日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎だるまさんが転んだ

f:id:seiichiconan:20210613054904j:plain
f:id:seiichiconan:20210613054830j:plain
f:id:seiichiconan:20210613054819j:plain
令和元年の記録。七月に異変が再開し、秋冬に最高潮となる。

◎だるまさんが転んだ

 家人は小学校に勤務しているが、先日、教員の間で話題になったことがあるそう。

 「凸凹小学校に行くと、誰もいない教室に、何やら人の気配がする」

「何となく誰かにじっと見られているような気がする」

 ダンナ(私)は笑って答えた。

 「小学校なら当たり前のことじゃないか。子どもにはエネルギーがあるからな」

 でも、まずは人間(泥棒の類)が隠れていないか確かめる必要がある。直接的に人に危害を加えるのは人間だ。幽霊は滅多なことでは物理的な作用を及ぼすことはない。

 

 人集まりには、生きた人だけでなく、幽霊も集まる。生命が集まるところは、温かいし、光を感じる筈だから、自然と引き寄せられる。あの世は寒いから当然だ。

 幽霊が見ているのは自分が作り出す心象風景だから、生身の人間をそのまま目視するのとは違う。先方からは、たぶん、「光」かもしくは「光る雲」のようなものと認識しているのではないかと思う。

 特に「取り憑いてやろう」みたいな意思を持っているわけではない。何となく居心地の良い場を求めてついて来る。

 

 若い男女であれば、都心の繁華街の人だかりの中に入ると、「他人に見られている」感覚を覚えることがあると思う。沢山の人がいて、その中のたったひとりが自身を見ている場合でも、ひとは何となく自身に向けられた視線を感じ取るものだ。

 それとまったく同じで、幽霊が自身を見ている場合も、同じような感覚になる。

 道を歩いていて、「誰かが後をついて来る気がする」ことが誰にもある筈だが、その時には、「実際について来ている」と思った方が良い。

 若い女性であれば、まず悪人がついて来ているかを確認する必要がある。

 追従者が生きた人間でないなら、家に入る前にその相手を「離す」所作を取ってから入ることだ。

 やり方はごく簡単だ。目移りをさせればよいだけ。

 何となく誰か(何か)が後ろにいると感じる時には、コンビニやスーパーに立ち寄り、人込みの中を通ることだ。対象が一人ではなく複数になれば、どれか一つに焦点を絞ることが難しくなる。その点、幽霊にはほとんど思考能力がないことを利用するに限る。

 

 多くの場合はそれだけで大丈夫なのだが、まれにそのような所作では片付かぬ人もいる。

 そういう人は、「後ろをつける誰か」のことを、「気がする」だけでなく具体的な気配として感じている。

 そのため、時々、後ろを振り返って確かめるわけだが、もちろん、誰かがいるわけではない。気配がするだけだ。

 恐らく、そういう時に後ろの「誰か」は、その人の視線を感じ、静止するのだろう。

 「だるまさんが転んだ」で動きを止める鬼の振る舞いと同じことだ。

 息を止めて見付かるまいとする。

 

 私の場合は、家と駐車場が割合離れているので、五十㍍以上歩くから、その間に確かめられる。夕方であれば、街灯が点いているから、自身の影を見る。

 光源(街灯)の数と角度により、影の数と出る方向が決まるから、それがきちんと合っているかどうかを確かめるという方法だ。

 灯りが一つなら影も一つ。道の両側に一つずつ点いているなら、影が二つ出来る。

 光源が一つなのに影が二つ出る、あるいは二つの地点で三つ出ているなら、ここで「誰かがついて来ている」ことを疑う。

 そこで、そういうケースには、真っ直ぐ家には帰らず、車に戻り、鈴を鳴らし「ついて来ないでくれ」と頼んでから家に入るようにしている。

 もちろん、コンビニで何かしらを買って帰るのは当たり前だ。

 こういうのは、誰か(何か)が現実にいるのかどうかを厳密に確かめる必要が無い。

 それが「気のせい」だけなら、対処してもしなくても影響は無いが、「現実にいた」時に連れ帰らぬようにするためには、「とりあえず対処する」が一番だと思う。単純な駆け引き算による。

 

 後ろを付けて来る者が人間なら、大概は一人なのだが、幽霊の場合はそれが一体であることは少ない。多くはムカデ行列のように複数が列をなして連なっている。

 その気配が自身より二㍍以上離れている場合は、ほとんど問題はない。これは「手の届く距離ではない」ということだ。

 よって、割合遠くにいる場合は、何も対処しなくとも特に悪影響はない。

 手が届く範囲内に入る場合は、いざという場合に足を掬われる恐れがあるので、相手が二㍍を冒そうとする場合には、すぐに警告し、「ご神刀」で周囲を切るようにしている。

 肩に乗る「何か」を引き剥がすには、この「ご神刀」が最も有効で、一瞬で身も心も軽くなる。

 

 冒頭の話に戻ると、家人が前にいた小学校では、頻繁に「子どもが走り回る」足音が聞こえたそうだ。

 夏休みにお母さんたちがPTAの集まりで学校に行くと、遠くの教室で「パタパタ」と子どもの足音が響いたとのこと。

 夜の教室でも同様のことがあったから、宿直の先生は夕方早々に戸締りをして、夜間は一切外に出なかった、とのこと。

 こういうのは、とかく因縁が語られることが多いが、実態はそういうものとはまったく関係が無い。新築の建物でも同様のことが起きたりする。「集まりやすい」要因は特別な因縁によるものだけではないようだ。