◎夢の話 第969夜 国士無双
八日の午後五時、通院から帰り、居間で居眠りをしている時に観た夢です
我に返ると、「俺」は麻雀卓を前にして座っていた。
どうやら麻雀を打っていたらしい。
(なお「俺」は目覚めている時の自分とはまったく別人格だ。)
朧げな頭で、とりあえず指につまんでいた牌を河に置いた。
俺が置いた牌は一筒(イーピン)だった。
すると、対面に座っていた男が「ロン」と言って、自分の手(役)を押し広げた。
男が見せた手は「国士無双」だった。
ここで俺の頭がくるくると回り始めた。これまでの総てを思い出す。
「そりゃ上がれませんよ。あんたの手配にある一索(イーソウ)は早々に河に四枚出切っていたものだ。すなわち、あんたは河からその一枚を拾って手役にしたということだ」
すると、その四十歳くらいの男は眼を剥きだして怒鳴った。
「何だと。テメー。言い掛かりをつけやがるのかあ」
ここで、俺の下家にいた中堅企業の社長が口を挟んだ。
「いや。一索は出切っていたね。私が二枚切った筈なのに、私の河には一枚しかない。端にあったヤツを取り換えたんだろ。一索が六萬に化けてる。だが、その六萬があると・・・」
社長が自分の手牌を拡げる。
「タンピン三色をテンパっている」
これで、対面の男はさらに逆切れし始めた。
「そんなのは証拠にはならねーだろ。仮にスリカエだったとしても、それを押さえるのは現場でなくてはならない。後になったら水掛け論になってしまうからな」
社長がすかさず答える。
「君はここは初めてなんだろ。誰の紹介で入れたの?ここのことは知らないようだが」
と、社長は俺に目配せをした。
笑える。河の配列を覚えることなど、ここの常連なら朝飯前だ。
一回崩して置いて、元の河の状態に戻すことも簡単にできる。棋士は棋譜を正確に憶えているが、それと同じこと。
「証拠ならありますよ。まず、ここは街のリーチ麻雀店とは違い高額なレートで打(ぶ)っているから、イカサマ師を徹底して排除する工夫をしてあります。まず天井の三方向からビデオを撮っているので、河の状況は記録されています。それと」
「それが何だっつうんだ」
「それと、この麻雀牌には一つひとつにICチップが入っています。全自動で牌がセットされると、その際に山のどの位置にどんな牌が乗っているかが記録されます。もちろん、河の捨て牌も同様です。卓で打っている四人には分かりませんが、ギャラリーが進行を楽しめるように、正確な記録を取ってあるのです。それを見ますか?」
男が押し黙る。
この麻雀はマンションの一室で行われるバクチだが、ごく限られた者しか入れない。
原則、この登録メンバーでなくては入れないのだが、メンバーの紹介があり、お試し期間を経て承認を得た時に晴れて新人が自由に出入りできるようになる。
この男もメンバーの紹介を謳っていたが、そこからしてイカサマだろう。何故なら、この部屋の仕掛けはメンバーなら誰でも承知しているから、一切、小細工などしないし、出来ない。
ここで、俺の上家のムラヤマさんが初めて口を開いた。
「まあまあ。この人もここは初めてで勝手が分からなかったのだろう。最初からやり直せばいいじゃないか。ここで、皆で乾杯して、今の出来事は水に流そうじゃないか」
他の三人の返事を待たず、ムラヤマさんは、マスターに声を掛けた。
「ねえ。皆に飲み物を持って来てくれないか。ドイツのいいビールがあっただろ。この新しい人にはとびきりいいヤツを持って来てあげて。それで、皆が仲直りして、また最初から始めよう」
この麻雀はいわゆる雀荘ではないのだが、管理人・世話人を一人置いている。仕事の内容が麻雀店のマスターと大差ないので、俺たちは皆、この管理人のことを「マスター」と呼んでいる。
