日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎死んだ後も同じことを続ける (一年前の振り返り)

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令和二年六月十七日撮影

◎死んだ後も同じことを続ける (一年前の振り返り)

 「あの世」の所在を信じない、あるいは信じたくない者は、画像に写る人影が、多く「不鮮明であること」で「証拠にならない」と見なす。

 だが、鮮明さはひとの可視域の問題で、受け取る側の話になる。目を瞑っているから見えぬだけ。

 

 春から初夏にかけては、殆ど異変が起きぬのだが、たまに条件が合うことがあり、幾らか画像が残っている。

 掲示したのは、昨年の六月の画像だ。やはり不鮮明なのだが、三枚目には「そこにはいない筈の人影」が写っている。

 分かりよいのは、私の左肩の上に覆い被さる子どもの姿だ。

 背後からおんぶをするように顔を出している。

 よく見ると、右隣にも子供の姿らしき人影が写っているのだが、こちらは判然としない。

 

 この構図は、割と頻繁に目にする。私だけでなく、他のひとでも同じことが起きており、「その相手に訴えたいことがある」か、「自身の持つ感情に近しいものを持つ相手に引き寄せられる」という理由で傍に寄って来るようだ。

 私の場合は、「助けて」と声に出されることがあるので分かりよい。

 

 四枚目の方は、かなり鮮明な画像になっている。

 この人影については、「幽霊とはこういうもの」という経験的知識を持たぬ者でも、「そこに誰かが立っている」と認識出来ると思う。

 中心は男だ。ジャンパーを着て、たぶんジーンズを穿いている。ガラス映像なので左右が逆になるが、右手で何かを押さえ、左手の方は肩の上まで挙げている。

 拡大すると、肌色の腕や白いシャツまで見える上に、掴まえているのが「子ども」だということも判別出来る。

 

 これがどのような存在かは、顔を見れば分かる。

 顔の前には黒い煙玉が出ているようで、大半が消失しているのだが、その煙玉の影響なのか、眼が三つあるように見える。

 あの世のルールのひとつは、「心根がそのまま姿かたちに現れる」ことだ。

 邪な者は醜悪な姿をしているから、この「男」も生前から死後に至るまで、ずっと悪心を持ち続けているのだろう。

 恐らくは子どもに欲心を抱き、弄ぶような振る舞いをして来た。

 そして、似たような悪心を持つ他の幽霊を取り込んで、自我を強化した。

 そのために、姿が鮮明に写っているのだ。

 

 となると、最初の子どもたちを含め、周囲にいる子どもらは、「男たち」の犠牲になった者なのだろう。

 殺された後も苦しめられているから、あるいは新たに捕まりそうになっているから、「助けて欲しい」と訴えているのだと思われる。
 こういう輩に対しては、アモンらが直接乗り出して整理整頓して欲しいものだ。

 あの世(幽界)にも、ある程度の「秩序」が必要だと思う。

 

 子どもたちのために、改めてご供養をした。

 私の方に寄り付けば、「男」のような存在に食われずに済むと思う。