日刊早坂ノボル新聞

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◎『怪談』 第1話 赤い服の女 (再録)

◎『怪談』 第1話 赤い服の女 (再録)

 四年前の記事を再録します。割と現実的なのは、実際にこれに似た経験をしているから、ということ。

 

 これは大学時代に、私と友人が実際に経験した話です。

 秋口の夜中に、悪友の北川から急に電話が掛かって来ました。

 「おい。これからN野に行こう。向こうで小林が待っている」

 小林というのは、私や北川の仲間です。その小林の父親がN野に別荘を買い、今は小林だけがそこに遊びに行っているという話でした。

 「だから、その別荘を好きに使える。今からあいつのところに行こう」

 「もう11時だよ。これから行くのか」

 「ああ。明け方には着くだろうから、あっちで寝よう」

 しかし、私のマンションはS県の西部ですから、一旦、逆方向の都心に向かい、そこから電車なり高速なりに乗り換えて、N県に向かう必要がありました。

 「なあに、K峠を越えていけば良いんだよ。第一、俺はもうお前のマンションの下まで車で来ている」

 北川はせっかちで、私のマンションの前まで来てから電話をしていたのでした。

 

 すぐに出発したのですが、K峠に差し掛かったのは、ちょうど12時を回った頃でした。

 秋の夜半なので、少し霧が出ていました。

 元々、街灯のない山道だった上に霧が出たものだから、自然とスピードを落として運転することになります。前が見えないのに速度を上げると、崖から落ちてしまう可能性があるからです。

 すると、徐に北川が声を潜めるように話し始めたのです。

 「お前は関東の育ちじゃないから知らんだろうが、この峠にはアレが出る」

 「アレって何だよ。まさかアレか」

 「そう。幽霊だよ。この峠を夜中に越えると、道端に女が立っている。髪の長い、赤い服を着た女だ。そいつは車を見ると手を上げるんだ。まるで、『止まってくれ』と言うようにな。だが、こんな人家の少ない山の中に、女が独りで立っている理由がないだろ。車の運転手は気持ち悪がって、無視して通り過ぎようとする。女の脇をやり過ぎたところで、バックミラーを見ると・・・」

 「おいおい。今、ちょうどその峠を越えようとしているのに、勘弁してくれよ。その先はどうせロクでもない、怖ろしいことが待っているんだろ」

 「車のすぐ後ろに、もの凄い形相をした女が諸手を上げながら追いかけて来てるんだ」

 で、運転手が思わずアクセルを強く踏むと、すぐ先が急カーブになっていて、車はそこから崖下に落ちてしまう。そんな類の怪談だ。

 「だから、運転手たちは、夜はこの峠を避け、遠回りをするんだよ。特に高速道路が出来てからはな」

 私はここで北川の話の裏に気がついた。

 「お前。それって、ただ単に、運転手たちは高速が出来たから、そっちを通るようになった、ということじゃねえのか」

 「ま、そうとも言う。東京からはどうやったってそっちが速いもの」

 「それじゃあ、この『峠の幽霊』ってのも作り話か」

 「いや、その類の話は実際にある。だが、あくまで怪談だ。だって、この峠の周辺には人が住んでいるものな。ここは地元の住民がいて、ひとが普通に暮しているところだ。もしそんな幽霊が出るのなら、とても住んではいられない。すなわち、怪談なんて、所詮はそんなものだってことだよ」

 「それもそうだな」

 相槌を打ったものの、私の胸の高まりは治まりませんでした。

 私の郷里にも、いわゆる「心霊スポット」というものがあるのですが、その近くにも人は住んでいます。ところが、住人にとってのそこは自分が生まれ育った場所なので、まったく平気です。そのことを幽霊の方もわきまえているのか、どういうわけか地元の人の前には出ない。

 地元住民とそこの幽霊とは、いわば共存の関係にあるのです。

 「でも、俺たちは余所者なんだよな。そもそも、ここの人は夜中の12時過ぎにここを越えたりはしないわけだし。この時間にここを越えるのは余所者だけだ」

 

