日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「参考品 逆ト母銭」

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◎古貨幣迷宮事件簿 「参考品 逆ト母銭」

 どこの誰が製作したのかは、今となっては分からない。在京の収集家に訊けば、記憶している人もいるだろうと思う。

 昨今、続々と到来している中国製の贋作にも似ているが、これはかなり前に出た品だ。

 面背はかなり良く出来ている。ホルダーに入っている時点では、少しドキッとする。

 だが、取り出してみると、参考品であることは一目瞭然だ。

 面背とも平坦なつくりで、山(盛り上がった部分)は同じ高さのよう。これは砂笵への出し入れに考慮していないということだから、そこでアウト。また輪側はグラインダで仕上げている。二重に欠格品だ。

 拓本以外に情報源がなかった時代には、実物を目にした時に「まずは背を見ろ」という示唆があった。

 贋作製作者は、面側をいかにそれらしく作るかに専念し、背がおろそかになりがちであることと、砂型を忠実に再現できないため製作が変わることによる。

 今は画像があるし、マイクロスコープがあるから、「まずは輪側を見よ」に変わっていると思う。贋作を作るに際し、わざわざ鏨で鑢を作ったり、輪側処理専用の荒砥を拵えたりはせず、概ねグラインダか既製品の鑢を手掛けして仕上げるから、そこで後作品を除外できる。

 「分類」は面背で行うから、「分類」思考が先に立つと、欲心が出て目が曇ることもある。

 

 参考品は「作ったらダメ」「売買してはダメ」「あげてもダメ」「褒めたらダメ」だと言われる。人の手を渡るうちに、いつしか「参考品」という文字が抜け落ちるからだ。

 とりわけ、最後の「褒めたらダメ」には注意が必要だ。他人の持ち物に疑問品があった場合、通常はコメントしない。しかし、意見を求められこともあるわけだが、先輩方はそんな時の答え方を「その時には大変結構な品ですと言えばよい」と教えてくれた。

 だが、言葉をそのまま受け取ると「良い品」になり、「良い(=真正品)と言った」という言質を取られることがある。

 (ちなみに、意見し難い時には「真贋は分かりませんが、面白い品です」が正しい言い方のようだ。)

 私ですら、「あの人が良いといった」と名前を付けられて売られたことが複数回ある。自身の所蔵になったこともなく、愛想で「良い品です」と言っただけだが、まるで鑑定したような話になっている(怒)。

 

 ちなみに「作ったらダメ」というのは、実例を見れば分かる。かつて地方の古銭会会長のK氏は、とりわけ鋳造技術に関心を持ち、地方貨幣のコピーに専心していた。

 品によってはもの凄く精緻・精美なものがあり、数十枚ずつ作っては会員に見せた。

 すると会員の中には「出来がいいから譲ってください」と言い出す者が出て来る。

 K氏は「手間と費用が掛かっているから、その分で」と安価な値段で渡したが、数年後には、当初の説明が落ちた状態で市場に出て来た。

 

 この他、「O氏作」も有名だ。多くは鋳放しの状態で、かなりよく出来ている。本物で売られている品も多い。

 O氏が古貨幣を模造した名目は「研究のため」だが、これは嘘だ。

 湯口を残す鋳放し銭だが、湯口以外の輪側は軽く処理されており、平坦だ。

 通常、最初に落とすのが湯口で、その後でバリを落とす。湯口を残すのは「珍しいとと思わせる」ためで、バリ落としは見栄えをよくするため。研究であれば、こういう措置は必要が無い。「語るに落ちる」とはこのことで、実際、当人を知る人は「売っていた」と証言している。

 

 とまあ、「参考品の弊害」は様々あるわけだが、最近、少し考えが変わって来た。

 「中国製」など二十年前からは格段に進歩した模造品が出て来ている以上、もはや「どんどん出て来る」のは避けられない。それなら、これまでとは逆に「これは参考品」と銘打って、人の目に触れるところに出して見せるほうが誤謬が減るのではないかと思う。

 

 さて、かなり長くなったが、以上は前置きだ。

 本題は「何故、この品が作られたか」ということだ。

 内郭にはきっちりと刀が入れられており、母銭を意識して作られている。

 輪側は切り立っており、やや無頓着だ。

 これを「真正品(母銭)として売る」のはちょっと無理だろう。

 それでは、何のために?

 

 答えはこの仕様そのものにある。

 穿・輪を割合かっちり作っているのは、「後で処理しない」ということに繋がるが、この銭種の通用錢は鉄だから、鑢を掛けたりすることがない。湯口とバリを落とすだけ。

 また銭全体に傾斜を付けぬのは、砂笵で型を採らぬことを前提としているからだ。

 銭径がかなり大振りなのは、石膏などでは型自体が縮小するという性質を考慮したもの。

 要するに、この母銭もどきを製作した意図は、「鉄通用銭を作る」のが目的だろうと思う。鉄銭でも十分に希少品だ。

 面背が平坦なことは、鉄銭であれば全体がブツブツなので気にならない。

 あとは「山」で用いられた手法と同じで、ご当地から出た鉄雑銭の中にポツンポツンと混ぜて置く。そんな段取りだ。

 

 もちろん、以上はあくまで推定だが、参考品の素性をいくら掘り下げても新しい知見は出て来ない。本銭を「見たことのある人が少ない」ことを利用しようとする意図によるのは確かだろう。

 この参考品の製造枚数は、必要数から見ておそらく数十枚だろうが、手間暇と費用が掛かってはいる。

 

 ちなみに、「山の部分が一様に同じ高さ」になるのは「拓本を基に製作したから」だが、この視角で眺めると、実際は後作品の希少品が割合ある。

 銭を机など平坦な面上に置いて、端を軽く叩くと「少し動く(傾きがある)」のが正常な姿で、状態が悪い(歪んでいる)のではない。

 

注記)いつも通り一発殴り書きで、推敲も校正もしません。あくまで「日々の雑感」の範囲となります。