程なくマスターは、トレイに中ジョッキ四つを載せて運んで来た。
「さあ、皆で乾杯しようじゃないか」
「はい」「はい」
このムラヤマさんは、物静かな口ぶりだが、実は暴力団の幹部だった。近県四つの統括本部長だから、全国規模での幹部と言っても良い。
そういう背景もあり、このムラヤマさんがもめごとに断を下すなら、俺や社長さんはそれに従う。
餅は餅屋で、手際よく話を進める術を知っているからだ。
対面の男は、ぐいっとビールを飲み干すと、サイドテーブルに「たん」と音を立ててジョッキを置いた。
「言い掛かりをつけられたもんだから、俺はついかッとしてしまったけれど、俺の言い分を認めてくれたなら、まあ良いだろ」
周囲は全然、認めてはいないのだが、この男にとってすれば、証拠を持ち出される前に「不問にする」と言われ、ホッとしたのだろう。
ここで俺が場を取り持つことにした。
「ここは場末のリーチ麻雀や、それより少し上の千点数千円のお遊びとはかなり違うんですよ。ルールが厳しいし、チェックもしっかりしているから、真っ向勝負。打ち筋もだいぶ違いますね」
もちろん、麻雀小説や劇画みたいなことはない。
高額レートの場には、「雀ゴロ」もいなけりゃ「代打ち」もいない。
きちんと自前でタネ銭を用意して勝負できる者にしか参加資格がないわけで。
「このビールはかなり苦いけれど、本場の味がするでしょ。ねえマスター。お代わりを持って来てくれないか」
「はあい」と奥から返事が響く。
すぐにビールが運ばれ、俺はそれを再びきゅうっと飲み干した。
ひとしきり雑談をしていたが、五六分後にムラヤマさんが俺と社長に向かって言った。
「さて、今日はお開きにしようか」
え。さっき、「また最初から」と言っていたが・・・。
すると、下家の社長が俺に目配せをした。
「ほれ」
前に向き直ると、イカサマ野郎が椅子にのけ反るように座り、眠り込んでいた。
酔って眠るには早過ぎる。
「もしやこれって・・・。あれ(薬)?」
社長が黙って頷く。
ムラヤマさんは武闘派の最先頭にいる人だ。あの男が知らなかったとはいえ、目の前で自分をコケにされては、ただで済ませられる訳がない。
(この先のことは知らぬ方がいいだろうな。)
「関わったらダメだ」と俺の後ろで誰かが囁く。
何かを見聞きしてしまったら、俺も「関係者」になってしまう。この先、「何か」が起きた時のことを考えれば、何も聞かず、知らずにいるのが一番だ。
「じゃあ、俺はお先に失礼します」
そう言い残して、俺はすぐにマンションを出た。
あのイカサマ野郎がその後どうなったかは知る由もない。
ここで覚醒。
「社長」の会社は産廃施設で、幾つも山奥の村に焼却施設と処分場を持っている。
近隣の苦情を避けるため、焼くのは概ね深夜。煙が出ても気付かない。
周りには従業員数人の他には誰もいないから、「仮に夜中に仏を焼いても悟られることはない」と言っていた。高温で焼却するから、骨の断片すら残らないそうだ。
もちろん、酒席でのたわ言の類だ。
そんな昔の記憶をデフォルメして、脳が作り上げた心理ドラマの夢だった。
ところで、麻雀には囲碁や将棋のような格式がない。
これは多分に「偶然性」に左右される要素があるからだろう。
その意味では、「牌にICチップを入れ、山のどこにどの牌があるかをギャラリーが見られるようにする」というのはひとつのアイデアだと思う。
競技者の四人は知らないことだが、ギャラリーは何をどうすればどういう結果になるのを予め予測出来る。最も望ましいゴール(役)は各競技者に対し不平等に与えられるが、食い仕掛けで局面ががらっと変わる。
そのツキの「食い合い」の応酬を俯瞰的に眺められるのであれば、ダイナミックさが加わる。