日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎電子機器がぶっ飛ぶ(583)

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令和三年五月三十一日撮影

 電子機器がぶっ飛ぶ(583)

 家人が「なんだか肩が重い。四十肩かな」と言うので、とりあえず、「それを言うなら四十ではなくゴジュウ・・・」と言いかけてそこで止めた(笑)。

 右肩が重いが、「思い当たることが無い」と言うので、「そういうのは墓参りにいけば治る」と言いたいところだが、今は飛行機には乗れぬので、落としてやることにした。

 ほとんど徹夜なのでしんどかったが、ま、それもダンナの務めだ。

 

 境内に入ると、すぐに「俺の歩く通りに後ろをついて来い」と伝えた。

 ただついてくればよし。

 話しても理解出来ないだろうから、ただダンナの振る舞いを真似ればよい。

 「考えるな。感じればいいんだよ」

 どこかで聞いたフレーズだ。

 

 その場の流れに身を任せれば、きれいになることもある。

 この時期なので、珍しくダンナも被写体になった。

 滅多なことは起きないはずと思ったが、さすが甘くない。

 「アレアレ」。まさか。

 駐車場で画像を確認すると、割と分かりよい。

 「珍しいよな」

 

 帰宅し画像を開こうとしたら、デジカメとスマホの電源スイッチが飛んだ。スマホの方は放電だろうが、デジカメは故障らしい。

 画面は表示されているので、スイッチ付近の故障らしい。

 開けなくなった画像が一枚あるのだが、それには複数のイリス(女の姿をした悪縁)が割と鮮明に写っていた。

 なるほど、「自分たちの姿を晒したくなかった」と見える。

 電子機器を触るのは割とよくあるから、今回はやりやがったな。

 メモリカードをPCに移したら、CDロムソケットがばあっと開いた。もちろん、無指示。

 

 なお「開かぬ画像」の直前の画像が残っているが、そちらにも幾らか出ていた。

 私は赤外線域の視界が少し広いので、女たちが蠢いているのが分かるが、一般的な可視範囲の人ならほとんど見えないと思う。

 ただ、それでも見えるものがあったので、拡大して置く。

 

 リュックを背負った女性は、まだ亡くなったばかりだと思う。

 おそらく、暗い霧の中をあても無く歩いている。

 ものを考えることが出来ず、何となく歩いているだけだ。

 子どももいたようだが、それも朧気になっている。

 程なく周囲の悪縁(霊)に吸収されると思う。

 もちろん、こういうのはあくまで想像であり妄想だ。

 私は私自身に関する直感を信じるが、他の人や幽霊に対するそれは、基本的に想像や妄想だと思う。人は眼で見て耳で聞くし、頭の中で考える。

 それ以上でもそれ以下でもない。

  

 家人の肩凝りの理由らしきものも、目視で分かると思う。

 屋根や遠くの景色を曲げている。

 この感じは肉親のご供養が必要だと思う。家人の場合はお父さんだ。今は墓参りには行けぬ状況だから、その代わりに今回は家人を神社に連れて行ったということだ。

 神社に向かう途中で、車の中でお父さんの思い出を聞いた。

 思い出して、理解しようとすることが本来のご供養だ。「式」は要らない。

 それが父親なら「心配しなくとも大丈夫」だと伝えれば、それで良い。

 これも実際には想像の域なのだが、自動車と同じで「構造を理解出来ず、組み立てられずとも、乗りこなすことは出来る」ということ。

 現実に起きていることは、まるで違うかもしれぬが、うまくやりくり出来ればそれでよい。

 

 「ありもしないものを妄想し怖れる」ことや、あるいは逆に「すぐ前に居るのに、目を固く瞑って『そんなものはいない』と叫ぶ」ことは、いずれも愚かな振る舞いだ。

 しかし、「この世」と「あの世」の関りを理解するには、かなりの時間を要するから、とりあえず「理解できている人の振る舞いを真似る」ことで、身の回りの障害が少なくなる。

 あとは「考えるな。感じろ」ということ。さらに「もちろん、冷静に」というひと言を付け加えて置く。

 

 ちなみに、家人の肩凝りの方は、神社を出たところで雲散霧消したとのこと。

 そんなのは当たり前だ。このダンナだもの。

 この一週間ほど、臭いや味変が起きていたが、今ではそれも殆ど消えた。

 眩暈はまだ残っている。

 

 追記)この記事を書き終え、アップした直後、デジカメとスマホが同時に両方とも回復した。両方に手を触れてもいない。

 「明日はカメラ屋に行かねば」と思っていたので、すごく助かった。故障でもなければ、放電もしていなかった模様。 

 私が「リクエストに応えた」ということか。

 ま、カメラはレンズ位置が固まったままだったのだが、これが突然作動したので、ちょっと驚いた。スマホも放電ではなかった模様で、半分は残っていた。