この品はかなり昔、収集の先輩に「元は本物として売られていた品だから買っておけ」と押し付けられた品だ。
ちなみに、私は銀モノや地方貨にはまったく興味が無かったから、基本的に要らないのだが、相手が先輩だし何か意図があったのだろうと、とりあえず引き受けた。もちろん、安い値段ではない。
後で何となく意図が分かったのだが、要するに「ツケ回し」だ。本物なら数十万級なので、興味をもって買ってはみたが、どうも受けが悪かったので後輩に押し込んだという状況だろう。
またくもって迷惑な話だが、これが銀地金を勉強するきっかけになり、精錬法や古色の付き方について「勉強させられた」。
この手の地方貨幣の由来の多くは、とってつけられたものだ。古銭界ではよくあるが、古銭書にはもっともらしい由来が書いてあるのに、出典を探すとどこにもなかったり、書付けと現物が直結していなかったりする。
大正初めから昭和二十年代にかけて様々な品が作られたようで、古銭書に一切掲載の無い地方貨・地方判が割合沢山ある。
この銭種について博物館を回って調べたわけでもないので、銭種そのものの存在については何も分からぬが、この品については恐らく戦前辺りの作品だろうと思う。
あるいは、銭種そのものがファンタジーなのかもしれんが、それは収集・研究する者が考えることだ。
二十年近く、ガラス窓の桟に置いたままだが、それほど銀錆(トーン)が進まない。
よって、不純物を含むということだが、その意味では純銀製よりも信憑性がある。
近代精錬法以前、例えば灰吹法を使えば、かならず不純物が残るから、微細成分を検出すれば、それが物差しのひとつにもなり得る。
もし私が悪人なら、1%以下の割合で金を載せると思う。金鉱山で、同時に銀を算出するところがあるから、時々、微量の金が混じる。
偽物を作る際に、わざわざ金を混入させる者はいない。
窓の桟に古銭を置くことはかなり前から行っているが、古色変化を観察するのが目的になる。古金銀や近代銀貨等を並べて置くと、各々のトーンの付き方が違い、変化の過程が分かる。
二十年がかりの観察方法なのだが、銀錆の乗り方で「どれくらい古いか」をある程度推定できる。
十数年前にある地方銀貨幣がどこからともなく出たことがあったが、一分も掛からずに「後出来」と判定出来た。型を幾ら見ても真贋の鑑定には結びつかぬが、「せいぜいこの十年、二十年内に作ったもの」であれば、江戸以前のものではないと言える。
実際、先輩に聞くと、「あれはどこそれの工場で作ったもの」と断言されていた。割合近所だったから詳細に調べて居られた。
この品については、あくまで推測なのだが、元々、ファンタジーの世界に属する品であれば、それはそれでロマンを楽しめばよいと思う。
いずれかの博物館なりに本物があれば、一度見てみたいものだ。これは周囲を鏨で落としてあるが、処理手順はどうなっているのだろうか。
ところで、かなり昔、Oコインの店先で地方銀判を買いに来た客に、「どれが良いですか」と訊かれたことがある。その当時、その銭種がまとまって発見された直後で、店には五枚くらいの品が置いてあった。
その内のどれが良いのかという質問だ。
すると、未使用級の品に混じって、全体が黒く銀焼けし、両替印が複数個所打たれた品があったので、「迷うことなくこれですね」と答えた。
しかし、その客は「他の品の方がずっときれいですが」と不満そう。
そこで「こういうのは実際に使われたかどうかが重要で、古色や打ち傷で、それがどのように流通したか、すなわち実際に使ったかどうかを推定できるのです。よって、最初はこれから入るのが正しいと思います」と説明すると、その客は大いに納得して、それを買って行った。
その当時に出た品ではなく、それ以前から収集界に存在していた品が混じっていたわけだが、そういう品を買えた客は運が良い。
近代のプレス貨幣と違い、鋳造貨幣や打ち出し製作の品は、未使用を有難がるのは危険だ。とりわけ、銀モノなどはすぐにトーンがつくから、未使用状態であれば見分けが付きにくい。
実際に使用され、流通傷のある品の方が安全・安心だ。
例えて言うなら、江戸以前の貨幣なのに未使用状態の品は「百歳のバーサンがタンクトップとミニスカートのような若い子の姿をしている」ようなものだ。
きっと「気持ちが悪い」と感じる人の方が多数派と思うが、古貨幣では何故か「ミニスカートのバーサン」を好む人が多い。
バーサンにはバーサンの年輪があり、時代を経た重みのある方が望ましいと思う。
注記)言い回しがぶっきらぼうですが、あまり調子が良くないため。バーサン等への差別意識はありません。
また、地方貨幣は特に収集対象には入っていなかったので、上記はあくまで私見(感想)です。見解の相違で、そのうち本物に化けるかもしれません。
江戸明治時代に、本物を作っているところを見た人はいないのです。