 車は峠の頂上付近を通ろうとします。

 道はいよいよ細く狭くなり、両脇の草が道路の上に被さるようになって来ました。

 片側の叢のすぐ外は崖なので、よくよく注意する必要が生じました。

 次第に道が下り始め、ライトが助手席のすぐ外の草を照らした時に、私は思わず声を上げました。

 「わああ」

 ライトが当たったその一瞬、叢の間に人の顔が見えたように思ったのです。

 「おい、北川。今、誰か人がいたぞ」

 「え」

 北川が車を停止させました。

 しかし、北川はすぐにくすくすと笑い始めます。

 「お前。俺の怪談話に乗っかって、話を盛ろうとしてるな」

 私は即座にそれを打ち消しました。

 「いやいや、冗談ではなく本当だよ。俺はそこの叢に女がいるのを見た」

 すると、北川はダッシュボードから何かを取り出し、運転席のドアを開きました。

 「じゃあ、写真を撮っとこう。もしかして、幽霊の姿が写真に撮れるかも知れん」

 

 しかし、その時、私はサイドミラーで後ろの様子を見ていました。

 「やめとけ、北川。そいつが道に出て来たぞっ」

 十五㍍後ろの道の脇から、女の頭がずりずりと這い出て来て、道の上に体を起こしたのです。

 その女はよろめきながら立ち上がりました。

 「うわあ。北川、早く逃げよう」

 北川は半開きのドアから顔を出し、後ろの様子を確認すると、すぐさま席に戻りました。

 北川も自分の目で女を見たのです。

 

 「まじかあ」

 北川が慌ててギアを入れようとしますが、うまく入りません。

 北川の車はマニュアルでした。

 その時、私は後ろを向いて、後部ガラス越しに女を見ていました。

 女は道の上に立ち上がると、私たちの方に手を伸ばし、何事かを呟いているように見えました。

 「待てえ。私も連れてけえええ」

その女は夜目にも鮮やかな真っ赤なワンピースを着ていました。

 長い髪をした、赤いワンピースの女がよろよろとよろけながら、一歩一歩、車に近付こうとしていたのです。

 まさに峠の怪談に合致します。

「北川。早く行けよ。捕まるぞ」

 私がそう叫ぶのと同時に、ようやくギアが入り、北川が車を発進させ、私たちはその場を逃れることが出来たのです。

 

 私たちは車を飛ばしに飛ばして、朝方、N県の別荘に着きました。

 「いやはや、本当に肝を潰した。こんな怖ろしい経験は人生で初めてだな」

 峠の幽霊の話を小林にしたのですが、やはり小林は信じません。

 この手のことは、自分が実際に経験してみないと分からないのです。

 

 でも、本当に怖ろしい思いをしたのは、その別荘でひと寝入りした後の出来事です。

 夕方になり、テレビを点けると、ある事件のニュースが流れて来たのです。

 「今朝八時半頃、K峠で女性の遺体が発見されました。女性はタナカ・ミチコさん24歳。タナカさんは一昨日、S宿でワゴン車に乗る何者かに拉致され、以後、行方が分からなくなっていました。犯人はタナカさんを連れ去り、危害を加えた上で、K峠の崖下に遺棄した模様です。警察は遺体遺棄事件として捜査を始めています」

 私は思わず北川と顔を見合わせました。北川の顔は真っ青です。

 「おい。あれは幽霊なんかじゃなかったんだ。あの女は連れ去り事件の被害者だ。服が赤かったのは、犯人に暴力を加えられたせいで、大量に血を流したからだ」

 私たちは、本当に怖ろしいことに、「息も絶え絶えな被害者を見捨てて、その場に置き去りにして来た」のです。

 もしかすると、すぐに病院に運べば、その女性の命は助かったのかもしれません。

 女性が生きていれば、犯人が捕まったかも知れませんが、死んでしまったので、証拠が挙がらず、今も犯人は野放しのままです。

 結局、私たちが犯人の片棒を担いだのと同じような結果を招いてしまいました。

 

 その日から二十年以上の月日が経ちますが、私は今もその時の出来事を夢に観ます。

 夢の中で、峠道に立つ「赤い服の女」は、両手を大きく広げると、私の方に駆け寄って来ます。

 そして、いつも決まって大きな声で叫ぶのです。

 「助けて。どうか助けてえ。私のことを見捨てないでええええ」

 いつか自分が死ぬまで、私はこの夢に悩まされ続けるような気がします。

 はい。どんとはれ。

 

 幽霊を見るのは、自分だけの話なので他人は関係ないわけですが、それが幽霊ではなく「死にそうな人」でそれを「見捨てていたことに後から気付く」のは、本当に寝覚めが悪い話です。

 

 現実の体験は、深夜二時頃に「峠越え」の道を車で走っていたところ、赤いワンピースを着た女性が歩いているのを間近に見た、というものでした。

 周囲五キロに人家はありません。灯りが無いのでよく見えず、女性のすぐ脇をすれ違ったのですが、女性はうつむいたまままったく反応しませんでした。