日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病院にて

◎病院にて

 十三日は通院日。と言っても、週の半分は通院日だから、さしたることは出来ぬ日々が続く。

 ま、焦ってもイラっとしても仕方なし。

 

 久々に穿刺担当がEちゃんだったが、この日は顔色が悪い。

 「どうしたのか」と尋ねると、「理由が分からないけれど、胃の辺りの調子が悪い」と答える。

 「そのせいでお酒も飲めません」

 おいおい。「人生のパートナーは酒」という人間が「飲めない」とは尋常ではない。

 ワインを買いにY県まで行き、ストッカー山積みで帰って来るほどだ。

 

 鳩尾付近が「重い」なら、循環器系の病気の疑いがあるし、そこからコロナの初期症状まで、様々な不調の可能性がある。

 「病気は医療で治すのが原則だから、早めに検査を受けるんだね」

 でも、この人は私と同類で、あの世系の感度が高い。

 半年前には、背中に「老婆」を背負っていた。

 そこで「病気は心と体、それに魂が原因で起きる。人によっては、魂を整えることで良くなることもある」と短い助言をした。

 

 人は「断崖の縁に立つまで、先に断崖があるとは考えず、何時までも同じ平坦な土地が続く」と考える。

 事前に「落ちるかもしれんよ」と伝えたところで、目の前に見えるまでは高を括る。

 間近に見て、初めて危機を体感するが、その時には聞く耳が出来ているから、やっと助言が生きる。今はこの人にも「聞く耳」が出来ている。

 そこで、いつも携帯している鈴をあげることにした。

 「玄関に置き、家に入る時にチリンと鳴らすと良い。あとは枕元に小さいコップひとつの水を置くことだ。勿論、病気は病院で診て貰うことが基本だけどね」

 いずれこの人は三十を過ぎたところで、大病を患うと思う。私は一時心臓が止まった。放置すれば、たぶん、似たようなことが起きる。

 

 ところで、先日、「小さい爺さん」の件で、ある看護師(五十台女性)にあれこれ訊ねたのだが、逆に理由を訊き返された。

 「あの人の件で」とはさすがに言えなかったが、正直に「病棟にいた人が写ったかもしれんので」と答えた。

 すると、「見てみたい」と言うので、当たり障りのない範囲で画像を見せることにした。

 幾らかを出力して、バイタルノートの後ろに挟んでおいたのだが、この日はその看護師が休みの日だった。

 ところが、師長が来て、バイタルチェックをする時に、たまたまその写真を見付けてしまった。

 「これは何ですか?」

 「写真を撮ると、時々、変なのが写るんだよ」

 だが、ブログやSNSにアップする画像は30kまで落としているが、プリントする時に5メガの画像から出力していた。

 モニター画面では不鮮明で、「気のせいだろ」で済ませられるのが、紙出力した画像ではバッチリ見える。暗がりの奥に立つ人影も割と見えるようになる。

 日頃、「死」を間近に見ている看護師でも、その先にいる者については勝手が違うらしい。

 師長(オヤジ世代)は写真を見てもの凄く「退いて」いた。

 

 そこで少し取り成すことにした。

 「誰のアルバムを調べても、どこかにこういうのが混じっているもんなんだよ。でも、気を付けて見ることが無いからそれと分からぬだけだ。こんなのは普通のことだと思えば全然平気になる」

 「じゃあ、なるべく気付かない方が良いですね。気になって仕方が無くなる」

 「その通り。気にする必要は無いんだよ。誰でも同じなんだし、原則何も起きない。俺なんか時々、肩に女の人の顔が写るが、だからと言って別段何かが起きたことはない」

 最後の「何も起きない」を言いたいのだが、聞く方は「誰でも」「肩の上に」の方が耳に留まるらしい。

 師長はさらに退いていた。

「小さい爺さん」やちょっとした「人影」でも、やっぱり「気持ちが悪い」らしい。

 

 結局、プリントすると迫力がウェブより数段上がるということだ。

 この日はいきなりだったから仕方ないが、やはり説明の仕方を考える必要があるようだ。

 ま、口頭で語るのは、Eちゃんみたいに「準備の出来た人」だけにした方が良さそうだ。

 大体は「怪談の延長」になってしまう。