◎修験者のこと
当方の実家は姫神山に向かう西の入り口付近にあった。
昭和四十年台には、まだ山の麓に修験道場があり、山伏が行き来していた。
夜中の二時三時にトイレに起き、何気なく窓から外を見ると、たまに国道四号(奥州道中)を人が歩いていた。
真っ暗な夜道を一人で歩いていたが、街灯の下に入ると、法衣を着ていたから、それが山伏だと分かる。
中学一年の時だったと思うが、自分の部屋にいて、深夜、ぼおっとしていると、微かに足音が聞こえた。
コンクリートの上を歩く人の足音だ。
それがごく軽いので、「きっと足袋草履を履いている=山伏」と分かった。
確か梅の花の季節だったから、窓をほんの少し開けていたと思う。その隙間から花の香りと共に、足音(の気配)が届いたわけだ。
実家は商店だったが、人の気配は店の前まで来ると、急に道を逸れ、家の脇に入って来た。
そして、そのまま当方の部屋の窓の下に来ると、そこで立ち止まった。
(当方の部屋は二階で、すぐ下が玄関だった。)
で、山伏はそこでじっとしていた。
ここで当方は「ああ。俺の部屋を見上げているのだな」と悟った。
また、「これはたぶん、生きた人間ではない」とも。
さらに山伏が見上げているのは、きっと「部屋」ではなく「当方」のことだった。
そこで、父母の部屋に行き、父に助けて貰おうとしたが、恐怖心のため足腰が立たない。いわゆる「腰が抜けた」という状態だ。
そのため、両手両足を床に着き、四つん這いの状態で父母の部屋まで這って行った。
父を起こし「家の前に誰かがいる」と告げると、父は飛び起きて、階下に降り、兄のバットを持って玄関の外に出た。
暫くして父が戻って来たが、「別に誰もいない。気のせいだろ」とのこと。
ま、誰かがいる訳がない。そこにいたのは人ではない。
それから、幾日かして、山伏の夢を観た。
奥州道中を南下して、姫神山に向かう山伏が、国道を隔てた向かいの家の庭先で倒れて、そのままそこに埋められる場面だ。
それがあまりにリアルだったので、目覚めてから母に「こんな夢を観た」と語った。
母はこの時、長患いからようやく退院して家に居た時だが、母も敏感な方だから、向かいの家の人が買い物に来ると、「うちの息子がこんな夢を観て」と語った。
すると、母は私の部屋に来て、「向かいの家の人がすぐに来てくれと言っている」と伝えに来た。
言われるまま、向かいの家を訪れると、その家の奥さんが当方を出迎えてくれ、当方を庭の一番端に連れて行った。
そこには、五十㌢くらいの高さの石が立てられていた。自然石ではなく、少しかたちを整えた石だ。
そこでその家の奥さんが語ったのは、「昔、ここで山伏が行き倒れになり亡くなったことがあります。どうにもしようが無く、そのままこの庭の隅に埋めたということです。※※ちゃんの夢は正夢だから、一緒にお焼香をしましょう」ということだった。
それから二人でお焼香をし、お水を備えた。
その時は気付かなかったが、今考えると、総てが繋がっていたのだと思う。
当方の部屋の下に来ていた山伏は、たぶん、言伝に来ていたのではないか。
「まだここにいるので、供養して欲しい」と伝えたかったのではないか。
今は初めて訪れたビジネスホテルでも、壁の向こうから「助けて」「助けて」と呼ぶ声が聞こえることがある。フロントに確かめると、その部屋に宿泊客は無い。
あるいは、その壁の外は高層階の空中だったりする。
要するに、総じて先方から当方の存在が「見えている」ということだと思う。だから、寄り集まって来るわけだ。
率直に言って、こういうのは「えらい迷惑」だ。
いざ死んだら、その先には自分で進むしか道はなく、他者が助けてくれることはない。立場を替えれば、浮かばれぬ幽霊を慰めることは出来ても、手を差し出して救い上げることは出来ない。この世もあの世も自力本願が基本だ。
だが、幾度も声を上げられるとこっちが寝られぬので、小学生の筆箱にお焼香用具を入れ、いつも携帯している。