日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ようやく夏場らしく(580)

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令和三年五月九日撮影

ようやく夏場らしく(580)

 いつまでも「コロナのせいで」と言ってはいられぬので、動き出すことにした。

 そもそも、世間一般が自粛自粛にウンザリしたのか、あまり「行動を慎まなくなった」感がある。今の感染者の増大はそのせいだ。

 ワクチンが行き渡れば、安心感も増すし、ひとまず営業もそれなりに再開できるようになる。

 だが、まだ数百万人レベルで数パーセント台だ。これで五輪が出来るのか。

 強行開催しても、今の日本の状況では、「選手団を送らない」国が相当数出ると思う。

 加えて、「もし開催中に感染爆発を引き起こしたら」と考えると、そら恐ろしい。

 国の信用が壊滅状態になるし、莫大な補償も必要になる。

 六月頭のワクチン接種率を見て、腹を括った方が良いと思う。

 開催を止めると、最大5兆円の欠損が出るらしいが、無観客で開催すると、放映権料だけになり、かつそれはIOCに入る。

 五輪を延期する時点で「二年後」にしていれば、開催にはたぶん問題なかったが、それを今言っても始まらない。

 

 なんてことを考えつつ、神殿に向かう。

 この時期だし、梅雨が終わる頃までは、あまり緊張せず状況を確認できる。

 ただ、日曜だし、参拝客は割と多いから、極力、遠目から望遠で数枚だけ撮影することにした。

 

 ところが、すぐに団体客がやって来た。駅からこの辺一帯の数キロを歩く、いわゆる「歩こう会」のサークルのようで、五十人くらいがドヤドヤと入って来た。

 疲れているようで、さらに次もあるのか、前の客がまだ祈願しているのに、どんどん前に回って拝み始める。前の客がやたら長く祈っていたせいもあるが、前をカットして横入りしている者も居る。

 戦後生まれでの者でももはや老境に達したが、その高齢者たちの実態を見れば、「高齢者に敬意を示せ」という教訓がいずれ顧みられなくなると思う。

 儒教よ、サヨナラ。

 団塊の世代などは、「我がち」に行動するし、礼儀を知らぬ者が多い。挨拶ひとつ自分でも出来ないのに、若者にあれこれ注文する資格は無いと思う。

 ちなみに、若い頃に「傲慢な団塊オヤジ」たちに散々な目に遭わせられたので、私は団塊世代には厳しい。どんな人でもまず「嫌味から始める」ことにしている。

 

 歩こう会は、再びドヤドヤと去り、神殿の前は数人に減った。

 「あれあれ、普段の気配が消えている」

 通り道があるから、「何となくもやっとする気分」になるのだが、団体客が来る前と後ではがらっと変わった。

 「ここに来る時には五十人だったのに、帰る時には三四人増えている」という事態が起きているかもしれん。はは、サマーミロ。

 家まで持ち帰らぬための作法があるのだが、知らんし、聞かぬだろう。きっと今日から家族が一人(体)増える。

 

 その後、数枚撮影したが、総て「気のせい」の範囲だ。

 さすがこの時期はほとんど少ない。

 妖精のような「小さい女」についても、きっと「こういうのがいて欲しい」という気分によるものだろう。

 

 この日、最も気になったのは、最後の画像の右側の女性参拝客だ。

 恐らく二十台なのだろうが、染髪の薬が少し強くて悪影響が生じているようだから、髪を染めるのはしばらく控えた方が良い。(これは「あの世」とは関わりない話だ。) 

 若いので白髪は少ない筈だから、頭頂部がかなりヤバくなっている。カッパになる兆しが見える。この位置は鏡では見えぬから、自分ではよく分からない。親父世代の男性はともかく、二十台の女性となると、少し心配になる。

 

 さて、「あの世」現象の指標のひとつが「画像の歪み」なのだが、この日は微妙だった。

 もっとも、人込みに前が隠れていたので、確認しようがない話だ。

 この程度なら、お気楽で良い。

 「ある意味、無駄なことなのに、やたら手を煩わさせる」ことが減れば、人事に専念できる。