続ければ、他人の病気を改善させたり、あるいは悪くさせたりという行為が出来るようになると思うが、それには悪縁(霊)の手助けが必要だ。必ず報いがあるから、やるべきではないと思う。

 

 病気は本人の自己免疫力か医療で治すのが原則だ。

 「心・魂・体」を整えることを示唆し、手を出さぬのが無難だと思うに至った。

 

 帰宅してお焼香をし、「大変だったな。さぞ苦しかったろう」と慰めると、この日の痛みは一瞬で治った。

 この日一日の苦痛が、病気によるものではないことの表れだと思う。

 ま、これで終わりではなく、今後も時々起きるとは思う。